閑話:『トリュケシア帝国、氷炎帝 カミラ=トリュケシアの場合』
「…駐屯予定地の変更? 新しい目的地は王都?
ガオルーン皇はついに脳まで筋肉になったのか?」
ガオルーン皇国の領内南部に位置する平野にて野営中のトリュケシア帝国皇帝、カミラ=トリュケシアに届けられた一報。
他国の軍勢を自国の王都までフリーパスで通すという常識をどこかに置き去ったかのような提案。
いくら状況が逼迫しているとはいえ、流石にそれは王としてしてはいけない選択ではなかろうか、と首を傾げるカミラ。
「じい、どう思う?」
報告の為全力で駆けてきたと思しき青息吐息の伝令兵を労いの言葉と共に送り返し、余人交えぬ天幕。
机上に地図を広げひと思案したカミラは、天幕の隅で樽に腰を下ろしワインの入った皮袋で喉を潤す枯れ木の様な老人に問い尋ねる。
「幾つかの予測が浮かばぬでもありませんが、まぁ理由などどれであれそう変わらぬでしょうな。
ガオルーン皇は本土決戦を選択した、それも常識では考えられぬ他国の軍を王都に招き入れるという暴挙の上で。
つまり、逆に言えば手段など選んでいられぬほどに切羽詰った状況だという事でありますな」
枯れ木老人ことロー=フォーの言葉を受けカミラは目を閉じ、暫し思想に耽る。
「既に王都に迫られている?」
「否、それならば悠長に駐屯予定地の変更などと言ってはこぬでしょう」
「戦線を延ばす事でミラ法国の兵站を攻める」
「その為に自国を好き放題荒らされては元も子も無し。
あの皇がそんな選択が出来る人間であれば今頃この大陸の版図は愉快な事になっていたでしょうな」
「急激な心変わり、もしくは切羽詰って本性が現れた……も、ないな。
あれは底抜けのお人好しだ、民や兵を数字で見れる類の人種ではない」
そこでまた目を閉じ、唇を閉ざし思考の海へと沈み込み……。
「…数と質、か?」
ぽつり、と呟いたその言葉を耳で拾ったローはにやりと笑う。
「と、申されますと?」
ワインの詰まった皮袋を口元へと寄せ、口端の笑みを隠しながらとぼけた声で尋ねるロー。
そんなローを睨み付け、それに意味がないと理解しカミラは忌々しげに舌を打つ。
「…数に劣るミラ法国がわざわざ真っ向から勝負を挑む理由も無し。
そもそも禁獣で構成された軍勢が馬鹿正直に道を往く必要性も無い、となれば目的は釣りといった所であろう。
ガオルーンの本隊が布陣するのを待って王都強襲、といった所か?」
「まぁそんな所でしょうな、あの女狐の考えそうな事です」
カミラの問い掛けにそう言葉を返しながらローは机へと歩み寄り、ひょいと飛び上がりその縁へと腰を下ろし地図を指差す。
「我輩たちの元の駐屯予定地がここ、王都までは五日程と言ったところでありますな」
そこで再度ワインを煽り、軽く喉を湿らせながら次いで地図の一点を指差す。
「そして開戦予定地がここ、我輩たちの駐屯予定地とは目と鼻の先ですな。
つまりもしここで待ち構えて肩透かしを喰らいでもした場合……」
そう言いながら地図上に指を走らせ、ガオルーン皇国王都を指し示し。
「急報が入って慌てて取って返しても最低五日。 騎馬のみ、最低限の糧食のみで全速移動をしても良くて三日といった所ですかな」
「あの女と禁獣の軍勢が都市一つを落とすには十分過ぎる時間だな」
「落とすどころか現地産の禁獣が量産されているでしょうな」
そう言ってからからと笑うローに、流石にカミラも眉根を寄せる。
他国の民とはいえそれが外道に身体を弄ばれ獣へと堕ちる未来は好ましいものではない。
ましてそれがガオルーン皇の縁者や知人であればあのお人好しの事だ、最悪壊れかねない。
「…じい、お前はあの女を殺しきれるか?」
カミラがそう問い掛けると、ローは渋い表情を浮かべ首を横に振る。
「姫の御下命とあらば、と言いたい所ではありますが流石の我輩も無理ですな。
ガオルーン皇国のフォーンの名を知らぬ武人は無し、まして先々代のフォーンとは刃を交えた仲。
そのフォーンの当代が首を落としても平然としていた、となると人の手で殺しきるのは不可能であります」
「そこまでか?」
「フォーンの使う獲物は我輩と同様、魔剣妖剣の類。
それで仕留め切れぬどころか平然とされては殺し切る手管など思い浮かびませんな」
「八つ裂きにして封じる、もしくは灰にして海にでも沈められんか?」
「無駄でしょうな、何事もなかったように蘇るのがおちです。
そもそも姫のその案を実行する為には先ず僅か二千でビホース、ラテラウムといった大国を滅ぼした国墜としを殲滅せねばなりますまい。
尤も、あれらが忠誠心など皆無であの女がどうなろうと知った事ではない、という思考回路であれば話は別ですが」
「有り得んだろうな」
二人顔を見合わせ、深く溜息をつく。
カミラは渋面を隠そうともせずそれどころかより一層眉間に皺を寄せ、ローは一息にワインを煽る。
「…あの女に関してはガオルーンの手札に期待だな」
「…ですな」
そう言葉を漏らし、もう一度盛大な溜息を溢し。
カミラとローは沈んだ気分を紛らわすべく天幕を出、将兵を慰撫するべく陣内を練り歩くのであった。




