44:我、蚊帳の外
話は、毛玉が書庫で足踏み式エアジャンプに開眼した頃に遡る。
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ガオルーン皇国王城、謁見の間。
最奥、玉座には皇帝ウシュム=ガオルーン及び皇后ラヴェルナ=ガオルーン。
玉座に侍るは筆頭侍女シェラ=フォーン。
室内の左右の壁際に控える完全武装の兵士達。
そのいずれもが一様に口元をきつく結び、表情には嫌悪とも憎悪ともとれるものを浮かべている。
「お初にお目にかかります、ガオルーン皇帝陛下。
ミラ法国枢機卿を務めまするマール=ミルウリウスと申します」
そんな、完全にアウェイと呼んで差し支えの無いその空間に異物が一つ。
法衣に身を包み無言の圧力の中何も感じぬとばかりにニコニコと笑みを浮かべた初老の女性。
「このたびは貴重な時間を私どもの為に割いて頂いたこと、心より感謝致しまする」
「構わんよ。
まさか昨日の今日でもう尋ねてこようとは思いもよらなんだがな」
フン、と鼻を鳴らし厭味をぶつけるウシュムの態度を気にする風もなく、老女は変わらずニコニコと笑みを続ける。
「彼の邪神の残せし呪いを祓う資質を持つ者が新たに見つかったのです、何を置いても駆けつけるは当然でございますれば。
『 善は急げ 』 と申しますでしょう?」
「邪神、ねぇ…」
その平静は、感情の宿らぬ瞳でラヴェルナが睨め付けるも小揺るぎすらしない。
「ご安心下さいませ、皇后陛下殿。
彼の邪悪は既に我らが主により討ち果たされ残るはその怨念のみ。
主と、我らと、主の薫陶篤き神兵によりそれらを祓い清めている現状、再び災厄が世を侵せし事などありは致しませぬ」
「…で。 その神の兵とやらに私の娘を迎え入れる、と?」
ラヴェルナがそう呟いた瞬間、室内を濃密な殺気が覆い包んだ。
壁際に控えた兵士達は心臓を鷲掴みにされたかのような錯覚に陥り呼吸すら封じる程の圧に襲われ、隣に座していたウシュムですら身を固くし、冷や汗を浮かべる。
そんな中ですら笑みを絶やすことなく平然と佇むマールの姿にラヴェルナは僅かな困惑を、シェラは最大限の警戒を抱いた。
「その通りでございます。
聞けば皇女殿下は天より聖魔術を授けられたとか。
破邪の力を持つ聖女様の御加護が加われば穢れによる侵食は抑えられ、神兵達の消耗も食い止められましょう」
「確か、邪神の残した呪いとやらは生物を侵食して貴方達の言う所の穢れとやらを産み出すのだったかしら?」
小首を傾げるラヴェルナに、笑みの色を濃くしたマールが頷く。
「はい、その通りにございます」
「そして、その穢れとやらに対して絶対の優位を持つのがティセリナの得た聖魔術、と?」
「邪神の不死性を、部分的にとはいえ宿したあれらを確実に葬る事ができるのは聖魔術以外にありませぬ」
「なるほど、話は良く分かったわ」
「おお、では…───」
喜色を浮かべるマールへ、ラヴェルナは満面の笑みを浮かべ
「答えはノー、よ。
貴方達の大好きな神に伝えなさい、寝言は寝て言えと」
そう、告げた。
「…それは、我らが主に対する侮辱と受け止めまするが?」
笑みの仮面の剥がれたその下から現れたのは、一切の感情の抜け落ちた顔。
ラヴェルナを見据えるその眼差しは同じ人間に向けるものではなく、家畜か何かでも見るかのような瞳。
「あら、別にいいじゃないそのくらい。 既に戦時中なんだから」
極上の笑みを浮かべ、妖艶に微笑むラヴェルナのその瞳はしかし決して笑わない。
「…ガオルーン皇帝陛下、皇后陛下は斯様に仰っておりまするがこれは皇国の総意と考えてよろしいのでしょうか?」
「当然だろうが、神気取りのバケモンに娘を差し出すワケねーだろボケ」
ぎょろり、と瞳を巡らせ無表情で睨め付けてくるマールの態度に、ウシュムも王の仮面をかなぐり捨てる。
「頭を垂れれば搾取、牙を剥けば滅ぼす。
んなケツの穴の小せェ生臭な神がいてたまるかよ。 いるとすりゃソイツは神を気取るペテン師だろうよ」
「…発言を撤回するのならば、今のうちですぞ?」
その表情に感情はなく、しかしてその瞳には憤怒と憎悪の炎が燃え滾る。
そんなマールをまるでつまらないモノを見るような眼差しで見据えながら、ウシュムは先の発言を鼻で笑い飛ばす。
「狗じゃ話にならん、飼い主を呼べ。
テメーらの喧伝する限りじゃ偉大な偉大なカミサマは距離を越えてどんな場所でも自由に行き来できんだろ?」
「…神のなんたるかも理解できぬ野蛮な猿めが」
「神モドキの事なんざ理解しようともおもわねーよ」
搾り出すような怨嗟の声をウシュムによって切って捨てられたマールは頽れるかのように床に膝をつき、その手を懐に伸ばす。
途端、壁際に控えた兵士たちが一斉に剣を抜き放ち、怪しい行動を見せれば躊躇う事無く殺せという命令を忠実にこなすべくマールへと殺到する。
距離を潰し、殺傷圏内へと収まった老女の身体目掛け一切の迷い無くその手に構えた剣を振り下ろし
「控えよ、下郎ども」
そんなマールの呟きと共に駆け寄った速度以上の勢いで弾き飛ばされ、その身を壁へと叩きつけられる。
鎧の打ち鳴らす音の途絶えたその場に残るは戦斧を手にウシュムを背に庇い立つシェラ、玉座に腰を下ろし冷たい眼差しで見据えるウシュム、ラヴェルナ。
そして謁見の間の床に膝をつき懐から取り出した聖印をその手に掲げたマールと、その傍らに立つ一人の女。
肩口に切り揃えられた暗紅色の髪、そしてそれを更に濃厚にしたかのような深い色彩のどろりと濁った瞳。
濃紺のローブをその身に纏い、その右目には片目眼鏡。
「図が高い、神の御前である」
マールのその言葉が、その存在の証明。
ミラ法国の頂点に君臨する、現世に在る神。
ミラ=フォールンはウシュム達を見据えながら、静かにその唇を開いた。




