26:我、兎生初入浴-①
その後二、三言葉を交わしおじ様と別れたメイドさん改めシェラさんは我を摘んだままどこかへと歩き出した。
足下に添えられていた手? おじ様に背を向けた瞬間から外されて以後ずっとぶ~らぶらしてますが?
摘み方にコツがあるのか痛かったり苦しかったりは特にないので我も抵抗はしません、この人怖いし。 それにこのまま大人しくしてれば体を洗って貰えるっぽいしね。
そんな事を考えていたらシェラさん、裏口っぽい扉を開けて城内に入っていった。
あれ? 井戸にでも連れていかれて盥で洗われるとかじゃないの?
数分後、我がいたのは湯殿でした。
まさかの好待遇で逆に不安になりまする、我結構小市民?
ただ、お城と聞いて思い浮かべるような大浴場ではなく人一人が寛げる程度のバスタブなのでちょっとだけ安心。
あんな規模のお風呂とか水を張ってお湯を沸かして~で洒落にならない労力と費用が発生するだろうしね。 それを我一匹の為に使われるとか考えたくもありませぬ。
実は温泉が沸いてますとかそういうオチだったら話は別だけどその辺我にはわかんないし。
などと考えていると袖をまくり、素足になりスカートをたくし上げたシェラさんが湯殿にやってきた。
そのまましゃがみ湯殿の床に片膝をつき、バスタブに備え付けられた台座へと手を伸ばす。
赤と青、二つの宝石っぽいものがとりつけられたその台座の内青い方に手を当てると蛇口から水が溢れバスタブへと流れ込んでいく。
センサー式? はいてくですね。
ところでシェラさんや、何故にバスタブにお水を溜めていらっしゃるのですか?
我のサイズならそこにある桶に水を張るだけで十分過ぎるんじゃないカナ?
人一人が寛げるサイズのバスタブとか我確実に溺れるよ?
ねぇねぇ、シェラさん?
前足で露になっている太腿をもにもにしつつ上目遣いで見やると一瞬ビク、と体を震わせたシェラさんがこちらに目を向ける。
紅潮してひきつった顔でこちらを向き、我を見やり、満面の笑みを浮かべるシェラさん。 つられて我もにぱー。
ベチャッ。
直後、左手で押し潰されて湯殿の床とごっつんこ。 ……な、何故に?
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私の名前はシェラ=フォーン、ここガオルーン帝国皇宮の侍女頭を務めている。
と、言っても私自身は貴族に連なる血筋などとは無縁な農村生まれの小娘である。 それ故に血統を重視する貴族や行儀習いで皇宮に勤める貴族子女には軽んじられ、また疎まれている。
そんな有象無象を私は実力で黙らせてきた。
義祖母仕込みのメイドとしての技能と宮廷儀礼、そして侍女の嗜みである単騎でドラゴンを屠る戦闘能力。 それらを駆使し私は己の才でこの職務を勝ち取ったのだ。
尤も、それを認められない血統主義者共はやれ義祖母の身内贔屓だ皇宮の品位を弁えぬ愚行だと陰口を叩いているようではあるが。
齢四つの時、生まれ育った村の傍で起こった魔物の氾濫により私は帰る場所と家族、そして私を知る者達を失った。
傷を負い、大量の血を流し、しかし不幸にも死に損ない身動きのとれぬままただ朽ちる時を待っていた私を拾い、救ってくれたのが義祖母であり先代の侍女頭であるノーラ=フォーンであった。
……まさか小村の農民の生まれの自分が皇宮に連れ込まれた挙句皇族の専属医師に治療を受けるとは夢にも思いませんでしたが。
傷も癒え、自力で動ける程に体も回復した私は義祖母に恩を返す為、そしてすべてを失った私が受けた温もりを手離さずに済む様、己を傍に置いて仕事を手伝わせてほしいと願い出た。
今になって思えばなんとも厚かましい話である。 皇宮に務める侍女達の長でありフォーン伯爵家の出である義祖母の傍仕えに平民の小娘が名乗りを上げたのだから。
が、そんな私を義祖母は笑顔で受け入れてくれた。 …今思えば笑みを浮かべながら受け入れた、だったのでしょう。
その日から私は"拾われた小さなお客人"から"侍女頭付見習い"へと変わり、天国から地獄へと叩き落とされた。
ともすれば拷問と思しき侍女凶育、ゼロコンマミリ単位で修正を受け魂魄にまで刻まれた宮廷儀礼、そしていざの際に仕える主を護れる様、と凶育と共に日々繰り返されるいっそ死を請い願う程に狂った戦闘訓練。
腕や足を斬り飛ばされるのは日常茶飯事、運が悪いと日に数度臨死を体験した。
これは後で知った事だが義祖母が一切の妥協を知らないというのは周知の事実であり、義祖母の凶育を望んで請おうなどという命知らずは後にも先にも私以外にいなかったらしい。
文字通り身を削り、血反吐を撒き散らし才を得、この職務を勝ち取った私ではあったが、その代価は決して安いものではなかった。
先に述べた様に私を嫌い、排斥しようとする者はそれこそ雨後の筍よろしく刈り取る端から次々に生えてくる。
それとは逆に私に、もしくは先代である義祖母に取り入ろうと擦り寄ってくる輩もボウフラの如く沸いて出る。
ひたすらに効率を求め、義祖母を目指し侍女として学んできた所為で同僚からは距離を置かれるか一目置かれるかで対等に付き合える相手がいない。
何よりも義祖母の拷m……戦闘訓練漬けの日々の中で自然と身についてしまったスキル、"強者の威圧"のお陰で小動物からは怯えられるか逃げられる。
私とて年頃の女である、小さくて可愛らしいものに心ときめかせる事くらいある。
だが、仔猫は私を見れば生物の限界を超えた動きで逃げ、仔犬は服従のポーズをとる。
小鳥? リス? 近寄るどころかこちらを見るや即座に回れ右をしますが何か?
動物が駄目ならば、と幼生の魔物を愛でようと思いもしたが、どうやら魔物は動物以上に強者の威圧に敏感らしく寄ってくるのは害のある可愛らしさとは無縁なバケモノばかりであった。
ドラゴンパピーが涙目で震えるのを目にした時、私はすべてを諦めた。
しかし、今日この日私は神の存在を知った。
馬車から降りてきたティセリナお嬢様が私と目が合うなり逃げるように走り去っていったのは恐らくドレスの汚れを叱られると感じたからだろう。
後程逃げた事と合わせてお説教を、とそこまで考えたところで私の思考は吹き飛んだ。
続いて馬車から現れたゼス様の手中に納まる小さな白いもふもふ。
泥に汚れて多少くすんではいるが白くもふもふとした毛並み、ピンと立った耳、くりくりとした大きな瞳、鼻をふんふんと鳴らしながら周囲をキョロキョロと見やるその仕草。
見紛う筈もない、それは私の愛でたいランキング不動の第一位、ラビであった。 しかも掌サイズの幼体である、神様ありがとう。
如何にゼス様から奪い取るかを脳内でシュミレートしていたらなんとゼス様はラビを掌に乗せたままこちらへとやってきた。 その上私を指名してその子の面倒を見るよう申し付けてきた。 ゼス様ぐっじょぶ。
これの世話を? と表面上はさも面倒事に眉をしかめつつさりげなく指差すふりをして指を向ける、あわよくばふんふんと鼻を鳴らし匂いをかぐ仕草をしてくれれば、と期待を籠めて。
だが、その後の出来事は私の予想とは遥かかけ離れていた。
八割怯える、一割六分無反応、四分鼻を鳴らしてくれる、と予想した私の思考を上回りそのラビは信じられない事に私の指先に前足でタッチしてきた。
あまりの出来事に驚き、咄嗟に指を引いてしまったのは我ながら痛恨のミスであった。 慌てすぎて勢い良く指を引いたお陰でラビの前足を弾き除ける形になってしまったのも悔恨の極みである。
今の一連の行動で怯えられてはいないか、嫌われていないかと思いつつゼス様相手に適当に心にもない言葉を投げかける。 その合間にちらりと目をやればこちらをじっと見つめてきている、どうやら嫌われたり恐れられたりはしていない模様?
ああ、もう我慢できない。 ゼス様との会話を続けつつ手を伸ばしラビを摘まみ上げる。
もし暴れたり嫌がる素振りを見せればすぐに手を離すつもりだったが抵抗どころかリラックスした様子で、あろう事か身体から力が抜け四肢が弛緩しその小さな体躯がうにょ~んと伸びる。
本来ラビは臆病で人を見たらすぐに逃げる。 もしも運良く捕まえたとしても全力で暴れるか怯え意識を手放すかであり決して人に懐くことはないと言われていた。
だが、このラビはまるで違っている。 人を恐れず、捕まえられても平然とし、指を差し出せば自分から触りにくるほどの積極性を持つ。
決めた、この子は私が飼おう。
ティセリナお嬢様の御客人? 知ったこっちゃありません、この子は私のものです。
その代わりお説教は少し甘くして差し上げましょう、具体的には三時間ほどで勘弁するとしますか。
上の空でゼス様と会話を続けつつ、そう独りごちると何故かラビがびくりと震えた。
その後も暫くゼス様と会話を続けたが内容はまるで覚えていない。 ベン様とハース様がどうの、と言っていた気がしますがまた何かやらかしたのでしょうか、とりあえず後日お折檻でもしましょう。
などと考えているとどうやらゼス様の語るべき言葉は尽きたようなのでさっさとお暇する事に。
目指すは浴室、風邪をひくといけませんから井戸は論外です。
勝手口から城内に入り、そのまま自室へ。 私達城仕え用の大浴場もありますがあそこではいらぬ横槍が入らないとも限らない。
その点私の部屋なら小さいながらも個人の浴室が拵えてあり、プライベートである為邪魔者が割って入ることも無い。 ティセリナお嬢様が乱入してくる可能性が無いでもないが、そこは部屋の鍵をかけておけば良いだけの話である。
足早に自室へと入り、施錠をし、念の為結界魔術と封印魔術をドアに張り一息。
もはや障害はありません、存分にこの子を愛でるとしましょう。
と、気合を入れたはいいものの浴室に連れ込む際、抱えていた謎のピンク色の物体を手放させるのに非常に苦労をした。
盗らないから、体を洗うのに邪魔になるから、と必死に宥めるとこちらをチラチラと見つつそれを脱衣籠に収めた。
見たことの無い材質ですがいったい何なのでしょう、あれは?
余程大切なものなのか触れてみようと手を伸ばすと慌てて飛びついてこちらを威嚇してきた。 嫌われるのはいやですし触らぬ神になんとやらですね。
もうしませんから、と謝罪するとおそるおそるそれを手放し私の差し出す手に乗ってくる。
これ以上警戒させないようさっさと浴室に連れ込むとしましょう。
ところで今更ですがこの子、もしかしてこちらの言葉を理解していません?
もしかするとラビという種は一般に知られる以上に優れた生物だったりするのでしょうか?
そんなこんなでひと悶着はあったものの無事、ラビを浴室に連れ込むことに成功しました。
逸る気持ちを抑えつつ浴槽に備え付けられた魔石に手を触れ魔力を流し込む。 これは青の魔石で水が発生し、赤の魔石でその水が暖められるという浴槽と一体型の魔具である。
ただし赤の魔石で暖められるのは浴槽に溜まった水である為この場合は少し不便だ、発生する水そのものを暖めるような魔具はないものなのでしょうか?
今度街で探してみようと心のメモ帳に記しつつ赤の魔石に魔力を流そうと手を伸ばした途端、太腿に襲い来るくすぐったいような、むず痒い様な感覚。 咄嗟に口元を押さえなければみっともない声を上げてしまうところだった。
必死にそれを飲み下しながら太腿に目をやれば前足で私の太腿に掴まり、後ろ足で立ち上がるラビ。 なんですかそのポーズ、私を魅惑する気ですかいいでしょう抵抗は一切しません。
ですがとりあえず揉むのだけはやめなさい、変な声が出てしまいますので。
そんな思いを籠めて痛くないよう気をつけながら押し潰す、飼う以上は躾も必要ですからね。




