23:我の知らない一幕
「………ラビさん、すっごくおなかすいてたんだね」
呆然とした表情でそう呟くちみっこ。
その手中に収められた巾着袋は中身をすべて吐き出しすっかり萎んでいる。
蜂蜜を絡め軽く焙った木の実をふんだんに混ぜ込んだクッキー、大変おいしゅうございました。
これを作り上げた菓子職人さんに敬意を表しますです、けぷっ。
「このチビ、自分の体積の数倍量のクッキーをどうやって詰め込んだんだ……?」
「魔物故、常識では計れないとはいえ流石にこれは……」
野郎'sも呆れ顔でこっちを見つめてきている。
婦女子を無遠慮にジロジロ見るとか紳士じゃありませんね。
ちみっこが支えてくれているコップの中身を飲みながら背中に感じる視線に眉を顰める。
ちなみにこちらは紅茶でした、ミルクとお砂糖増し増しでとても素敵に甘いですね。
余は満足ぢゃ、紅茶を飲み干しちみっこの膝上にぺたん座りしてお腹をなでなで。
うん、ちょっと食べ過ぎた。 腹八分どころか腹十二分くらいあるねこれ。
断言してもいい、あと数分で我は意識を手離して夢の世界の住兎になる。
いやいや、いかんですじょ。 いざという時の為にも常に周囲の警か…i……ぐぅ。
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「…なぁお嬢、やっぱそれ捨てた方が良かねぇですか?」
お嬢の焼き菓子を一枚残らず食べ尽くした挙句、高級品の紅茶をこれまた高級品である白糖とミルクをたっぷり入れたお嬢お気に入りブレンドの紅茶を飲み干し、あまつさえお替わりまで要求。
散々飲み食いした後はお嬢の膝の上で眠り始める始末。
こんな図々しいラビ、冒険者時代でも見た事ねぇぞ。
「ここまでふてぶてしいラビは初めて見ますね、普通は臆病で人を見たら即逃げる筈なのに……」
ハースの野郎も俺と同じ感想を持っているらしい。
そうだよな、普通ラビってやつは人を見たら即座に逃げ出すくらい臆病だよな?
どうやら俺の常識がおかしいわけじゃなかったみてぇだ。
だがそうなると俺が指差しているアレはなんなんだって話になる。
魔物には通常種だけでなく変異種や特異個体なんて例もありはするが、だからって図々しさ特化の変異や特異なんざあってたまるかって話だし……。
「やだ!」
が、俺の敬愛するこの小さな姫君はやたらとあのふてぶてしい毛玉が気に入ったのか取り付く島もありゃしねぇ。
お嬢があんなん拾って持って帰ったら俺やハースはきっとあの侍女頭に叱られるんだろうなぁ。
折角のドレスもあの毛玉の所為で汚れちまってるし、下手すりゃ叱責どころか折檻まであるかな、これは……。
恐らく俺と同じような事を考えているであろうハースも渋面に冷や汗を浮かべている。
皇宮侍女頭シェラ=フォーン。
20半ばの若さでその地位に就く娘御は、まさに完璧と言っていい程に侍女としての才覚と能力を有する。
おまけに立ち居振る舞いはそこいらの貴族なんぞじゃ足元に及ばず、その容姿はまるで物語に出てくる女神のよう。
あれで元は家なき孤児だってんだから世の中間違ってやがる。
ただ、アイツ怖えぇんだよなぁ……。
皇族に対する振る舞いがなっていない、とお叱りを受けた回数は数知れず。
城を抜け出して酒場や色街に繰り出せば必ずばれ、戻るや正座で叱責三時間コース。
普段は鉄面皮の癖にキレりゃあキレるほど表情に笑みが刻まれていくもんだからあいつの笑った顔を見るだけで冷や汗が出るようになっちまった。
そんなアイツを本気で怒らせると満面の笑みを浮かべる、ただし目だけは笑ってない。 で、愛用の戦斧を片手に追い回してきやがる。
そう、戦斧である。
2メートル半にも及ぶ総ミスリル製の長大なそれをまるで小枝でも振るうかの如く扱いやがる。
あの細腕でどうやってんのかは知らねぇが少なくとも俺にゃ真似はできない。
ちなみに奔放で知られる我らが皇帝陛下もあの女の被害者であり、アイツが笑顔で 「へ・い・か?」 と言葉を紡ぐと顔を真っ青にしてガクガクと震えだす程に調教されている。
まぁ床に正座させられて薄皮一枚を戦斧の刃に撫でられながら説教を受けりゃあそうもならぁね、同様の体験をした俺が言うんだから間違いない。
満面の笑みを浮かべた端正な顔立ちの娘っ子がその綺麗な唇から説教の文句を吐き出しながら合間合間に戦斧を振るうと風切り音を立てながら目で追えぬ速度で刃が舞い、薄皮一枚を引き裂かれるのだ。
その恐怖は俺が味わってきた中でも五指どころかダントツで首位独走中である。
おぞましい躯の王が率いる死者の軍団と対峙した時も、成竜の番とやり遭う羽目に陥った時も、男だけを襲う触手生物相手に己の尊厳を賭して戦い抜いた時でさえあそこまでじゃあなかった。
で、皇都に帰参して事が露見すれば俺はそんな女傑からお叱りを受けるってワケだ。
嬉しくて震えと冷や汗が止まりゃしねーぜコンチクショウ。
「あのラビを見つけたのは御者で、それを確認して姫様に報告をしたのはお前だ。 従って私に非はないと思うのだがどうだろう」
そんな事を考えているとハースのクソ野郎がそんな寝言をほざきやがった。
「ッザけんなよテメェ、お嬢が馬車を飛び降りるのを制止しなかったのはテメェだろうがよっ!!」
「それに関してはお前も同罪だろう、そしてあのラビを姫様が抱きかかえるのを止められずドレスに泥をつけさせてしまった責もまた私だけでなくお前にもある」
そこまで言ってハースはクイ、と右手の中指で眼鏡を押し上げる。
相変わらずスカした仕草が気に食わねぇ。
「故にその二点については素直に罰を受け入れよう。 だが姫様に手のひら程度の体躯の子ラビが倒れていると告げて興味を惹かせたのは間違いなくお前の咎だと思うが如何かな?」
「俺ァ『お嬢の手のひらくれーのラビがくたばってただけみたいでさ』っつっただけだろうが、あんな物言いでお嬢が馬車から飛び出してくるとか予想できっかよ!」
「別段道を塞いでいた訳でもなければ害があった訳でもなし、車輪を汚すのが問題だと思ったならつまんで放り捨てれば良かっただけの話だろうに。 姫様には倒木があったなり適当に告げればそれで済んだ筈だ」
「皇族相手に嘘を吐けってか。 流石は紋章院きっての俊英殿、俺みたいな野良犬にゃ恐れ多くて発想すら浮かばないような事をよくもまぁ平気で口にできるもんだな」
「悪意をもって吐く嘘と相手を慮って口に出すソレの差も理解できない様な輩が近衛騎士団長とは嘆かわしいものだ」
互いに睨み合い、険悪な雰囲気を醸し出す二人。
だが、二人は互いを意識し過ぎるが故に失念していた。
ここは皇宮の一室ではなく狭い馬車の中であり、自分と相手の二人だけでなく己等の仕える王の娘もいる事。
そして何より七三メガネ…ハースの口にした 「車輪を汚す」 「つまんで放り捨てる」 がその王娘が二人の言い争いに柳眉を逆立てる直前まで優しく撫でていた、己の膝の上で眠る小さな命を指す事。
二人は皇城に戻れば酷い目に遭うと考えている、それ自体は間違いない。
ただし、その酷い目とやらが己等の想像の遥か上をいく拷問の類である事にはついぞ考え至らぬまま、馬車は哀れな子羊二人と怒れる幼女、そして暢気に眠る毛玉を乗せてがたごとと走り続けるのであった。




