111:大乱-⑰
「うぅ……」
ずきずきと痛む頭を手でさする涙目のエンフェイナ。
その姿は先ほどまでのドレスとは違い、動きやすさを重点としたパンツルックへと変わっている。
隣で赤く腫れた額を押さえめそめそと泣くティセリナも侍女達によって着替えさせられ、エンフェイナ同様にパンツルックに様変わりしている。
鈍痛を堪えたんこぶをさすりながら改めてエンフェイナが室内の人間を意識的に捉えてみれば、まず目に飛び込んでくるのは三人の兵士。
ガオルーンの正規兵に支給される金属鎧でなく革鎧に身を包んだ彼らの顔には見覚えがある。 確か家令であるゼスの手勢の中でも特に優れた者達であったと記憶している。
自身の虎の子をこちらに回す辺り、あの老執事の忠節に限度というものはどうやら存在しないらしい。
紳士然とした、執事の手本と呼んで差し支えないその姿を思い浮かべ苦笑しつつエンフェイナはその瞳をスライドさせていく。
三人の兵士の隣に並ぶは、同数の侍女達。
身軽さを重視しつつも必要な物資を詰め込んだ荷をその手に持った彼女達はいずれも皇族付きのベテラン揃いであり、尚且つ逃走の足手纏いにならぬよう考慮された為か年配はおらずいずれも二~三十代ほどに見受けられる。
毅然とした表情からは不安も怯えも見て取れず、城を捨てての逃避行への悲壮感は微塵も感じられない。
無論、そういった感情がまったくない訳はない。
つまり、それらの感情以上に皇族……というよりガオルーン皇国への忠誠心が勝っているのだろう。
そう読み取ったエンフェイナは、くすぐったいようなじれったいような感情を抱くと共に父への畏敬の念をより一層強める。
と、そこでふとエンフェイナの視界にぴょこんと伸びた白い何かが飛び込んでくる。
侍女達の三人目、エンフェイナから見て一番右にいる彼女の横の空間に飛び出た一対の白い何か。
見ているとぴこぴこと僅かに動いているそれを視界の端に捉えたまま、エンフェイナの視線はゆっくりと下へと降りていく。
…そこにいたのは、ティセリナと同程度の身長のメイド服に身を包んだ少女であった。
白い何かはどうやらその少女の頭頂から生えたもののようで、以前シェラの部屋で見かけた白い毛玉の頭頂に生えていたものと同じものに見受けられる。
「…兎人?」
思わずエンフェイナの口の端から零れた単語をその大きな耳が捉えたのか、ぴくりと跳ね。
少女の赤い瞳が、エンフェイナの姿を捉えた。
身長から予想していた通り、幼い顔立ち。 身長差も相俟って上目遣いの緊張した面持ちでこちらを見るその姿は庇護欲を擽られる。
思わず頭を撫でてみたら顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
……何これ可愛い、持って帰ったら駄目かしら?
「言っておくけれど、その子はゼスの娘よ? 命が惜しいなら不埒な考えは捨てなさい」
その直後、まるでエンフェイナの心を読んだかのように言葉を投げかけてくるルールゥ。
読心でも身につけたの!? と問わんばかりに目を見開き凝視するとはぁー、と深く溜息を吐かれた。 解せぬ。
と、そこでふとエンフェイナはルールゥの言葉に疑問を抱く。
後半の言葉につい反応してしまったが、ルールゥは前半なんと言っていた?
「…ゼスの、娘?」
問いながら目の前の少女の耳を摘まむ。
柔らかく、ほのかに暖かい。 そして嫌がるようにぴくぴくと動きエンフェイナの手から逃れようとしている。
…どうやら作り物ではないらしい。
だが、エンフェイナの知るゼスは人間である。 ついでに言えば独身であり、浮いた話など聞いた記憶がない。
「勿論義理のよ? 行き倒れていたのを見つけてそのまま引き取ったらしいわ。
皇城に奉公するようになったのは半年前からだからエンフェイナ様と面識がなくて当然よ」
半年前……考えるまでもなく学園生活の真っ只中である、それで面識があったら逆に吃驚である。
しかし、あのゼスが兎人を拾って、保護……。
「…ゼス、兎人趣味でしたの?」
兎人趣味、それは主に王侯貴族や豪商などに多く見られる病である。
幼い兎人に教育を施し、自分好みの淑女に育て上げ愛でるそれは幼女嗜好と獣人嗜好の複合病とされ、完治は不可とされている。
「それをゼス相手に言ったガオルーン皇は肘、膝、肩、股関節、顎の骨を外されて裏庭に捨てられたんだけれど……同じ道を辿りたい?」
真っ青な顔で必死に首を横に振るエンフェイナと、義父が王に蛮行を行ったと知りコヒュッ、と息を詰まらせ石化する少女。
奉公を始めてたった半年の、それも侍女見習いの少女がこの国の王の扱いを知る筈も無く。
悪い事をしてしまった、とルールゥは反省し。
さて、どうしたものかと眉を顰めながらもとりあえず少女を再起動させるべく一歩を踏み出したその瞬間。
ピクリ、と少女の耳が跳ね。
白目を剥いていた瞳に意思が宿り、弾かれるように地を蹴り跳躍する。
そのまま両腕を伸ばし進路の先で未だ額を押さえめそめそと泣いていたティセリナの体を掻き抱き、速度を緩める事無く全力で駆け抜け。
───…次の瞬間、先程までティセリナの居た場所に近しい位置取りの壁が砕け散る。
「なっ……」
飛び散る瓦礫と粉塵を切り裂き室内に飛び込んできたそれは、虎・猿・雉の三つの頭と三対六本の蟷螂の鎌を生やした三面六臂の巨熊だった。
体形と、腹部に生えた熊の頭から恐らくベースになったものは熊の魔物と思しき合成獣は三つの頭、六つの眼で周囲を睥睨しながら歩を進め。
「うおおぉぉぉおっ!!」
裂帛の気合と共に剣を振るった兵士を、腕の一振りで両断した。
「合成獣っ!?」
次いで、我を取り戻し剣に手をかけた兵士の頭部を刎ね。
「はぁっ!!」
その一瞬の動きの隙を突き伸ばされた巨熊の腕の陰から突き出された三人目の兵士の一撃は、その毛皮を貫く事叶わず。
ゴリュッ!
虎の顎が、兵士の頭部を噛み砕く。
「ひっ!」
侍女の悲鳴が響く中、頭部の左半分を失った兵士は、それでも倒れる事無く震える腕で必死に剣を振るい。
その振るった剣ごと縦に両断され、血飛沫と共に左右に分かたれ床に沈んだ。
その光景を前に、ルールゥの脳裏を過ぎるのはどうしようもない後悔の念。
失態である、それも致命的な。
危険である事くらい理解していた筈だ。 一刻の猶予もないと認識していた筈なのだ。
にも関わらず、迂闊にも城内に留まり続け、その結果が今目の前の惨劇である。
本来ならば問答無用で両皇女を連れて城を離れるべきだったのだ。
状況説明など後でもできた。 ティセリナの心情のケアなど今すぐしなければならない道理などなかったのだ!
どこまで愚かなのだ、ルールゥ=ルーロゥ。
心の奥底から湧き上がる憤怒のままに、地を蹴り、己に対する憤りを拳に乗せ渾身の一撃を巨熊に見舞う。
その拳が三面の一つ、虎の横っ面を捉えると同時に拳に籠めた爆炎の術式が炸裂し、巨熊の体を砕けた壁の向こうへと押し戻した。
「フィナッ!」
ルールゥの声に反応し、ティセリナを抱き締めた兎人の少女が振り返る。
「ティセリナ様を連れて逃げなさい、今すぐっ!」
その言葉に、一瞬逡巡する様子を見せるも。
「はいっ!!」
瞳に決意の色を宿し、応答と共にティセリナの手を取り扉を蹴破り部屋を飛び出していく。
「スィ、ニル、セッテ、貴女達もエンフェイナ様を連れて行きなさい。 いざの際は……」
「「「この身を以って盾になります!!」」」
最後まで告げる前にそう答える三人の侍女に大きく頷き、ルールゥはその視線をエンフェイナへと向ける。
唇を噛み締め、悔しそうにルールゥを見返したエンフェイナだったが、やがて握り固めた拳を己の頬へと叩き付け。
「ルールゥ=ルーロゥ、死ぬ事は許しません。 生きて私の元に戻りなさい、命令ですわ」
こちらを射殺さんばかりに睨め付けながらそれだけ告げると、踵を返し二人の侍女を伴いティセリナの後を追うように部屋を飛び出していった。
「…主命、確かに承ったわ」
そう呟き、一瞬だけ苦笑し、次の瞬間には表情から感情を失い。
ガラリ、という瓦礫の崩れる音と共に室内へと戻ってきた巨熊と向き合う。
先程の魔術の一撃を受けた虎の顔は焦げ、潰れ、残った二面が唸り声をあげながら忌々しげにこちらを見やる。
更に、壁の穴を通り室内へと入ってくる影が二つ。
鷲の顔を持ち、翼を生やした大蛇。
手足を持ち、本来眼球の存在すべき部位から正面へ向け螺旋状の角を生やし口の端から青白い炎を漏らす巨大魚。
更に壁の向こうからは幾つもの気配。
閉所で、どれだけいるのかも分からない合成獣の群れを相手取り、生きて主の元へ戻る。
「…ウシュム様やラヴェルナ様ですらここまで無茶な命令はしないわよ?」
そう、一つ呟き。
瞳を閉じ、大きく息を吸い、一息に吐き出し。
「この命、安くはないわよ?」
瞳を開き、怒号と共に突進してくる巨熊を見据え言葉と共に渾身の蹴りを叩き付け。
轟音と共に、室内が激しく揺れた。




