第一章「帰還と脆弱な平穏」7
「おい、三厳! いい加減に起きろ」
ゼノに身体を揺さぶられて朝がやって来る。
そもそもベッドに入ったのが朝方だったからもう朝ではないかもしれない。
あー、でもこんだけ眠いんだからまだそんなに寝てなかったんだろうな。
うん。
もう一回寝よ──
「だから起きろって言ってんだろ!」
勢いよく布団をはがされる。
ううっ、せっかくの温もりが……
「もう13時だぞ……自堕落にもほどがあるだろ……」
13時ってことはきっちり7時間半は寝ているのか。
それにしてはクソ眠い。
あれだな。
ノンアルコール睡眠とかなんとかっていうあれが関係してるんだな。
たぶん。
まあ、そろそろ起きることにしよう。
「ゼノ」
「なんだよ」
「呼んだだけ」
「殺すぞ」
なんとも物騒な妻だな。
ほら、もうちょっとイチャイチャしてくれてもいいじゃないか。
いや、実際あのゼノにイチャついてこられたら違う意味で怖いんだけどな。
むしろ想像がつかないから怖くないのか?
もう何がなんだがわからなくなってきた。
「それで昨日はどこで油を売ってたんだよ……あの後バルハクルトが相当怒っていたぞ」
「ああ……明日のこととか、それに関連することが面倒なことになっててな」
「やっぱりそんなところだったか」
ゼノは出来るだけ関わり合いになりたくなかったのか顔をそらした。
こいつも結構な面倒くさがり屋だからな。
「んで、起きて早々で悪いが出かけてくるわ。ベルちゃんとバルハクルトにはそう伝えておいてくれ」
「面倒なことを押し付けるな……」
「ならゼノもついてくるか?」
「それはもっと勘弁だ……」
ゼノは諦めたように溜め息をついて寝室の階段を上がっていく。
俺もバルハクルトに見つからない様に脱出するとしますか。
「召喚!」
エスシュリー(仮)を操作してリリィとサシャを召喚する。
リリィは昨日のバニー姿ではなく本来の服装。
サシャはまだ起きていなかったため部屋着姿で床に倒れている。
「出かけようと思ったんだが、まだサシャが寝ていたとは……」
「サシャさんがこんな時間まで寝ているなんて珍しいですね」
「──昨日お兄さんが寝させてくれなかったから……」
おい、誤解されるようなことを言うんじゃない!
てか起きていたのかよ!
「誤解?」
サシャは何を言っているの?
と言いたげに首を傾げている。
リリィに助けを求めたいところだが、リリィはリリィでさっきの発言を真に受けてしまったのか触れてはいけないような雰囲気を出してるし……
なんというか、これは修羅場とかいうやつじゃないのだろうか?
「もういいから、サシャは着替えてくれ」
「着替え…………見たい?」
「そうじゃねぇよ!」
分かっているくせにわざわざそんなことを言ってくるサシャの相手をしていると溜め息が出てくる。
もういっそのこと後から回収したら良かったな。
「サシャは現地に着いてまた呼ぶから、それまでに着替えを済ませておいてくれ。──解除」
「あの、マスター……怒ってますか?」
「いや、なんで?」
「なんかいつもと様子が違うので……」
自分からしたら普段通りにしているつもりである。
しかし長い間一緒にいるリリィがいうくらいだからどこかおかしいのだろうか?
「たぶん私の気のせいだと思います。それよりも今日はどちらに行くんですか?」
「とりあえずは始まりの街へ行って下見。その後は色々と調べものがしたい」
「分かりました。──それでは行きましょう」
光に包まれることわずか数秒。
俺とリリィは始まりの街中心地へ到着した。
さすがに昼間ということもあって通行量は多いが、それでも俺たちを気にする街人はいない。
まあ、異世界から毎日のように冒険者が転送されてくる街なのだから、こんなことは日常茶飯事なのだろう。
と、思っていたのだが……
「あの、マスター……視線がすごく集まってませんか?」
「そうだな……」
誰かが俺とリリィに気付き、ひそひそと話をし始めると、それが伝播するように周囲に広まっていく。
なぜ?
そんな疑問も一瞬にして答えが浮かんだ。
そういえば俺とリリィはこの街で起きていた連続殺人の容疑者に似ているんだった。
俺たちを模して用意された犯人だから誤解であろうと、それを証明する手立てもないわけで。
かろうじてできることは、少しでも怪しさを和らげるために被っていたフードを外すくらい。
それがどうなるというわけでもないが、やらないよりはましだろう。
「──とりあえずこの地図の場所に向かおう」
「はい」
俺たちは視線から逃げるように街の中を移動する。
咄嗟にリリィの手を掴んでいて、それに気付いた時には既に赤面したリリィが完成していた。
こういう反応をされてしまうと俺まで恥ずかしくなってくる。
ロリリリィとならこんなことはなかったのにな。
なんて昔のことを思い返して、そして罪悪感に苛まれた。
ロリリリィとなら誘拐みたいになるじゃねぇか……
「……あの、どうやらここみたいです」
「えっ!? ここ?」
夢中で歩いていたせいか、距離感がおかしくなっていて、俺は素頓狂な声をあげてしまった。
ただその反応は違う意味としてリリィには伝わってしまったようだ。
「そうですよね……どうしてこんな普通の建物なのでしょうか?」
始まりの街中心地から入り組んだ路地を進んだ先にあった建物。
店などが立ち並ぶエリアとは違い、閑静な住宅街に立っているこの世界では一般的なそれは、道を間違えたのではないかと不安になるほどだった。
ここに連続殺人の犯人が住んでいる?
確かに木を隠すなら森の中。
つまり普通の建物に潜伏しているのは理に適っている。
しかしあいつが残した紙には『舞台と観客はこちらで用意する』と書かれていたらしいからそれと辻褄が合わない。
「──あぁ? なんだ、兄ちゃんたち」
そんな時、件の建物から男が出てきた。
ゴツい身体に頭の悪そうな顔。
髪型もモヒカンみたいで、マンガなんかに出てきそうな雑魚キャラそっくりの男である。
以前までならこんな奴に絡まれただけでも怖いと感じていただろう。
ただ、今となってはただの意気がっている雑魚なんだよな……
「黙ってないでなんとか言えや! それかここから消えろ」
よく分からんが、異常なまでに沸点が低いのか、モヒカン野郎は俺の胸ぐらを掴もうとする。
しかしその手は魔方陣のような紋様が浮かび上がった結界に弾かれた。
「マスターに手出しをするようならば容赦はしなくてもいいですよね?」
「容赦しなかったら死ぬだろ……怖いこと言うなよ」
やはり目の前にいるモヒカンよりも、隣にいるリリィの方が怖かった。
普段は温厚な彼女だが、俺が関わるとたまに我を忘れることがあるんだよな……
大事にされてるのは分かるし、とてもありがたいことなんだけど、立場が逆でありたいというか、そこまで過保護にならなくてもいいというか……
「こ、こいつっ!」
「──止めとけ、本当に殺されるぞ」
俺とリリィに殴りかかろうとしたモヒカンは、建物から出てきた男に止められた。
もやしみたいな細い身体をしているが、少なくとも力関係ではモヒカンよりも上だろう。
なぜなら動きにムダが少ない。
あと、力を加えた腕に浮き上がっている血管がものすごく気持ち悪い。
もっと飯食えよ……
「この人たちは明日のイベントの参加者だ。俺らごときで喧嘩を売れる相手じゃない」
イベントってなんだよ……
いや、めんどくさいことなのは察したから聞きたくないけどな。
できることなら何も知らず、何も関わらず、平穏な魔王生活が送りたい。
こんなにすぐ新たな問題が起こる脆弱な平穏なんて求めていないんだ。
「それで今日は下見ですか? そうなら中を案内しますが」
「……えっと、はい」
「それならば中へどうぞ」
そして俺とリリィは建物の中へ通される。
その先にあったものはエレベーターのような乗り物と、それで降りた地下に広がる大きな闘技場だった。