第六章「ほの暗い緑の匂い」6
「到着でござる」
リアに背負われることわずか10分。
マラソン選手よりも早いのではないかというスピードで走り続けた彼女は予定よりも相当早く目的地へ到着した。
数えた木の数は200本。
それを越えた辺りから数えることよりも、車酔いならぬヴァレリア酔いに耐えることになって、そんなことをしている余裕もなくなった。
酸素の供給を求める身体と、揺れを感じなくなった環境で正常な機能を取り戻そうとする脳。
その狭間に立たされた俺はただ弛緩するようにリアの背中で項垂れていた。
「魔王様、大丈夫ですか?」
「歩くよりも疲れたかも……」
大丈夫か。
それとも大丈夫でないか。
そう聞かれたならば答えは間違いなく後者だ。
こんなことなら時間がかかっても自分で歩くべきだったと思いはするが、それはそれで到着した時には同じように疲れはてていただろうと思える。
まあ、結局、どっちにしろ俺からすれば困難な道のりだった。
「ひとまず下ろしますね」
リアは俺の身体を地面に降ろす。
そしてそのままお姫様抱っこで木陰まで運んでくれた。
お姫様抱っこに憧れる女子は多いという話だが、それが逆の立場になったらそうでもないらしい。
むしろ恥ずかしさの方が勝つ。
まあ、そんなことをできる女がこの世にどれだけいるかと聞かれれば、そうはいないという答えになる。
つまり俺が軟弱なのではなくて、リアが異常なまでに強靭すぎるのだという結論にしておこう。
「拙者はしばらくこの付近を探索してくるでござる」
「はい。しばらくの間私が魔王様の面倒は見ておきましょう」
そして正成が徐々に視界から小さくなっていく。
リリィが何やら仕掛けがされているとか言っていたが、まあ、正成なら死ぬことはないだろう。
「魔王様」
「どうした?」
「2人っきりになりましたね」
リアはそう頬を赤らめて言った。
もちろんそれが冗談であることは分かっている。
しかし、今の俺にはそれにつっこむだけの余裕すらない。
「そうだな」
「……はぁ、魔王様はつれませんね」
「まあ、そんなもんだろ」
リアは呆れたように溜め息をつくと、俺の横に腰をおろす。
やたらと距離が近い気はするが、まあ、何かされるわけでもないからほっとくことにした。
「それにしてもここは長閑ですね」
「そうだな」
「泉の水も澄んでいます」
「そうだな」
「ほとりに咲いている花も綺麗です」
「そうだな」
「エッチでもしますか?」
「しない」
「引っ掛からないんですね」
「そうだな」
適当に返事をしているが、話を聞いていないわけではない。
てか、やっぱりリアがおかしくなっている気がするのは俺だけなのか?
「はあ……それでは私はそろそろ帰ります」
「ああ、そういえばリリィを1人残してきてるもんな」
「はい。このままこちらにいたらリリィさんに拗ねられてしまいそうですから」
子どもじゃあるまいし。
そう言おうとして踏みとどまる。
リリィのことだから本当に拗ねていそうだなんて思ったわけではない。
いや、実際は思っているんだが、まあ、さすがにそこまでじゃないと信じたい。
そうじゃなければ帰った後大変そうなんだよな。
うん。
「それじゃリア、ありがとな」
「はい。また何かあったらいつでも呼んでください」
そして俺はリアの召喚を解除する。
初めて来た泉のほとり。
その木陰で1人きりになって、ふと息を1つ漏らす。
ここで魔獣にでも教われたらたまったものじゃないな。
なんてことを思いながらもまぶたは休養を求めていた。
そっと瞳を閉じる。
それからしばらく何も起こらない平和な時間が過ぎて、正成が調査から戻ってきた。
「ただいま戻ったでござる」
「おかえり」
「やはりリリィ殿が言った通り魔術による結界のようなものが張られていたでござる」
「ようなって?」
「簡単にいえば無限回廊でござる」
無限回廊ってことはあれか。
あの進めど進めど同じ場所に戻ってくるってやつだ。
ということは、この泉の先にエルフの集落があるというのは間違いないだろう。
後はリリィを召喚して突破するだけの話だが……
「それは明日にするか」
「そうでござるな。今日はそろそろ日が沈むでござる」
「となると、今日の飯をどうするかだが……」
「水はここの泉の水が飲めるでござる。しかし食べ物はもう残りが少ないでござるな」
そうなると最終兵器を投入するしかないのか。
ホント、我ながら遭難とは程遠い人生を歩んでいるものだ。
「コンタクト──リリィ」
エスシュリー(仮)を操作してリリィと連絡を取る。
用件は至ってシンプルだった。
「はい。マスター、いかがしましたか?」
「お腹空いた」
「……はい。こちらで何か準備しますね」
その言葉だけで意図していることが通じるとはな。
いや、余計な説明をする労力が削れてすごくありがたいんだが。
「ついでに酒もほしい」
「分かりました。準備ができたらまた連絡を入れますね」
そうしてコンタクトが終了する。
食糧がないなら外部から持ってこさせればいいじゃない作戦は大成功のようである。
「──誰かが来るでござる……」
そう安心しきったところで正成がそう呟いて気配を消した。
しかし、咄嗟のことに判断が遅れた俺は、泉のほとりをこちらに向けて歩いてきたやつと目が合ってしまった。
それはリリィに似たエルフの金髪娘だった。




