ギエナVSハルト
「情報屋イリスの名にかけて、今すぐギエナをここに呼んであげるわ」
おぉ、と、皆が声を上げた途端、西側の天井が爆ぜた。
「あぁぁああああ!」
同時に、聞き覚えのある叫び声。
「へ?」
振り向けば、呼んであげる、などと高らかに宣言した人物その人が、轟音と共に天井から落ちてきているところだった。
パクスの炎の面々が沈黙に包まれる中、ゆっくりとギエナが立ちあがった。
「ってこらぁぁ!俺に賞金を懸けやがったのはどいつだぁぁ!!?」
「あの馬鹿っ!」
事は穏便に済むはずだったのに、ギエナ張本人が穏便に済ますつもりがなかったらしい。
「アレイス。……あれで間違いないのか?」
イリスはギエナのところに駆けていって頭を殴り付けたい衝動をぐっとこらえ、一旦アレイス達の動向を見守る。
「……あぁ、間違いない。あれこそが私の求めたバンビ耳の戦士だ。だが、不墜のイリスよ。……できれば次は天井を壊さないで呼んでくれないだろうか」
私じゃない!とイリスは叫びたかったが黙っておいた。
「って、一暴れするのかと思えば瓦礫に埋もれた馬鹿どもを助けてんじゃないのよ……」
「わ、すごい。瓦礫吹き飛んじゃいましたね。んー、今のどうやったんでしょう?イリスさん、あの方はどういう方なんですか?」
見れば、ギエナは自分で落とした天井の残骸を蹴り飛ばして、その反動でこけていた。
「あ、ああいう奴よ、ギエナは……」
正直、それしか言葉が出てこなかった。
ともかく、アレイスたちが穏やかな姿勢を保ってくれていることを確認したイリスはギエナのもとへと駆けた。
もちろん、これ以上暴れさせないために。
途中、今の今までフレンドリストをオフライン表示にして隠れていたり、挙げ句イリスのメールを無視し続けてくれたりしたことが思い出され、あまつさえそんなギエナのためにパクスの炎のアジトにまで駆り出されているという事実にイリスの方が腹が立ってきた。
「ぎぃえなぁ!?」
だから、久々の再会にしては、地獄の底から響くような声を出してしまった。
「イリス……何故ここに」
声をかけると、ギエナは驚愕といった表情でイリスを見た。
「こっちのセリフよ!ずっとオフライン表示にしたままでどういうつもり――きゃっ」
かと思うと、なんといきなり肩を抱いてくるではないか!
何?なになになに!?
イリスが内心動揺していると、強引にギエナの方に引き寄せられ――後ろに回された。
「下がってろ」
――へ?
見ると、ギエナは未だかつて、イリスが見たことがない表情をしていた。真面目な顔で見据える先には、アレイスがいた。
「そうか。そういうことか。変な逆恨みで100Mも賞金かけやがって……てめぇ、覚悟はできてんだろうな?」
低い声色。ギエナは賞金をかけられたことが相当頭に来ているらしい。
駄目だ、止めないと。
「ギエナ!?ちょっと待ちなさ――ふぎゃっ」
駆けだしたところで、ギエナが散らかした瓦礫に足をとられて転んでしまった。
ギエナはちらりとイリスを振り返ったが、戦友がまた一人犠牲になってしまった、みたいな憤怒の表情をしてからアレイスに向き直ってしまった。
「あぁ。命の恩人よ。その節は世話になった。礼がしたい。できる限りの褒美をとらせたいのだが。それに、貴殿を――」
駄目だ。イリスは思った。今の怒っているギエナには、アレイスの話し方は神経を逆なでするようなものだ。
「ほぅ、礼と?だったらリングマスターの座でもよこしやがれ!!」
「む」
案の定、激昂したギエナがとんでもないことを口走っていた。
「リーダー、試していいんだったよな?」
どうしようか考えが浮かばないうちにハルトが動いた。元からギエナをパクスの炎に入れることを賛成していたわけではないハルトのその表情はすでに穏やかではない。
「抜け。何なら、私に勝てたら私のサブマスターの座をくれてやる」
ここは非戦闘エリアだ。ギエナがPKされる心配こそないものの、斬られることには変わりない。攻撃スキルが使えないということは魔法も使えないのでイリスが助けることできないし、魔法剣士であるギエナにとっても圧倒的に不利だ。それでなくともギエナとハルトには圧倒的なステータス差があるからだ。
「ギエナ、そいつと戦っちゃだめ!」
叫びながら、もう自分ではギエナを止められないことをイリスは悟っていた。
「抜け、だと?うるせぇぇ!!」
止めろと言われたらもっとやる。やれと言われたらやらない。ギエナは、そういう奴なのだ。それでいて、頭に血が上ったら最後、実力差も何も関係なく、徹底的に自分の気が済むようにするのがギエナなのだ。ギエナは剣も抜かずにハルトに駆けた。
何をするつもり!?
イリスだけでなく、ハルトもそう思ったはずだ。
そして、その戸惑いの一瞬の隙を突かれた。
「爆蹴!!!!」
ギエナの左足が蹴った地が砕けた。
右足は、深々とハルトの腹に突き刺さっている。
直後、双剣士は青い閃光となり後ろに吹き飛ばされた。
驚愕の表情を浮かべたのは、きっとハルトだけではない。イリスももちろん。パクスの炎の全員が目を点にしているはずだ。
ここでは攻撃スキルは使えない。
「うらぁぁぁ!!!」
自分でぶっとばしたハルトを、ギエナがもう一度爆蹴をつかって追いかける。ハルトが壁に叩きつけられるのと同時、追い打ちをかけるように、爆蹴で作った勢いのままハルトに爆蹴を放つ。轟音が響き、ハルトが背にする壁にひびが入る。
「何だ……あいつ……」
ストライダがぽかんと開けた口で漏らす。
「バンビ耳の戦士は……ウォンターだったのか?」
アレイスの問い掛けに、イリスは首を振って答えた。
「いえ……ギエナは今、爆蹴、移動スキルを使って戦ってるのよ……」
「いや、それ自爆スキ――」
刹那、ストライダとイリスの間をギエナが高速で通り過ぎた。
爆蹴の反動だ。
遅れて衝撃的な音がギエナを追いかける。
「――ルじゃあ……ぅぉっ!?」
皆が高速で過ぎたギエナを目で追う中、イリスは一人、ハルトを探した。
――ハルトは壁にめり込んでいた。
あれではもう、動けない。
「剣を抜け、って言ったよな。じゃ、そうしてやるよ」
今更か!とは誰も口には出せなかった。
ハルトと戦っても何らかの結果が見れると踏んでいたらしいアレイスですら、あのハルトが圧倒されている事実に絶句していたのだ。
「魔力開放」
その事実にイリスは思う。魔力を開放しはじめたギエナを見て気付く。
攻撃スキルは使えなくとも、攻撃スキルが前提条件となっていない限り、システム外スキルは使用可能だ。
つまり――――
「ギエナって、非戦闘エリアなら最強なんじゃ……」
「爆蹴」
ギエナが、ハルトに止めをさすべく地を蹴った。
大きな縫い針の剣を鈍く光らせ、ホールの端から端まで繋がる一本の光線を描きながら、ハルトへと向かった。
「鉛刀一括」
ギエナの静かな声と、硝子が弾け飛ぶような甲高い音、壁が穿たれ崩れる轟音とがほぼ同時に耳に飛び込んだ。
全ての音が止んだとき、ハルトの姿はもうどこにもなかった。
代わりに、今やパクスの炎のアジトの最上階からは、先ほどは見ることができなかったはずの大空が覗けた。大きな、大きすぎて歪な窓に寄って見ればきっと眼下にプレアデスの壮観が広がるに違いない。
誰もが絶句し、動けないでいると、ゆらりとギエナが振りかえった。
その顔には、勝ち誇ったものではなく、まるで悪鬼羅刹の類いの邪悪なゆるい笑みが張り付いていた。
誰もが一歩たじろいだ。
「あぁ、賞金な。こっちから出向いてきてやったんだ。それで塔の修理にでもあててくれ。……さて、次はどいつだぁ?」
「って、何やってんのよアホギエナ!?」
ただ一人、はっとしたイリスが走っていって悪鬼羅刹の額を思い切りひっぱたいた。