灰色のバンビ耳
どうしてだろうか。
エルストレイに入るとすぐにBBSや「掲示板を確認するのはイリスの癖になっていた。そこに並ぶのは大抵死んだ情報ばかりだが、情報屋を名乗っている以上、誰がどんな情報を持っているのかは把握していないとだめだ。情報屋という肩書で、イリスはエルストレイの中心にだいぶ近づいている。
なんといっても、そのおかげでエルストレイの三大リングの幹部にさえなれているのだから。けれど、その位置もそろそろ危ない。
八紘とは厳しいリングだ。いつまでも八紘のリングに所属しないままだと、そのうち今イリスが背負っている緋鉱も取り上げられてしまうかもしれない。
「でもまぁ、それでもいいよね」
呟いて、頬が緩んでしまう。
ギエナがなんとかしてくれると思ってしまうからだ。
エルストレイで誰も倒すことのできなかった夜車道を、ギエナはなんとソロで倒してしまった。前々からただ者ではないと目をつけておいたものの、この一見で月並みな話だけれど、ギエナなら今の三大勢力の均衡を崩し得るのではないかとさえ思えてしまったのだ。
もしかすると、四大勢力になってしまうかもしれない、というのは色眼鏡で見過ぎだろうか。
――や、でも無理か。
実力はある、と思う。けれど、ギエナには社交性というものが欠如していた。今日びソロプレイヤーなんて流行っていないのに、ソロを貫いている。
あんな性格では、集まる仲間も集まらない。と、そこまでギエナに思いを馳せてから、眉根がおもいっきり歪んでしまった。
「……まぁ」
往来の真ん中でついそんな声を出してしまったほどだ。
ギエナは、決して社交的な性格をしていない。それは事実だ。
未だにフレンドリストには二人しか登録されていないし、それでなくとも付き合いのある知り合いの数は片手で数えきれてしまうんじゃないだろうか。そのくせ何故か妙に魅かれるところがあるし……じゃなくて、ギエナには何かがある。
そうイリスは確信していたのだけれど、いよいよそれは本当のようだ。
エルストレイに入ると、ルーン=アレイス、今現在、プレアデスの中心に最も近い人物の一人に、ギエナは賞金をかけられていた。
「パクスの炎にどんなちょっかいを出したのよ……」
しかも、その額100M。二つしかない0の数を何度も数えてしまった。
1億の賞金首の誕生である。
そしてただの賞金首ではなく探し人だとするならば聞いたことがない。確か歴代の賞金首は2億4000万がずば抜けて最高額で、その次が一億を切っていたはずだ。つまり、ギエナは賞金首ランキング2位に突如食い込んだ前代未聞のダークルーキーということになる。
もちろん公式な賞金首ではないし、名前も表示されていないことかギエナがこれで有名人になってしまう恐れはないものの……そう、名前は表示されていないのだ。これ、もしかしてギエナじゃないんじゃあ、などという現実逃避は二秒も保たなかった。
どう考えてもこんな恰好をしているのはギエナだけだ。
しかし何があったのか確認したくとも本人はずっとオフライン表示にしているからウィスパーは届かないし、パーティーはとっくに抜けられていて連絡手段が一方通行にしかならないゲーム内のメール機能くらいしかない。
「あぁ、もう!」
ギエナは今、イリスにとっても最重要なファクターだ。
何より夜車道の攻略方法を持っているのがギエナだ。夜車道は難易度最高ランクをつけられているボスなので、倒せばスシステムチャットで前ワールドに大々的に告知され、公式サイトに名を飾られることになる。
ギエナは夜車道を倒したのが公式な場でなかったからかそういう扱いはなかったものの、確かにそこには100M以上の価値があるのだ。とはいえ、この情報は誰にも売っていないものだし、漏れるはずのない情報であることは確かだ。
だからこそ、イリスは一刻も早く確かめる必要があった。何故、三大リングの一つ、パクスの炎のリーダーその人がギエナに賞金をかけているのか。
ギエナに事情を聞いたところで、やはり賞金を懸けた側に接触しないことには事態は解決しないのだ。だとしたら、未だイリスのメールを無視し、コンタクトを取れたとしても素直に状況を説明してくれるとは思えないギエナからの連絡を待つよりもパクスの炎に直接行った方が早いと判断し、イリスはパクスの炎のアジトに足を向けた。
虹色の八紘に入っているイリスとしては、赴く先は一応敵地ということになる。無意識のうちに手持ちのアイテムを確認してから呟く。
「って、戦闘スキル使えないんだから意味ないじゃん」
普通、街中では戦闘スキルの一切を使えないことになっている。でも、あのパクスの炎のアジトなのだから、戦闘可能エリアがあってもおかしくはない。何せあのフロア数だ。が、やっぱり無意味だと思い出す。
「私の武器は、情報だ」
八紘の幹部と情報屋、どちらの顔としても平穏にことを済ませたい。けれど、どちらの顔としても、戦うなら徹底的にという覚悟もあった。それこそ、相手の出方次第ではここでただ武器を取るのとは比べ物にならない戦いを繰り広げられる自信がイリスにはあったのだ。
たどり着いてしまったパクスの炎のアジトを目の前に、一呼吸おいてから入口のワープポータルを踏んだ。
ワープした先はロビーホールだ。一見、開放感のあるスペースだが、居心地はあまりよくない。呼び鈴があれば連打してやろうと見回してみたがどこにもそれらしきものはないので、ホールの奥にあるワープポータルを勝手に踏んで入ってやろうかと思っていると声がかかった。
「パクスの炎にどのようなご用件ですか?」
「情報屋イリスが来たと、いっっっっちばん偉い人に伝えなさい」
ここは常に誰かが来訪者を待ち構えているとでもいうのだろうか。
半ば呆れながらそんなことを考えていると、不意に体がワープエフェクトに包まれた。どうやら上に話が通ったらしい。
再び視界がはっきりしたとき、先ほどのホールよりもやけに明るいホールに出ていた。まるでどこぞの宮殿のような作りで、色は白を基調としていて、床にはレッドカーペットが敷かれている。天井は無駄に高く、ここがエルストレイで一番高い塔だということを誇示しているかのようだった。
初めて見るパクスのアジトを見渡した後、円形ホールの向こうの隅、伸びたレッドカーペットをたどっていくと、その先に無駄に豪華な玉座があり、そこにルーン=アレイスその人がいた。壁と一体化し、無駄に背の高くなった背もたれに堂々を背を預け腰掛けていた。
イリスはわざとズカズカと歩きながら、白騎士アレイスの傍らにいる奴らを特定していく。
向かって右側の――こちらも無駄に豪華でふかふかそうな――ソファにいるのは、奥から一番隊隊長兼副リーダーの閃光のハルト、三番隊隊長の大槌のストライダ、左側のソファーに座っているのは、四番隊長の水妖精スミレだろう。
他にも、ホールの西側の隅で何やら通常攻撃のみで戦っている連中もいたが、あれらもきっと幹部だ。その半分以上が初対面ではないものの、錚々たるメンツだった。
「へぇ。こんなに幹部が揃っているなんて、大したお出迎えね。パクスの方々は暇なのかしら?」
ほんの数秒前まで、事は穏便に済ませようと思っていたはずなのだけれど、イリスは自分で思った以上にギエナが賞金首にされたことが腹立たしかったのだろう。アレイスを目の前にして、気付けば口が勝手に毒を吐いていた。
「アレイスが言ってたのって、あれ、じゃないよね。あれ、不墜のイリスだもんね」
双剣の片方を膝の上に、もう一方を手にとり眺めながらハルトが言った。
「いきなり刺々しい奴だ」
ストライダは僅かに表情を動かし、スミレは黙って、微笑を浮かべながらアレイスの表情を伺っていた。向こうで戦っている連中に至ってはイリスのことは眼中にもないらしい。
「私は一番偉い人に話しかけているんだけれど、取り巻きは黙っててもらえないかしら?」
取り巻き、と言われてハルトの目の光が少し強くなる。けれど、それで威圧されるイリスではなかったし、パクスの炎は一応正義を掲げたリングだ。ここが例え戦闘可能エリアでも、少し礼を欠いたくらいのイリスがどうにかされるはずはない。
「待て。貴女はバンビ耳の戦士の情報を持ってきてくれだのではないのか?まさかそんな皮肉を言うためだけに来たわけではないだろう」
幹部たちを手でなだめ、アレイスが口を開いた。
「っていうか私たちはアレイスがおもしろい奴を見つけたっていうから待ってんの。100Mはリーダーが自腹切るらしいから、とっととそのバンビ耳の居場所を売ってくれないかしら」
居場所を売れ。という言葉にイリスは激しく反応した。平穏に、と、毒を吐きながらも抑えていたものが、もう我慢できなかった。
「売り物なんかじゃない!どういうことよ!?何であんたはギ――」
激昂して、叫びながらも冷静な部分で踏みとどまった。
掲示板の書き込みを思い出す。アレイスはギエナの名前さえ知らなかった。名前を知っていればウィスパーが飛ばせる。ここでギエナの名前を叫ぶことは悪手だ。
口をつぐんでいると、アレイスが再び口を開いた。
「貴女はバンビ耳の戦士を知っているのだな……!やはり情報屋。最初から貴女を頼るべきであった」
「100Mも賞金をかければすぐに見つかると思ったのに、逆効果だったみたいだものね。額が額だし、賞金を出すのがパクスの炎だけあって、いろんな憶測が飛び交って皆尻込みしちゃったみたいだもの」
「正義をかざすリングが守るべき人たちに敬遠されるってどうよ?だって今まで訪ねてきたのイリスだけよ?」
「三大リングというだけで気軽ではないんだろうよ。それに、誰のどんな琴線に触れたのか知らんが、町ではオリジナルに真似たネタ装備が溢れているそうだ。どれが本物かわからない中で、自信もないのに名乗り出しづらいのもあるだろう」
「否、そうでもない。間違った報告のウィスパーは今まで何度かあった」
アレイスはなんでもないような顔で、苦々しく話し合う三人の話題を一蹴した。
「ほんとに!?」
「初耳だわ……」
「アレイス……みんな待っているんだから、報告ぐらいしてくれ」
いつものこと、といった風にストライダが落ち着いたつっこみをいれる。
「あぁ、すまない……」
アレイスは苦笑いして皆の顔を見渡した。もう、リーダーは、なんてハルトが諦めるように笑い、スミレも微笑を強める。どこかアットホームな雰囲気が漂い始めたころ、イリスが復活した。
「おい」
「ハッ。済まない。ところで情報屋イリスよ。貴女を疑うわけではないが、一応確認したいことがある」
「待って。それよりルーン=アレイス。あなたは……そいつを見つけて、そいつをどうするつもりなの?」
イリスに何かを問いかけようとするアレイスを遮って質問をぶつけた。一瞬虚をつかれたような顔をしたが、アレイスはすぐに真剣な目でイリスを見つめ返し言った。
「我らがパクスの炎に迎え入れたいと思っている」
「ちょっと待ちなさいって!それは私たちが見極めてからの話でしょ!」
「や、でもアレイスは言い出したら頑固ですから……」
「まぁまぁ。試すのは自由なんだろ、アレイス。ハルト、今はそいつを探してどうしたいかって意見を言っただけだから、落ち着いて話を聞いておこうな」
なるほど。状況はなんとなくつかむことができた。
ギエナ、あんた一体何したらこんな大物に好かれるわけよ……。
とにかく、これではっきりした。
ここにギエナを呼んでも、ギエナに危険はない。
ただ三大リングに誘われるだけで、例え誘われたとしてもギエナならきっぱり断ってくれるはずだ。
だったら、今すぐギエナをここに呼んで一刻も早く掲示板の書き込みを消してもらって事態を鎮静化するのが一番良い。
と、その前に。
「ちゃんとギエナのバンビ耳は灰色よ」
バンビ耳は、過去の期間限定クエストで簡単無料で手に入るものの、装備してもたまに周囲の音がよく聞こえるだけ、しかもNPCにかなりの値段で買い取ってもらえるというお小遣い稼ぎのためのアイテムだったため、ほとんどの人が売ってしまってエルストレイにはほとんど存在していない。
その中でも灰色のバンビ耳は何色もあるバンビ耳の中で特別レアで地味で高値だったため、それを手にして売らなかった者はいなかったのだ。
だから、きっと灰色のバンビ耳を売らずにとっていて、常に装備しているような物好きはギエナくらいのものなのだ。
「ギエナ、か」
「情報屋イリスの名にかけて、今すぐギエナをここに呼んであげるわ」




