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そしてぼくは道を踏みはずす (二)  作者: まふおかもづる
第六章

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5/9

 キ神の輪に加わり睡眠学習とやらを施されて二週間。コウジはようやく床払いした。


「ふああああ」


 ベッドの上で伸びをすると身体の節々がぎしぎしと(きし)む。コウジは寝室の小さな窓を開けた。澄んだ空気が入ってくる。東京の湿度の高い夏に馴染んだ身体にはずいぶんと冷たい。それでもこれが朝の空気だと身体が覚えつつある。


――今日は晴れそうだ。暑くなるかな。


 空気はひんやりしていても早朝から日の光に勢いがある。東京とはまるで違う夏が近づいているのをコウジは感じた。


 おそらく囚人とは違う扱いなのだろう。コウジの新しい居室はゴメズ楼の牛頭(ごず)党員が住まう区域、その中でも日当たりやらなにやら条件のよい(おさ)、つまり牛おっさんの居室のすぐ近くにあった。

 ゴメズ楼には男性体が暮らしている。かつては牛頭党と馬頭(めず)党だけだったが、連盟から預かった囚人たちの一部も住むようになった。囚人は預かった当初、一様にゴメズ楼地下の囚人房に入ることになっている。ただし生活態度などの基準をクリアするとナラク社会に適合可能と見なされ囚人房から地上の生活区画へ移ることができる。ナラク宮の牛おっさんの居室から転居して初めてコウジは知ったが、ゴメズ楼は意外に空室が多い。その空き部屋をイノさんやネズさんのような聞き分けの良い囚人に貸しているのだという。寝込んでいた数日間、牛おっさんだけでなくイノさんやネズさんも仕事の合間を縫って顔を出してくれた。


 ぴん――。

 呼び出し音が鳴った。コウジはこめかみへ指をあて顔を顰めた。頭の中で直接音がする。まだキ神経由の通信に慣れない。


「ええっと……あ、イノさんと朝ご飯の約束してたんだった……」


 ずるずる眠気を引きずりながら寝室、居間を通り抜け玄関の戸を開けると円楼の回廊にイノさんと


「おはよ……おおう?」


 その巨体の影から紫五家の若衆がひょこんと顔を出していた。


「おはようございます。マレビトどの、今日から職場復帰ですね。お迎えにまいりました」

「あっはい、そうなんです。またよろしく……えっとえっと……着替えてきます」


 あたふたと身支度をしながらコウジは困惑した。


――なんで紫五家さんがここにいるんだろ。


 以前はこの黒髪の美しい同僚からやんわりふんわりつま恋を打診されていたのだが、それも春祭り前まで。確かあの日、紫五家の若衆は


――とある方のつま恋を受けようかと思っておりまして。


 そう言っていたはずだ。つま恋が成立しなかったんだろうか。男性恐怖症だった紫五家の若衆が、男性体居住区であるゴメズ楼にほいほい気軽に出入りするわけがない。身支度をしながらコウジは首をひねった。

 原則として男性体のみが暮らすゴメズ楼だが一階は女性体にも開放されている。朝早くから夜まで、食糧部の職員が交替で食堂を営業しているのだ。円形のゴメズ楼の一階部分がぐるりと台所になっていて各自好きなものを選んで注文するカフェテリア方式だ。ナラク宮にも食堂があるが、利用者も料理人も多い分ゴメズ楼のほうがメニューが充実している。まだ朝早いからそうでもないが、皆が起き出す時刻になるとゴメズ楼一階は朝食をとる人々でごった返す。身支度をととのえたコウジが一階へ行くとイノさんと紫五家の若衆がテーブル席を確保していた。


――ああ、「とある方のつま恋」って……。


 とりたててべったりくっついているわけではないし、目を合わせているわけでもない。しかしイノさんと黒髪の美女の間にある種の濃密な空気が満ちていることにコウジは気づいた。なんてこった、素朴でシャイだが悪人面のイノさんがリア充とは。しかも相手がナラク王国一番人気の美女だとは。


「ここ、座っていいのかな……」


 おずおずと声をかけるとイノさんが苦笑した。


「何言っちょっとね。当たり前じゃが。朝食の約束をしてたがね」


 座れ座れ、と促してイノさんはコウジの持っている盆を見た。麦粥(小)一品のみだ。


「マレビトどん、足りっとね?」

「あら。食欲がありませんの?」

「うん、まだちょっとね」


 テーブルに置いたコウジの盆をのぞき込むのに肩を寄せ合っちゃってその触れた肩に気づいて照れながら少し離れちゃって、なんだか初々しくてほほえましい。


「果物をもってきます」


 紫五家の若衆は目を伏せ、席を立った。イノさんがその後ろ姿を目で追う。


「イノさん、よかったね」

「おう、ありがとう」


 相変わらずの悪人面だがコウジには分かる。照れに照れてイノさんの顔面が崩壊している。こめかみに走る古傷がほんのり赤い。


「俺は顔が悪かから」


 イノさんが無骨な指でこめかみの古傷をなぞる。


「彼女にはふさわしくなか、それは分かっちょるけども」

「そんなことないんじゃないの。確かに厳ついけどそういうところもかっこいいし、それにイノさんって話してみると意外にかわいかったりもするし」

「か……かわいい?」


 イノさんが軽く仰け反った。


「彼女も俺を、かわいいち……」

「そうでしょうそうでしょう。さすが紫五家さん、見る目がある」


 紫五家の若衆が果物の皿を持って戻ってきた。イノさんが恋人から皿を受け取り、果物の皮を剥き取り分ける。

 眼前で展開されるリア充的光景だが存外不快にも苦痛にもならない。はじめは意表を突く組み合わせだと思ったけれど、そうでもないとコウジは気づいた。新型水痘騒ぎで亡くなった猫頭囚人の一気に惹きつけ酔わせ振りまわす強引なアプローチと違い、イノさんの距離の詰め方はやさしく繊細だ。


――そう言えば。


 コウジや幼年体の少年たちを除き紫五家の若衆が自分から話しかけるのはイノさんだけだった。はじめから仲が良かったわけではない。仲睦まじく語り合う悪人面の猪男と黒髪の美女の、時間をかけて信頼関係を築いたふたりだからこそ醸成できるくつろいだ空気が快い。


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