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そしてぼくは道を踏みはずす (二)  作者: まふおかもづる
第六章

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4/9

 知らない言葉、文字、記号。音やイメージが押し寄せてくる。新しい知識が詰め込まれ、古い記憶と一緒にもみくちゃにされ整然と並べ直される。データの奔流は頭の中を洗い流さんばかりに激しいけれど、記憶の奥深くまでは侵入してこない。嵐のようなデータの奔流から離れ、コウジは記憶の泥濘に潜った。



 がらんどうの部屋が和やかな陽光に照らされる。白いカーテンが大きく膨らみ、しぼむ。


――コウジ!


 多美姉の声が聞こえた。あのとき、窓に向かって踏み出さなければどうなっていただろう。

 分かっている。

 もうあの世界の出入り口は完全に閉じている。生まれ育ち、四半世紀以上過ごした痕跡はない。仮に再び世界のつなぎ目がほころぶことがあっても、あのなつかしい東京でコウジは寄る辺ない異世界人だ。

 分かっている。自分で決めてナラクに来たのだから。それでもきっと折に触れて何度も考えるだろう。

 あのとき踏み出さなければ、道を踏みはずさなければどうなっただろうか。

 後悔とは違う。しかし感傷には違いない。




 小さい窓から燦々と日の光が射し込む。

 ステーキ。ガーリックを利かせたオイルでじゅっじゅじゅじゅう、真ん中をほのかにピンク色にとどめた焼き加減でやわらかく仕上げたところを山葵醤油でいただきたい。ステーキ食べたいな。仔牛ならなお良し。

 コウジが目覚めると黒々とした毛に覆われた小さな牛人間が見えた。牛おっさんそっくりだがずいぶん幼い。その黒毛仔牛少年と目が合った。少年は黒くくりくりとした目を輝かせ


「――じじ様、マレビトどのが」


 と声を上げ部屋を出て行った。


「おう、目覚めたか」


 黒毛仔牛少年に手を引かれ牛おっさんがやってきた。おっさん――そう声をかけそうになったが子どもの前なのでこらえた。この惑星では腐的な意味合いを持つワードだったような気がする。


「具合はどうだ」

「気持ち悪いです。視界がぐらぐらする。そしておなかすきました」


 牛おっさんの孫で仔牛のステーキを妄想したのは秘密にしておいた。それはともかく、見覚えのない部屋だ。家具はベッドとサイドテーブル、椅子だけ。小さな窓には日焼けした白茶けたカーテン。ほのかにオレンジがかった白い壁。きれいに掃き清めてあるがぼんやり煤けた色合いの木の床。


「ここはゴメズ楼のマレビトどのの部屋だ。昨日の夜、医療部からこちらへ移動した」

「ゴメズ楼……」


 一年前、ナラク王国の受け入れが確定しなかったときに囚人房に入れられたことがあった。


――地下じゃない。ということはここは囚人房じゃないんだ。


 コウジは首を巡らせ小さな窓へ目をやった。あたたかな日の光が射し込んでいる。


「えっとぼく……どうなってるんでしょう」

「無事手術が成功しキ神の輪に加わった。当初一週間の予定だったが少々延びてな、森を出てシティに戻ってから十日経っている。視界がぐらぐらして気持ち悪く、疲れが取れていないのは睡眠学習のせいだ」


 手術は成功したが睡眠学習で時間を食って予定より遅れたということだろうか。物覚えが悪いみたいじゃないか。コウジは少々居心地の悪い思いをした。


「あっ!」

「なんだ」

「保育所――! 勝手に仕事を休んでしまいました」

「ああ」


 牛おっさんはうなずいた。


「気にしなくてよい。医療部から連絡が行っているはずだ」


 黒毛仔牛少年が両手で盆を持ちとことこと部屋に入ってきた。ベッドサイドのテーブルにそっと置かれた盆に細かく刻んだ根菜の沈んだスープと小皿にヨーグルト、苔桃のジャムが載っている。


「ゆっくり休め」


 食事やらなにやら、牛おっさんと孫の少年にまるまる世話になり、コウジはさらに数日うつらうつらと寝て過ごした。



     *     *     *



 事が動き出した。仕組まれたとおりの進行はことさらになめらかで、その滞りないさまはまるで熱のこもらない芝居のようだった。


「きみの優れた頭脳、判断力を頼りにしているのだよ」

「何も心配しなくていい」


 連盟職員宿舎から政策機関へ移動する車内。青年は普段なら目を合わせるのも畏れ多い雲の上の人々に挟まれていた。


「悪いようにはしない」


 上司のさらに上のはるか上、トップにある政策機関理事が青年に囁いた。青年の髭を理事の生臭い息が震わせる。透明な壁の向こうで進行する芝居を見るようにされるがままになっていた青年は我に返った。理事が阻むようにたたみかける。


「賞罰の履歴はもちろん、ご家族のことも心配いらない。我々に任せたまえ」

――家族。


 青年の表情が再びぼんやりと沈むのを目にして理事の囁き声がさらに低くなった。


「きみは与えられた務めを果たすことだけを考えればいいのだ」


 理事はぽんぽん、と青年の震える肩を叩き宥める。青年は素直にうなずいた。



 大きな建物が並ぶ道路を車はなめらかに進む。人類拡散連盟政策機関本部の庁舎が見えてきた。車寄せにたくさんの人々が詰めかけている。報道記者たちだ。車から降り立った青年はどっと押し寄せた人々に驚き辺りを見まわした。


「罪を認めたのですね。ひと言、何かひと言――!」

「理事の説得に応じた被疑者が今、目の前を――」


 マイクを突きつける者、青年の様子を実況する者、この場に居合わせるすべての記者たちの関心が自分に寄せられているのにとてもではないが青年にはこれが現実とは思えなかった。周りを取り囲む人々のぶつかる身体、押しつけられる肩、隣に降り立つ理事が肩にまわす腕――それらの圧力すら筋書きで決められているかのようだ。


――自分は何をやっているんだ。


 肩を抱く理事に背中を押され、青年は政策機関本部へ連れて行かれた。



 飛び級、その上優秀な成績で人類拡散連盟中央大学を卒業し将来を嘱望された青年は幹部候補として政策機関本部に就職してわずか一年後、背任罪に問われた。いかに優秀であっても新人ひとりが部局に害を及ぼせるほど権限を持っていたのか。それを検証する者はなかった。この事件はメディアに大きく取り上げられ、そして瞬く間に忘れ去られた。

 以来、青年の姿を人類拡散連盟行政各機関で見た者はいない。



     *     *     *



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