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告げる真実と、見える明日

 

 ──ねえ、風紀。「大人になる」って、寂しいですね。

 大切なもの、護りたいものが増える度に、誰かを傷つけないといけないなんて


 その言葉は、俺があいつと出逢って少し経った、俺とあいつだけが居るある夏の日の星空の下で、あいつの口から唐突に紡がれた言葉で。

 兄さんの墓に供えた向日葵の花弁が、あの日と同じようにまた風に舞った。

 肯定も、否定も必要として居ない、あいつの心の奥底の呟きの様な言葉を、あいつはぼんやりと紡いだだけで。

 だから俺も、特に何も言わず小さく頷いて、あいつと一緒に星空を見上げた。

「大切なもの」が出来た事は無い。出来たとしても、それを傷つけずにどう護れば良いのか、方法が解らなくていつも傷つけたくないものを傷つける。

 俺も、世露も、夢架も、麗奈も。

 皆、傷つけたくないものを傷つけた。知りたくなかったことを、知らなければならなかった。見たくないものを見てきた。気付きたく無いものに、気付いてしまった。


 ──……仕方ないだろ。誰かを傷つけて、誰かが傷付く事で世界は廻っているんだよ

 曜日ごとに出す、ゴミのサイクルみたいなものだよ。それらが当たり前だから、誰も深く考えないだけだ


 ──風紀らしい例え方ですね


 ──そうかな


 ──ええ。真っ直ぐで、冬の澄んだ空気みたいな考え方


 ──……冷たいか、俺?


 ──いいえ?とても──…………


 心の傷跡には、互いに触れない。その傷が瘡蓋になるまで、互いに見守り続ける。

 新しい傷が出来ないように。せめて治るまでは、哀しい過去を思い出さないように。


 ──……その筈、だったのに。


「………………ユメカ、さん」


  あいつがぼんやりとその言葉を口にする。亡くしたものを、また手に入れる気持ちは、俺には良く解らないけれど。

  栗色の髪が風に靡く。「うん」と、夢架は頷く。さらり、と髪が重力に従って、特定の位置から少し下がる。



「なあに?世露君」



 その一言に、世露を取り巻く空気が変化する。俺に向けるのとは違う、何処か「作り物」めいた空気。

 世露がゆっくりと深呼吸する。華奢な肩が小刻みに震えて、ぎゅっと強く拳を作った手は、力を入れ過ぎて皮膚が白くなっていた。

 嗚呼、きっと世露は今、必死で笑顔を作っているんだろう。何時もみたいに、泣きそうな笑顔で、「すみません」と笑うんだろう。

 想像しただけで苦しくなる。心臓がぎゅっと握りつぶされた様な、或いは、もう二度と大切な人に逢えなくなった瞬間の様な、苦しくて鈍くて、そして何処か安心する様な気持ち。

 例えるのなら、独りで眠る感覚に良く似ている。暗くて、寂しくて、声が聴きたくて、けれど聴こえなくて何処か安心したあの感覚と。

 誰か、あいつを助けてくれ。もう笑うなって、めてくれ。

 このままだと、あいつは──……

 崩れ落ちそうになる瞬間、俺の耳に、意外な声が飛び込む。








「夢架、今日はもう帰るわよ。気が変わったわ。お絵描きをしましょう」








 それまで一部始終を黙って見て居た麗奈が不意に夢架へとその言葉を投げ、俺の方をちらり、と見ると背を向けて歩き出す。


「……あ、うんっ。じゃあね、風紀君、世露君。……待って、麗奈ちゃん!」


 戸惑ったように麗奈を追いかけた夢架の姿が掻き消えると、それまで俯いて居た世露が急にその場に崩れ落ちる。


「……大丈夫か、世露」


 駈け寄って背中を擦りながらそう訊ねると、世露は弱弱しく頷きそうになり、俯いてゆっくりと首を左右に振った。

 背中が、肩が、震えて居る。世露が落とした、悲しみの欠片がジーンズに落ち、丸いシミを作った。

 シロツメクサが風に揺れる。もう居ない『ユメカ』の姿が見えた気がして、思わず目を凝らすと、そこに見えたのは一面に広がるシロツメクサとクローバーしか見えなくて、思わず涙が零れた。


 亡くしたままで良かった。もうずっと、戻らないままで良かったのに。

 如何して、今。この瞬間で。何故。

 納得出来ない反抗心と、けれど何処かで安堵して居る様な、安心した気持ちが混ざり、吐き気がした。


「ユメカは……もう、居ないんでしょう?」


 濡れた瞳が、俺を射抜く。口腔が乾き、上手く声が出せない。


「……ちが「……居ないんでしょう?」……」


 黙り込んだ俺と、そんな俺を見詰める世露の間に生温い風が通り抜ける。何処までもそら高く。

 宙に居る、ユメカの所まで、ずっと。

 きっと、世露は気付かせて欲しかったんだ。もうユメカは戻らないと、自分で気付くのではなく。

 それはきっと、あいつが初めて他人に向けた、最初で最後の『甘え』だったのかもしれない。


 ──……良いよ、世露。気付かせてやる。甘えさせてやるよ、今日は


 俺は座り込み、世露の肩に頭を預ける。残酷な真実を、そっとあいつに向けて。





「…………もう居ないよ、ユメカは。もう戻らないよ、ずっと」





 そうあいつへ宛てて呟いた時。確かにあいつは嬉しそうに微笑んだような気がした。

 その笑みが、納得が出来た事への安堵から来た笑みだったのか、それとも別の感情から来ていたのか、あいつに訊いた事は無い。

 あいつも、あいつ自身が笑った理由を、多分知らない。

 俺達二人は、あの時の笑みの理由をお互いに探る事は、もう永遠に無い。

 きっと、それで良い。踏み込まない領域には、お互いに踏み込まない。いつか大人になった時にすべき事を、俺達は早い段階で実践して居ただけのことだ。

 嗚呼、大人になるってこんな事なのだろうか。苦しみも悲しみも分かち合えないのだろうか。分かち合おうとしないだけだろうか。……多分、それが本音だろう。

 世露が浅く頭を俺の肩に預けた。俺のパーカーの肩口が濡れ、吸収して変色する。

 灰色が濃くなり、やがて黒くなる。その分、世界の温度が下がったような気分になる。

 いつの間にか、澄んだ水色の空は、深くて寂しい群青色に染まっていて、辺りには瞬く星が出口の無い暗闇に急に差し込んだ光の様に浮かんでいた。

 やがて世界は夜になる。暗闇に包まれてしまうと、益々出口が見えなくなってしまうから。

 俺は世露の背中を優しく叩くと、世露を促して二人で歩く。


「帰ろうか、世露」


 二人で並んで、夕方と夜の境目を歩く。不安定で、安定して居る世界の真ん中を。



「……ねえ、風紀は……。傍に、居てくれますか?」



 唐突に紡がれた言葉には、痛々しい程の悲しみが詰め込まれていて。

 こんな時に、優しい人なら、「ずっと傍に居るよ」とか、「当たり前だよ」なんて伝えたかもしれない。

 そう伝えれば、世露は安心したのかもしれない。……けれど、それは世露に対して、不誠実で、あいつを最も寂しくさせる言葉の様に思えたから。

 俺は左右に首を振る。本当の事を、伝えなければいけないから。

 もうこれ以上、世露という人間を、傷つけてはいけないと思ったから。


「……俺は、ずっと傍には居られないよ。いつか大人になって、俺も世露もこの街を出て、広い世界に行くから。

 ……お前が成長する時に、「傍に居る」って言葉は、いつかお前の足枷になる。お前を縛り付けてしまうんだよ」


 だから俺は、優しい嘘は吐かない。その場凌ぎの嘘は、今よりももっと心を傷つける。


「だけど、ちゃんと。俺が居るうちは、傍に居るよ」


 向日葵は、太陽へ向かって成長する。だから向日葵は前を向ける。

 俺は太陽にはなれないけれど。その向日葵の成長を助ける肥料になろう。

 お前が大きくなれるように。成長できるように。


「明日も、あの場所へ行こう。……きっと、あいつらも待ってる」


 なあ、世露。『悲しみ』も分け合えば、『良い思い出』に変えられるんだよ。

 俺と、お前と、夢架と、麗奈と。

 そして──……ユメカと。

 皆で、助け合おう。成長を助けあう、肥料になろう。

 大きく咲けるように。また、心から笑える様に。





「…………はい」





 そう世露が頷いて大きく笑った瞬間、世界がその分、明るくなった様な気がした。

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