罰
『罰』
――もしも過去に戻って、人生をやり直すことができたなら。そんなことを考えながら生きているうちに、俺はいつの間にか大人になっていた。
俺は過去に、人には話せない罪を犯してきた。
ものごころついた頃から今にいたるまで、ずっと罪を犯し続けた。それらの罪を償うつもりはない。償いきれないほどの重さの罪をいくつも犯してきたから、そうすることをあきらめたのだ。
もっとも、俺がそんな罪を犯したことを知っている奴はほとんどいないだろう。
俺は人にばれるような罪は犯さないし、犯した罪を人に自慢したりすることもしない。
たとえ俺が誰かに今まで犯した罪を自慢げに話したりしても、人々はそのあまりに悲惨であり、むごすぎる罪を信じようとはしないだろう。きっと冗談だと思い、笑うに決まっている。
もしも神様とやらがいるのだとしたら、真っ先に俺に天罰を下すだろう。俺が神ならばそうする。
交通事故にあわせるか、落雷や隕石を直撃させて殺すか。あるいわ、そう簡単には死なせず、じっくりと苦しみや悲しみを味あわせながら殺すか。それくらい重い罪を、俺はいくつも、犯してしまったのだ。
だが、そのような天罰が俺に下ったことは一度もない。
むしろ、俺はかなり運が良いほうだ。数年前に宝くじの一等に当選し一生働かなくてもいいほどの金を得た。その後の投資やギャンブルでも負けたことはない。そして美しく優しい妻もいる。
どうやら、神様なんてものはいないようだ。
俺は本当にこのまま幸せな人生を送っていてよいのだろうか。
あるいは俺の送っている人生は、本当に幸せなものとはいえないのかもしれない。
きっとそうだ。俺はあんな罪を犯したのだ。幸せになれるはずがない。理不尽だ。
そうだとも、俺は罪を背負って生きていかなければならないのだ。罪を償うつもりはないから、一生背負っていかなければならない。これが不幸でなくてなんなのだ。いやそもそも償おうが、罪を犯したという事実は変わらない。死ぬまで背負って生きていかなければならないのだ。恐ろしい。
いやまて、死んでからも安心できるとは限らないぞ。地獄とやらに落とされて、この世のものとは思えない、いや、この世には存在することができないほどのおぞましい罰を受けるかもしれない。なんて恐ろしいことだ。
そもそも地獄なんてものは存在するかどうかわからない。そんなものに怯え、残りの人生をびくびくしながら生きていかなければならない。そんな現実もおそろしい。
嘘でもいいから誰かが、地獄なんて存在しないよと俺に教えてくれれば、残りの人生を幸せに生きていけたかもしれない。
死後の世界には天国や地獄があるのだろうか。それともそんなものは存在せず、ただ「無」になるのだろうか。「無」とは何か。あるいは「無」なんてものは存在せず、死んだらまた生まれ変わるのかもしれない。「無」が存在しないとはなんだ。ははは、おかしい。
俺は少し混乱し、発狂しそうになった。
煙草をぷかぷか吸って、なんとか正気を取り戻した。
俺が幸せになるためには、俺が罪を犯したという記憶を消すしかない。そんな方法どこにある。何か硬いもので頭をたたいて運が良ければ、あるいは催眠術とやらを使えば記憶を消すことができるかもしれない。だが記憶を消せたとしても俺が罪を犯したという事実はやはり変わらないのだ。むしろ打ち所が悪くてそのまま死んでしまえば。いや、目を覚ました時そこは既に地獄ということも……。
俺は発狂しそうになり、また煙草をぷかぷか吸って正気を取り戻した。
俺が本当に幸せになる方法は一つしかない。過去に戻り、人生をやり直すこと。そして罪を犯さないこと。それしかない。俺がいつも考えていたことだ。ばかばかしいと思い俺は笑った。そんな方法どこにあるというのだ。
ははは、はははは。俺はぴくぴく頬を痙攣させながら、そして涙を流しながら笑った。誰かが今の俺の姿を見たら、きっとあまりの不気味さに腰を抜かすことだろう。
突然目の前が真っ暗になった。そして一体の化け物が現れた。その姿からしておそらく死神かなにかなのだろう。俺はもはや驚く気力すらなくなっていた。
ついに死神が来たか。きっと何か恐ろしい罰を与えに来たに違いない。地獄にでも連れて行くつもりだろうか。だが死神は意外なことを言い放った。
「お望み通りお前を過去に戻し、人生をやり直させてやるよ」まったく感情のこもっていない不気味な声で死神はそう言った。
「本当か、でもどうしてだい?」俺はおもわず驚いて返事をした。
「お前は前世でとてつもない罪を犯した。だからその罰を与えに来ただけさ。神様からのご命令だ」死神がきっぱりと答えた。
神様はいたのか。
「とてつもない罪ってなんだ? 俺が今まで犯してきたような罪か?」
「そんなものとは比べ物にならない罪だ。お前は前世でとても不幸な人生を送ったんだ。それが罪だ」死神がそう答えたとき、もう一つ疑問が生まれた。
「じゃあ、その罰ってなんだ?」
「それはお前が現生で幸せにしかなれない、という罰だ。お前は現生で不幸を体験する権利を持っていない。だからお前を過去に戻し、幸せな人生を送れるようにしてやるということだ」
この死神は何を言っているのだろう。つまりは人生最大の罪は「不幸」であり、その罰は「幸せ」ということだろうか。
ははは、意味が分からない。俺はついに完全に発狂し、笑うことしかできなくなった。
「幸せそうだな。」死神も俺の姿を見てはっはっはと不気味に笑った。
――幸せとは、いったいなんなのだろうか……。
『完』