第3話 *和歌山さんの場合
「和歌山、今度の土曜日に予定はあるか?」
吹谷君は結論から言うから時々ビックリするんだけど、今日は格別に唐突だった。
「ううん。暇にしてる」
目をパッチリさせたまま首を振ると、
「うむ」
と、手帳にカリカリ書き込みをしている。
革表紙のそれはとても手になじみやすそうなものだったけれど、使い込まれていて年季を感じさせる。
「吹谷君?」
「携帯電話はあるか?。メールは?」
今度はいきなり携帯電話を取り出すし。
私が「あるよー」とアップルミント色の携帯を取り出すと、気がつけばメールアドレスを交換していた。変な話だけれど、付き合い始めてしばらくたつというのに、私と吹谷君は携帯の番号も、アドレスも知らなかったんだけど、それにしてもこんないきなり急にどうして?
吹谷君に説明を促すと、彼はきっぱり宣言したのである。
「2週間たったのでな。デートとかいうやつだ」
……。
本当に唐突でしょ?。
でも、自信満々に言い切っているわりに、先に予定を聞いたり、メールアドレスにまで気を回してみたり、準備万端だと言いたげな顔がやっぱり吹谷君で、
「オッケイ」
私はやっぱり笑ってしまうのだ。
付き合っている風に見えないと良く言われる。
けれども私は吹谷君といて楽しいし、吹谷君は吹谷君で興味深いデータが得られるといっている。二人がそれでいいんじゃないかと思っているなら、それでいいような気もするんだけど、
「付き合うってことと、仲が良いことって違うんじゃないのかなぁ」
友達はそう言う。
少し前まで彼氏の気遣いが心苦しいだなんて言っていたのに、乗り切ってしまうと今度は相談に乗りたがるらしくて、たくさん言われてしまいました。
家に帰ってご飯を食べて、宿題をして、いつもならテレビを見るのに、今日はそんな気分にもなれなくて、ベットの上で思いっきり体を伸ばしてみる。
――でも、私は幸せだから。
特にこのままでもいいかなんて思う。
むしろラブラブなんて考えにくい話でしょ?。
だからきっと今度のデートだって、友達と遊びに行くのと同じようなものだ。
そういい聞かせて、ゆっくり力を抜いた。
金曜日。今日の体育はサッカー。これでもか!というほどの晴天ではないけれど、夏がそろそろ近づくこの季節はとても風が気持ちいい。
隣のクラスと合同なので、男女別に別れているのだが、現在コートが一面しか使えないので、男子が試合をしている間、女子は見学だ。すると、滅多に私の行動を制限しようとしない吹谷君が珍しく見学位置を指定してくる。
それはもう、王者のような強引さで引っ張るものだから、一体どうしたのだろう?と、そっと横をうかがってみると、キーパーグローブをきゅっとはめている。
ああ、なるほど。
ここはゴールがよく見える場所なのね。
そうしてグローブをはめる姿はなかなか様になっていたから、
「似あうね」
って、褒めてみる。「当然だ」なんて無表情のまま返されるのかなぁ、などと考えていたら、
彼は私の目の前でパンッ!と両の手をまるでお参りするときのように合わせて叩いてみせた。
私はどういう意味か良く分からなくて、首を傾げるんだけど、同じチームのメンバーに誘われるままに「じゃあな。すまんがしばらく待っててくれ」とさっさと行ってしまう。
――すまんな。
そういえば吹谷君がそんな言葉を言うのなんて初めてだ。
思わず笑みがこぼれる。
ああ、そうか。
私の話し方がうつっちゃったのかな?。
吹谷君はぜんぜん気がついていないかもしれないけれど…。
地面を見る。アリが隊列をつくって歩いていくのが見えた。
どこからか大きな飴玉を持ってきて、巣へと運んでいく。
……不意に影が落ちてきて、顔をあげると金色の髪が目に入る。
校内でも騒がれる整った顔立ちは、アップでみても耐えられるほど。
「あ、もしかしてお邪魔でしたか?」
慌てて立ち上がると、「あー、違う違う」とニッと笑ったまま手を振って一旦否定し、
「ボール飛んで来たら危ないし、向こうの方がええんとちゃう?って忠告だけ」
と、体格のいい先生がホイッスルをくわえて立っている付近を指差した。
確かに初心者が多いコートでは、ボールがあっちこっちに飛んでいく。でも、
「大丈夫ですよ」
私は安心したように断言する。
なぜって?
だって、ホラ。目の前にはゴールがあって、そこには吹谷君がいるんです。
「え?」
「ね?」
一瞬面食らったように後ろに下がる彼に笑って見せると、彼はこらえきれないといった風に、
「和歌山さんも、吹谷の影響を受けてるんだな」
って、笑い出した。
どの辺が?と尋ねれば、「その自信満々に言い切るところ」と即答。
そうかもしれない。
そう思うと私も面白く思えて、しばらく笑っていた。
帰り道、吹谷君と土曜日にどこへ行こうか?という話になる。とりあえず、まずは初級者コースだよね。しかし、思い浮かぶような一般的デートコースは、どうも自分達にはそぐわないような気がして、悩む。
映画も買い物も食事も、どうも街中をうろつく私達という図がしっくりこないのだ。
結局、河原でも散歩するか、ということに落ち着いた。お金もかからないし。
「別に新しいところに行かなくても、まだまだ吹谷君と話してみたい」
それが本音だったと思う。
吹谷君の考察をもっと聞いてみたい。
何を考えて、何を思って、生きているのか……それが知りたくて。
「うむ。じゃあ、10時にこの場所で」
吹谷君はほとんど手ぶらに近い荷物だけ持って、分かれ道を指差した。
その指の先にはアスファルトと、その裂け目から雑草が見えている。
少し視線を上げると、空は曇っていた。
「明日…晴れるといいね」
せっかくの初めてのデートな訳だから。
「天候ばかりはなんともしがたいが、この分だと小雨が降るかもしれん」
「てるてる坊主でも作っておくわ」
あくまで現実的な吹谷君に、私はとても非現実的な方法を提案してみる。案の定彼は「理論的ではない」と返してくる。
それでも、気分的に少し違うかもしれないでしょう。
そういうと、「そういうものなのか?」って吹谷君は首をかしげた。
そういうものなんです。
「わかった」
てるてる坊主をつるしておく。ひどく真面目な顔をして、彼はそう頷いた。
風が吹いた。
足元を気持ちのよい風が撫でていく。
髪が空に舞い上がるものだから思わず左手で抑えた。
私よりも少し大きそうなその手を見て、思わずさっき感じた疑問が口をつく。
「ねえ、さっきグローブで手を叩いていたのって、どんな意味があったの?」
吹谷君は少し考えるそぶりを見せた後、ああ、あのことか。と、思い至ったようで……
「歌にあるだろう」
それだけ言って、手を振って帰っていった。
――歌にあるだろう。
歌……手を叩く歌?。
後姿を眺めながら考える。手を叩く歌といえば……
「あ」
そうだ。あの歌しか考えつかない。
♪幸せなら 手を 叩こう~♪
思わず笑みがこぼれて…。
道端でしゃがんだまま私はしばらく動けなかった。
嬉しくて、楽しくて、
――幸せで。