ねずみたちの反乱
12歳の頃
窮鼠猫を咬む
追い詰められた弱者が我が身の危険をかえりみず強者に立ち向かうことは世の中に間々あるものである。
今でも社会問題となっているいじめだが、何も今に始まったことではない。僕の小学校の頃も今思い出すとひどいことが結構あった。当時は「いじめ」という言葉すらなく、教室の中で行われる残酷な儀式に、あるものは立ち向かい、あるものは身をひそめ、また、あるものは上手に立振舞うことでそれぞれが子供なりに日々をたくましく生きていたわけだ。
いじめの解決法はなかなか難しい。
近所のAくんは、やはり近所のNくんにいじめられていた。小学校の2年生の頃だったと思う、小2ですでに体重40キロはあろうかという肥満児でどんくさいAくんは、細身で身軽、オレより強い奴は誰もいないと自負する強気なNくんにどうあがいてもかなうはずはないと思っていた。日頃から何かにつけてはよく泣かされているのを見て、ぼくは「かわいそうだな」と思っていたものだ。
そんな彼がいじめから脱出できる日がやってきた。ある日、業を煮やしたAくんのお母さんがNくんを空地に呼び出し、決闘させたのである!
たまたま、立会人となった僕はこれからどんな結末が訪れるのか緊張に身を震わせながら見守っていた。
「Nくん、あなたはどうしてうちの子をいじめるの」 強く迫るお母さん。
「A、男なら自分で決着つけなさい」 今度は自分の息子に向かい凄む。
「ひえぇーーーー」 気弱な僕はその雰囲気に呑まれ、ただ、たたずむばかり。
かくして決闘は始まった。
結果は・・・・ Aくんの圧勝であった。
お母さんの力強い後ろ盾に気を強くしたのか、はてまた、日頃のうらみを爆発させたのか、彼は泣きさけびながらNくんに突進すると40キロの体重で猛烈な体当たりをぶちかました。細身のNくんは突き飛ばされ地面に横たわった。そのあとである、40キロの攻撃は止まらない。Nくんの上に馬乗りになると顔を何べんも殴りつけたのである、体重の軽いNくんは身動き一つとれずなすがままの状態だ。鼻血が噴き出した、しかし、Aくんの攻撃はまだ止まない。さらに横綱ばりの張り手を次々とNくんのほほにあびせ続けた。Aくんの目はさながら鬼の形相といったところで、あの強気なNくんの目にうっすらと涙が浮かんでいるのを僕は見のがさなかった。それは悔し涙というよりは圧倒的な強者に対しての恐れと、何もできずにやられている自分に対する情けなさの気持ちが入り混じった、そんな涙だったように見えた。
さらに攻撃を続ける40キロに
「えっ、これ以上やると死んじゃうよ・・・・大丈夫・・」と立会い人が不安になった時
「やめ!それまでっ!」 お母さんの大きな声が響いた。
お母さんはNくんにも、Aくんにもそれ以上の言葉を一切放つことなく、その場を悠然と立ち去った。
かくして、決闘は終わり、以後いじめは一切なくなったのである。
このエピソードにはいろいろな論評がつけられると思う、子供のトラブルに親が出てきていいものかとか、暴力に暴力で返すことは間違いであるとか、はてまた、本当の解決とは言えないのではないか 等々。
僕にとってもそれは子供心に非常にショッキングな光景であった。しかし不謹慎を覚悟で言うとその状況を見ていた僕の心境は「やったな!」という爽快感を伴ったものであった。
決して立派な解決法とは思わないが、今までずっと圧政に苦しんでいた農民が一揆をおこすが如く、水戸黄門が満を持して印籠を振りかざすが如く、それはたまりにたまっていたうっぷんを見事にはらした瞬間であった。
六年生になったとき、僕にも災難がふりかかってきた。クラスを影で仕切ってるKという独裁者と同じ班になったことがきっかけである。このドラ猫は表立って暴れたりするような単純なやつでなく、頭もよく、陰湿に獲物を追いかけるたちの悪い種類に属する奴であった。ドラ猫は班員であるねずみたちに少しずつ陰で牙をむきはじめた。
席が隣だった僕はこの災害をもろに被った。
「おい、テスト カンニングさせろ 答案をずらすんだぞ」
「えっ いやだよ・・」
断ると、机の下からパンチが腹をめがけて飛んでくるのである。
しかし、奴は狙う相手を間違えた。僕の計算テストの答えを丸写して提出したドラ猫だが、そのあまりの点数のひどさに次からは別のねずみを狙うようになった。
前の席のOくんは成績もよく恰好の餌食となる。次からはOくんが被害者となっていった。気の優しいねずみTくんは毎日のようにモノを買いに行かされ、ちょっぴりおしゃれなねずみSくんは、新しく買った最新のシャーペンなどをいいように略奪されていた。さえないねずみであった僕も、掃除当番を押しつけられたり、他の友達と遊ぶ権利を奪われたりという迫害を受けた。
さらにドラ猫は、ねずみたち全員にドラ猫が嫌っている担任の先生にいたずらをすることを強要したりとその悪行はエスカレートするばかりであった。どの場合でも断ると容赦なくパンチが飛んでくる、ドラ猫による圧政は日々刻々と民衆を圧迫してゆくのであった。
いじめにもいろいろな種類がある、クラスの全員から無視されて、上履きに画びょうを入れられたり、教科書にひどい言葉を書かれたりといった、多人数から受けるものが一番ヘビーであろう。僕の場合は一人の為政者からのものであったので、確かに深刻度は低いかも知れぬ、しかし、こいつばかりはやられた者にしかわからない。何年も前のいじめを恨みに思い、殺人を犯すといった事件が時折ニュースをにぎわす、もちろん肯定はしないが気持ちは分かる気がする。やった方は忘れてしまうが、やられた方は決して忘れないのだ!それはいつまでも傷として残り心の奥で疼き続ける、そしてあるきっかけで再び膿み始め、心を蝕むのだ。
僕もこの状態がしばらく続くとさすがに参ってきた。
“あー 学校行きたくないなぁ”
しかし、本当のことは親に決して言えない、この心境だけはご理解いただきたいものだ。
“よし、病気で休もう”
さえないねずみは熟慮の末、非常に単純な結論に思い至った。
“風邪を引かなくちゃ”
さえないねずみは安易な計画を立て実行に移す。
冬の最中、風呂で水を浴びたり、半そでで外をふらついたり、はてはわざと汚いものに触ったりと「努力」を重ねた。
しかし、不思議なものでこういう時に限って体は健康そのもの、くしゃみ一つでないのである。さえないねずみは悩んだ末計画を変更した。
“仮病を使おう”
ある朝、ねずみは朝の5時におきて、密かに台所に向かった。そして、静かにやかんでお湯を沸かすのであった。賢明な方ならすでにお気づきであろう、ねずみの手には体温計が握られている。
“熱があれば間違いなく休めるな かんぺきだ”
このあたりが「さえない」ねずみの「さえない」所以である。
沸騰したお湯に体温計をつける、ほんのわずかな時間だ。“これでよし”と心に笑みを浮かべ体温計を眺めた瞬間、ねずみの顔が青ざめた。
「よ、よんじゅう な ななどーーーーー!!」
さすがの「さえない」ねずみも事の重大さに気づいたようだ。
あわてて体温計を思い切り振りまわす、検温のあと、体温計を振ることで水銀柱が下がることはすでに経験済みだ、その時、ペキっというかすかな音がした、急激な熱と激しい振動に耐えきれなくなったガラスが割れたのである!床には細かく割れたガラスの破片がキラキラと輝き、中から漏れた水銀の玉がまるで生き物のようにコロコロと遊んでいる。
「ひえーーーーー!」
こうして「さえない」ねずみの計画はあえなく頓挫したのであった。
こうして暗澹たる日々を送っていた僕だったが、ひとつ大きな心の支えがあった。それは同士の存在である。たったひとりで大勢を相手に辛い思いをしていたなら本当に耐えられなかったであろう。自殺にまで至る悲惨なケースも多くはこうした場合だ。
しかし、僕には同じように苦しめられていた班員という同士がいた。独裁国家でも民衆はアンダーグラウンドで結束を固め、いつか来るであろうクーデターの日に備えて息をひそめるのである。共通の敵がいるためにその結びつきは強かった。
「どうする」
「おれ、もうがまんできないよ」
「おれもだ、あいつのおかげで人生まっくらだ」
ねずみたちの密談が始まる。
この日も全員放課後呼び出されていたのだ。
「全員でかかればいいんじゃないか」
「いや、きっとまたあとからひとりひとり仕返しされるぞ」
「どうする?」
「どうする?」
その時である。仲間の中でも最も気の優しいねずみのTくんがぼそりとつぶやいた。
「撲殺だ・・・」
「えっ?」
「えっ?」
「ぼくさつ?」
気の優しいTくんの口から出たなんともおっかない言葉に一同あぜんとする。
彼もよほど腹にすえかねたものがあったに違いない。
僕の頭の中に一瞬「決闘」の光景がよみがえった。
しかし、彼は本気だった。
なんとバットを持って教室を飛び出したのである。
僕らもTくんを追いかけた。
そして学校の近くの路上でドラ猫を見つける。
彼はバットを振りかざしドラ猫めがけて向かって行った。
幸か不幸かTくんの力は弱く、持ち上げたバットもふらふらしている。
ドラ猫の顔が本気になった。
「なんだ、お前」
「ぼくさつだ!」
「うるせぇ、お前なんかにやられるか」
確かに振り上げたバットは弱々しく、当たる気配もない。軽く避けられながらもTくんは泣きながらドラ猫に立ち向かいつ続けた
僕らはTくんを止めると口々にドラ猫に言い放った。
「なんでおれたちをいじめるんだ!」
「お前なんかきらいだ!」
「お前なんかいなければいい!」
ドラ猫は「チッ」と舌打ちしてその場を立ち去った。
その後、ドラ猫は僕らに手出しをしなくなった、相変わらず威張ってはいたが・・・
Tくんの「ぼくさつ」も結構効いていたのかもしれない。
僕はドラ猫と違う中学に進み、いとも簡単にこのいじめから決別でき、バラ色の中学校生活を送ったのであった。
Tくんほどの勇気は持ち合わせていなかったが、それでも思っていた一言を言い放つことができたのは少しだけうれしかった。
それから10年後、ある日、卒業後一度も会うことがなかったドラ猫から突然電話がかかってきた。
いったい何事かと受話器のこちら側で身構えるとやつは猫なで声でこう語った。
「今度の選挙、だれに投票するか決めましたか?」
「アホッ!」
僕が一言そうつぶやいて受話器を置いたのは言うまでもない。