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短編集的な

銅山の女主人

作者: 春紫苑
掲載日:2026/02/27

サークル課題

お題は、孔雀石 温泉 カタコンベ

「三年ね」

 

 女の声は思っていたより低く、反響して洞窟の奥に吸い込まれていった。

 孔雀石のような緑を幾重にも重ねたドレスと瞳、白乳色の肌。そしてとても長く艶やかな黒髪。それが岩場に垂れて小さな渦を巻く様を見つめていたが、女もまたガラス玉のように無機質な瞳でカロンを見ていた。

 乱立する鍾乳石の柱が人の形をしている広場には、濃い硫黄の匂いと湯気が立ち込めており、おそらくこの奥には地脈に温められた水が湧き出しているのだろう。

「三年……」

 どうやらそれが、彼女の『信頼』を得るのに必要な時間らしい。

「そう、三年。この『強欲の墓標(カタコンベ)』にいる間、私を喜ばせなさい。ただし、私のものを奪ったり、私を害そうとしたり、地上に逃げた瞬間契約は反故にしたとみなします」

「えっ⁉︎」

 驚くカロンに対し、女性はさも当然という顔。

「ここにいる間って、三年ずっとこの洞窟で生活するってこと⁉︎」

「そう」

「い、一回戻って支度してくるとかは⁉︎」

「契約の反故とみなします」

 無慈悲な言葉。

 とっさに反論しかけたものの、カロンは言葉を飲み込んだ。

 村長が言っていた通りなのだ。

 だからおそらく、この『女』は『人』ですらない。

 ――本物の、精霊。銅山の女主人だ。

 村長の曽祖父は七年もの間行方不明となり、家族にも死んだと思われていた。

 なのに、ある日フラッと戻り、鉱石の出る山を得てきたと述べたという。

 つまり村長の曽祖父もここで同じように女主人と過ごし、『契約を終え』戻ったのだ。

 ――何度試しても会えないって村長は言ってた。だから俺は、きっと運が良い。

 軽い気持ちで山に入り、難なく行き着いてしまった。

 それに七年ではなく三年。

 ここで過ごして彼女を喜ばせることができれば、村長との約束は果たせる。その間は村長が母の薬代を払ってくれるはず。

 三年もの間薬を得られたなら、母を束の間楽にするだけでなく、病自体を癒すことだってできるかもしれない。

 ――でも、カリスに負担を強いてしまう……。

 八つ年の離れた妹に、母の看病を押し付けてしまうのは心苦しい。

 ――女主人に会えると分かってたら、もう少しきちんと準備してきたのに!

 妹にも事情を話してくるべきだったと悔やんだが、このチャンスを逃すわけにはいかない。

 ――……母さんが助かるなら。

 妹はきっと分かってくれるはずだ。

「分かった。契約する」

 決意してそう告げたが、女は驚きも、喜びもしなかった。

「そう」

 と、無関心に告げただけ――。

 

    ◆

 

「はー」

 洞窟の中、湯気のたちのぼる泉の前で、カロンは深いため息を吐いた。

「全然喜ばないじゃん……」

 銅山の女主人と契約を交わして半年。しかし彼女の表情はぴくりとも動いていない。

「そもそも話が通じないんだよなぁ」

 女主人はカロンが話すことの大半を理解できない様子で、首を傾げる仕草ばかり。

 歌ったり、踊りを披露したり、面白い話をしたりと思いつく限りの努力をしてみたものの、漫然と時だけが過ぎている状況だ。

「そもそも精霊って何が嬉しいんだろ?」

 妹や母が喜ぶこともひと通り試したが、やはり無意味だった。

 人と精霊では『喜び』となる事柄から違うのだろうか?

「感情自体が無さそうなんだよな」

 女主人は常に無表情で、怒りも悲しみも表現しない。

 万が一、とんでもないものを『喜び』だと認識していたらどうすればいいだろう?

「悪趣味な柱を彫刻しまくってるくらいだし……」

 もたれかかっていた鍾乳石の柱を見上げる。涙を流し懇願するように腕を組む男の像だ。表情は悲嘆と絶望に染まり、素晴らしい技巧に感嘆するよりも薄気味悪さが優ってしまう。

 誰が彫ったか知らないが、このような等身大の彫像が洞窟内にはいくつもあった。

 剣を振り上げていたり、泣き叫んでいたり、走り出そうとしていたりと、形はひとつとして同じものがない。しかし全ての彫像に共通しているのが、恐怖と絶望の表情。

 これだけの数があるのだし、女主人が喜んだから量産されたと考えるのが妥当だろう。

「村長の曽祖父作、だったり?」

 そう思い節々を確認してみたものの、サインは見当たらない。

「まぁ、これが正解だとしても、ちょっとヤだなぁ」

 これを喜びとする情緒は到底健全とは思えないし、こんなものをさらに増やすなど気がすすまないに決まっている。

「でも三年が無駄になるのはもっと嫌だ」

 村長との約束なのだ。

 女主人に会えたなら、新たな鉱脈を与えて欲しいと願うように……と。

 頼まれなくとも、村人らを父のような犠牲者にはしたくない。

「んー、この悲惨な彫像を掘る以外でないかなぁ」

 こんなものを三年かけて量産するなんて嫌すぎるし、下手をしたら精神を病む。

「どうせ彫るなら、もっとこう、例えばこれとかいい感じじゃん?」

 温泉の浅瀬に沈んでいた、小ぶりな孔雀石を拾い上げたカロンは、それを目の高さに掲げた。

「うん、これならいける気がする」

 女主人が纏うドレスのような色合いの孔雀石。色の濃淡を利用して煌めく鱗、窪みを活かして身体をくねらせた魚の姿を表現すれば、きっと素敵だ。

「彫刻刀さえあればなぁ」

 言葉を重ねるよりもきっと伝わる。魚がどんな形をした生き物か。何がどう美しいのか。

 ただ喜ばせるだけなら、あの怖い像を彫るのが一番近道かもしれない。

 しかし、何も感じないなら、なぜ彼女は『喜び』を求めているのか。

 ――それは、喜んでみたいってことじゃないか?

 ならなおさら、ちゃんとした喜びを伝えたいではないか。

「よし、とりあえず彫刻刀がないか聞いてみよう」

 女主人との契約中は地上に戻れない。だというのに、精巧な彫像が彫られており、管理も行き届いている。ならば女主人が手を加えているのかもしれない。

 立ち上がったカロンは、無意識に孔雀石をズボンのポケットに放り込み――。

「契約違反です」

 気付けば、どこからともなく現れた女主人の手が、カロンの首に絡みついていた。

「私のものを奪うことは罪と伝えたはず。にも関わらず、お前は盗みました」

「えっ⁉︎ 何を⁉︎」

「この霊廟のすべては私のもの。石ひとつであってもそう」

「! 石⁉︎」

 がっちり首を掴まれたままのカロンは、迫る死の予感に慌てて叫んだ。

「ち、違う! この石を加工してもいいか聞こうと思っただけだ!」

 瞬間、女主人の手が僅かに緩む。

「加工?」

「孔雀石の層がとても綺麗で、形が丁度良いと思ったから魚を彫っていいか聞きたくて……盗もうとしたんじゃないんだ! 見せて、許可を取ろうとしただけなんだよ!」

「魚?」

 首から手が離れたため、急いで石を取り出したカロンは必死に説明した。

「ほら! ここが頭になって、背びれ、体をくねらせた形で、ここが尾びれ! 鱗の光沢を色の層で表現できそうでしょ⁉︎ こんなに沢山彫像があるから、道具を貸してもらえないか聞こうと思って……悪気はなかったんだ!」

「道具というのは、何が必要なのでしょう?」

「えっ、……彫刻刀とか、ハンマーとか」

「彫刻刀?」

「こう、持ち手があって、先に刃が……色々な形をしてて!」

「刃?」

「あああぁぁ、結局そこからかああぁぁ」

 しばらく必死で説明するも、伝わっていない様子にカロンは頭を抱えた。

 いつも通りの展開だったものの、女主人はカロンの落胆した姿をしばらく見つめ、おもむろに腕を伸ばし、空間を掴むような仕草。

「分からないから、これでどうにかなさい」

 そう言って渡されたのは、ころんとした拳ほどの黒い石。

「えぇ……」

 これで何をどうしろと?

 そう思った途端、石がデロリと溶けるように歪んだため、カロンは悲鳴をあげた。

 

   ◆

 

「できた!」

 快心の笑みを浮かべたカロン。

 手に持っていた黒い彫刻刀を机代わりの岩に置くと、それはぐにゃりと形を変えて、ただの黒い石に戻ってしまった。

 けれどカロンは気にすることなく、洞窟の奥に向かって声を張り上げ――。

「ご主人、どこにいる? できたよ!」

 反響した声に呼応するかのように、奥の闇から姿を現した女主人に向かい、カロンは握っていたものを掲げて見せた。

「見てみて、これがぺノーチカ。ころんとしてて可愛いだろ?」

「これが小鳥。こんなに丸々とした体でどうやって宙を飛ぶのかしら」

「この部分が翼でね、結構大きく広がる。虫みたいに羽ばたいて飛ぶんだけど」

「羽ばたくの? ならばコウモリと似ているのね」

「……コウモリ……とは、ちょっと違うかなぁ」

「どう違うの?」

 興味津々の女主人に、何とか伝えようと身振り手振り、言葉を尽くすカロン。

 そんな彼の姿を、うっすら微笑みを浮かべて見守る女主人。

「じゃあ次は翼を広げている小鳥を作るから!」

「楽しみにしているわ」

「うん!」

 カロンがこの洞窟で暮らし、二年が経っていた。

 一年半前、意思のままに形が変わる黒い石を貰ったカロンは、それにより彫刻刀を得て、言葉通り孔雀石の魚を作って見せたのだが、女主人は彼の差し出す魚を手に取り。

「なんて可愛らしい」

 そう言い、うっすらと微笑んだのだ。

 以来、カロンは洞窟に転がる鉱石や女主人にもらった宝石を加工して様々なものを彫り、見せてきた。その度に彼女は興味深くそれを観察して、質問を重ね、できたものを温泉の周りに飾り、日々飽きもせず眺めている。

「あなたの手は魔法のよう。あなたが彫るものは繊細で美しい……そして、温かい」

 率直な言葉は面映くはあったけれど嬉しかった。最近は女主人に表情も増え、とてもよく笑うようになったのだが。

 ――精霊ってなんだろう?

 近頃のカロンは、そんな疑問に悩まされている。

 

 良質な銅が産出される山の麓。小さな村で、鉱山労働者であった両親のもとにカロンは生を受けた。

 カロンが八歳の時妹カリスが生まれたが、右脚が曲がっていたため、手助けなしでは歩くこともままならない。

 そんな妹に杖を彫ってやるのが兄たるカロンの役割だったが、ある日その手先の器用さを買われ、細工師の元で下働きをすることになった。

 駄賃を得て生活がほんの少し楽になり、石に美しい模様を刻む師の腕に憧れを持ち、いつか自分の手で何かを作りたいと願うようになって、一生懸命努力を重ねた。

 そんな彼の夢を、師も家族も応援してくれていたのだ。

 しかし。

 村長が代替りした頃から鉱石が産出され難くなり、危険な作業は増えるのに、収入は減るばかり。

 カロンの父も事故に巻き込まれて亡くなった……。

 母一人の収入では家族を養えず、結局カロンも細工師になる夢を諦め、鉱夫となる道を選んだが、母が肺を患って倒れたため、三人の生活は今や十八歳のカロンの肩にのしかかっている。

 とはいえ、小作人である村人らは、誰もが貧しい生活を余儀なくされているのが現状だ。

 父が生きている間に蓄えた貯金も、薬を買い続けるには到底足りない額。

 しかし村長が薬を工面してくれるならば、妹の内職を当てにせずとも女二人が三年食い繋ぐことはできているはず。

 新たな鉱脈を得られたなら、村人らも健康を害したり、命を危険に晒すような作業をしなくて済むはずだ。

「……精霊か」

 銅山の女主人について教えてくれたのも村長だ。

 高価な馬車と馬を持っており、遠い街に鉱石を売るのは村長の役割。母の薬を買い付けてくれるのも村長であったため、支払いを少し待って欲しいとお願いに行った日、彼は山のどこかに精霊が住んでいる。村の鉱山はかつて村長の曽祖父が精霊に与えられたものなのだと語った。

『精霊に与えられた山が、枯れるはずがないんだ。だからこれはきっと、精霊の悪戯なんだよ』

 先代の村長が病死するまで、鉱山は殆ど奥に掘り進められることがなかった。掘った場所にすら新たな鉱石が埋まっており、危険を侵す必要などなかったという。

『私は何度も山に入っているが、精霊には一度も会えない。だからカロン、お前も一度山に入ってみてくれ。お前が精霊と契約できたなら、母親の薬代は私が出してやる』

 聞いた時は半信半疑。まさか一度目で会えるなんて思ってもいなかった。

 ――村長には、俺がご主人に会える見込みがあるの、分かってたのかな?

 不思議に思ったものの、確認するすべもない。

 女主人が精霊であるのは確かだ。

 二年もの間ここにいて、カロンは空腹を感じたことがない。

 習慣として眠りはする。喉が渇いた気がして温泉水を口にしたりもするが、飢餓感は一切襲って来ない。

 ――こんな不思議なことがあるのだから、ご主人は絶対に精霊だ。でも……。

 最近、より不思議に思うことがある。

 例えば魚を初めて見た時、彼女は『可愛らしい』と口にし、うっすら微笑んだ。

 つまり、可愛らしいは感覚として理解していたということ。

 二年一緒に暮らすうち、女主人はずいぶん人間臭くなり、冗談を言ったり、時折教えた覚えのないことも口にする。

 だからカロンは、最近こう考えていた。

 女主人は地上の知識や感情がなかったんじゃなく、忘れていたのではないか? と。

 ――そうでなきゃ、なぜご主人が『喜び』を求め『可愛らしい』を理解していたのかが分からないんだよな。

 自分より先にここに来た人から教えられていたのかもしれない。

 しかし彼女の二年の変化は劇的で、なおのこと今までどうしていたのだろうという疑問が大きくなるばかり。

 ――たった二年でこんなにご主人は変わった。七年一緒にいた村長の曽祖父は彼女とどう過ごしていたんだろう?

 七年もの時間をかけて、彼女が得た対価はなんだったのだろう?

 女主人との契約は残り一年。

 その間にもっとたくさん彫れば、彼女はどう変わる?

 ――彫る。

 それは契約のためではあったけれど、カロンにとって至福の時間でもあった。

 ――楽しい。

 捨てたはずの夢が、手の内にある。

 しかし楽しいと感じた次の瞬間、とてつもない罪悪感が胸を締め付けた。

 ――母さんとカリスが苦労しているかもしれないのに……。

 男手のなくなった家。しかも足の不自由な妹と、病の母だけだ。苦労していないはずがない。

 ――死んでしまったと思われてたら、どうしよう。

 そんなことはないと思いたい。

 きっと村長が事情を説明してくれている。そして母の薬を工面してくれているはずだ。

 ――ただ心配してるだけの時間は無意味だ。それなら手を動かそう。たくさん彫って、ご主人に喜びを感じてもらって、一年後にちゃんと願いを聞いてもらえるように。

 決意を新たに、カロンは次の作品に挑むため石探しを始めた。


    ◆


 さらに一年が経つ頃。

「よし」

 カロンは壁面に刻まれた花畑を見渡した。

 これは女主人に頼まれて彫ったものではなかった。初めは外の景色が恋しくて掘り始めたのだが、途中からこの洞窟を離れたあと、女主人を慰めるものになるようにと願っていた。

「……明日か」

 明日でとうとう三年。

 一週間前、女主人は「あと一週間で契約は満了を迎えます。だから戻る準備を始めておきなさい」とカロンに告げた。

『俺はちゃんと契約を守れたってこと?』

『ええ。私は何度も貴方に喜びを与えられました。残り一週間をきちんとここで過ごしたなら、貴方を信頼に足ると認めましょう』

 その言葉を口にした際の女主人を思い出し、カロンは右手の黒い彫刻刀をキツく握りしめた。

「……」

 彼女は喜びを与えられたと認めてくれたけれど、その時の表情は悲しみに満ちていたのだ。

 ――俺が帰ることを悲しいと感じてくれている。

 三年一緒に過ごしたから、カロンに対し情が湧いたのだろう。それはカロンも同じで、ここを離れがたく感じていたし、彼女がいつも笑顔でいてくれればと願うようになった。

 どうか幸せであってほしいと想うようになった。

 感情など無いかのようだった精霊が、最近はまるで人のように振る舞い、笑い、表情を曇らせる。

 ――でも……。

 三年もの間、カロンは家族を犠牲にしてきた。

 だから戻らなくてはならないと理解しているし、早く家族に会いたい気持ちも当然あった。村長にも女主人の信頼を得られたことを伝え、今までの恩に報いるためにしっかり働かなくてはならない。

 ――三年、好きなことだけして過ごしたも同然なんだから、その分頑張らなくちゃいけないんだ。

 たとえ二度と、女主人に会えないのだとしても……。

 失意と決意を胸に抱きながら立ち上がった時。

 今まで一度もなかったこと――人の声が聞こえた気がした。

 ――そんなはずないよな。

 たまたま家族のことを考えていたからだろう。そう思いつつも、カロンは耳を澄ましていた。

 聞こえたものが、耳に馴染んだ音に似ていたのだ。この三年ずっと申し訳なく思っていた相手の声に。

『――』

「やっぱり聞こえる!」

 カロンは慌てて駆け出した。聞き間違いでないとしたら、声の主は歩くことすらままならない。

 急ぎ走り込んだ先は、カロンの彫った石像らが並べられた温泉のほとり――。

「カリス⁉︎」

 妹を見間違うはずがなかった。

「兄さん!」

 ずっと見てきた歪んだ右脚を引き摺り、這い進んで来たカリスは腕を伸ばし、やっとのことでカロンにしがみつく。

「よかった、生きてた!」

 三年ぶりの妹は記憶にあったよりずっと成長していた。しかしその瞳はカロンと再会した喜びよりも、大きな怒りに染まっていたから、カロンはつい身構える。

「カリス、長く留守にしてごめん。俺――」

「知ってる! 村長さんから聞いてるもの。兄さんは何も悪くないから、今のうちにここから出よう」

「ちょっ、ちょっとまって! 俺はあと一日ここに居なきゃ――」

「シーッ、見つかっちゃう。とにかく今は私の言う通りにして!」

 有無を言わさぬ妹に困惑したものの、三年間家を顧みなかった負目から、カロンは手を引かれるまま、洞窟の入り口に足を向けた。しかし――。

「……やっぱりダメだ。カリス、悪いけどもう一日だけ待ってくれ!」

「兄さん!」

「あと一日だけ……約束なんだ」

「兄さん、それ嘘なのよ。このままだと兄さんは一生ここに囚われてしまう」

「は?」

「銅山の女主人は男を騙して奴隷にする悪い精霊なの。兄さんは魅了されてるんだよ」

 言われたことが信じ難く、カロンは困惑するばかり。

「な、何を言ってるんだ? 俺は自分の意思でここに来たし、ご主人と契約したんだぞ」

「それは捏造された記憶! 村長のひい爺さんは七日と言われて七年の時間を囚われたのよ! 奥さんが見つけてくれなかったら一生囚われたままだったって」

「???」

「とにかく、今は分からなくていいから、一旦ここから出よう。そうしたら記憶もはっきりするから!」

「なりません」

 途端、洞窟の奥から響いた声に、カリスは息を呑んだ。

 カロンには分かっていた。女主人が侵入者に気付いていないはずがないと。

「今カロンを返すことはできません。あと一日が必要です」

「あ、あなたが銅山の女主人っ⁉︎」

「そう」

 女主人は、まるで三年前に戻ってしまったかのように、無表情なまま淡々と答えた。

「カロンは私と契約しました。三年私を喜ばせると。あと一日です。なので今戻ってはなりません」

「あっ、あなた! よくも私の兄さんを……あなたのせいで、兄さんは母さんの死に目にも逢えなかったのよ!」

 カリスが石を掴み、女主人に向かい投げつけたことで、カロンはやっと我に返った。

「待ってカリス! ご主人は悪くない、そもそも契約を持ちかけたのは俺の方なんだ!」

「え⁉︎」

「俺がご主人に契約を願ったんだ。だからご主人は何も悪くない、どうか傷つけないでくれ! それよりも母さんがなんだって? まさか、死んだ⁉︎」

「そうよ……去年発作が起きた時、どうすることもできなくてっ。兄さんをこいつが攫ったせいで、母さんは兄さんを心配して、食も細って! こいつは兄さんだけでなく、母さんの命まで奪ったのよ!」

「そんな……く、薬は? 村長が薬を用意してくれてたろう? それがあれば発作なんか!」

「……何を言っているの? 村長が薬?」

「貰ってないのか⁉︎ ……いや、そもそも村長が俺に精霊との契約を持ちかけたんだ。新しい鉱脈を教えてもらう代わりに、母さんの薬代を工面してくれるって約束で……だから俺は自分の意思でここに来て、ご主人と契約した」

「私が聞いたのと違う……村長は、精霊は若い男を惑わせ、正気を奪って奴隷にするって。だから兄さんを騙して連れ去って――」

「俺が言われたのは、契約のことと鉱山は精霊の気持ちひとつで鉱石が減ってしまうって話だ!」

「鉱石が減ったのは、契約を違えたからです」

 割って入った女主人の言葉。

「カロンの前の男とは、村を支える糧を与える条件で契約しました。しかしそのままでは一生を賭けても足りない願いでしたから、あえて縛りを設けたのです。私欲を持てば枯れると。それでも七年かかりました」

「え?」

「つまり、何者かが鉱山を独占しようとしない限り枯れません。その糸の先――貴方の欲が、鉱山を枯らすのです」

 女主人が指差したのは、カリスの足首。

 カロンが視線を向けると、黒い糸が巻かれていた。

「何でこんなものが?」

 糸を追うと、洞窟の入り口の方に続いている。その糸の続く先から唐突に強い光が差し、カロンは目元を手で覆った。

「こうでもしないと入ってこれなかったんだよ。あぁ、やっと私もここに来れた」

 光の辺り、洞窟の入り口から笑いを含んだ声。

 反響する足音と共にカンテラを掲げ、人相の悪い男を五人引き連れた村長の姿が現れた。カロンと視線が合うと、ニンマリ笑み。

「カロン、やっぱり来ていたか。純粋な願いってのは学が無い者ほど強いねぇ」

「村長?」

「まさか一度で招かれるとは思ってなかったよ。爺さんの言う通り、私欲では繋げてもらえないらしい。待っても戻ってこないし、しょうがなく妹も使わせてもらった」

 にこにこ笑顔で語る村長は、そのままカロンらを追い越し、女主人の前に足を進めた。

「銅山の女主人よ、あの枯れた鉱山の代わりを寄越せ。さもないと……分かるな?」

 村長が腕を上げると、男たちがいっせいに武器を引き抜く。

 カロンはとっさに妹を抱きしめて庇ったものの、状況に混乱するばかり。

「村長⁉︎」

 カロンの声はただ虚しく反響。

 女主人は無粋な侵入者を見据え、静かに告げた。

「貴方は私と契約する権利を有していません」

「言うと思ったよ。だから契約はとっくに諦めた。代わりにこの洞窟を頂戴する。素晴らしい場所じゃないか! 高価そうな宝石や鉱石、彫像がこんなに沢山!」

「ここのものは石ころひとつであっても私のものです」

「いいや、もう私のものさ!」

 男たちが剣を構えてにじり寄ってくる様を、女主人は冷めた瞳で見つめたまま、逃げようとしない。

 抵抗する術がないのだと考えた男たちは、村長と一人を残し、次々と奥に向かい洞窟内を物色しはじめた。

「やめなさい」という静かな女主人の言葉は完全に無視され、カロンは妹を抱きしめたまま叫ぶ。

「村長やめてください!」

 あと一日なのだ。それで新しい鉱脈を得ることが叶うのに、なぜ暴力に訴えようとしているのか、それが理解できない。

 そんなカロンに対し、村長は笑いを含んだ声で、おざなりにねぎらいの言葉を放つ。

「ご苦労だったなカロン」

 残忍な笑みを浮かべた村長は、侮蔑の視線を兄妹に向けて――。

「お前はもう用無しだ。カリス共々、口を塞げ」

 一人だけ残っていた男が、カロンとカリスの背後から斧を振り上げる。

「やめなさい!」

 途端、怒りの表情で叫んだ女主人。しかし静止の声はやはり無視された。

 迫る危機に気づいたカロンは、悲鳴を上げる妹を胸に抱き込み、振り下ろされる斧を払おうと腕を振り上げ――。

「兄さん!」

「カロン!」

 右手が宙を舞ったのと同時、カリスの悲鳴に女主人のそれが重なった。

 さらに、洞窟奥からも響く絶叫。

「なんだ⁉︎」

 慌てた村長が視線を向けるものの、暗がりは見通せない。

 ぼたりと腕が地に落ちても、奥から響いてくる絶叫は続いていた。

 戸惑う村長を置き去りにした女主人は、声を無視してカロンに駆け寄り腕を伸ばす。

「あぁ、なんてこと!」

 カロンを抱きしめハラハラと涙を溢す女主人。カツン、カツンと石を打つ音。二人の姿を唖然と見つめるカリスは、まだ現実が受け止めきれていない様子。

「ご、ご主人、逃げ、て」

 洞窟の奥で何が起こっているか、カロンには分からなかった。

 だが二人を守らなければと、必死で身を起こす。

「カリスと一緒に、安全な場所へ……」

「あぁいけない、血を止めなければ」

「お、俺のことはいいから、早くっ」

「私の心配をしている場合ではないの! このままではあなたの命が失われてしまう!」

 初めて耳にする叫び声。

 初めて目にする女主人の錯乱した姿。

 精霊はまるで人のように涙を零しながら、カロンの頬を撫でた。

「ごめんなさい。あなたの前で、精霊として振る舞うのが怖かった……。だけど今まで通りにしていれば、あなたの大切な腕を失わせたりしなかった!」

「ご主人?」

「どうして私はいつも間違うの? 肝心な時に失敗してしまうの⁉︎ 私が感情に執着したばっかりに!」

 洞窟奥から響いていた悲鳴がひとつ消えた。

 しばらくすると、また。

 村長を背にを庇った斧の男が仲間の名を叫ぶが、奥から返事は帰らず、最後の悲鳴が消えると、奥から響く音はなくなった。

「ど、どうした、何が起こっているんだ?」

 村長に洞窟奥へと足を進める勇気はなかった。

 かといって、たった一人残った自分の守りを向かわせるのも怖い。

 そこでようやっと、啜り泣く女主人に気付き。

「おい、なにをした⁉︎」

 問いかけに対し返ったのは、斧を持った男の絶叫。

「お、俺の脚があああぁぁ⁉︎」

 そして――。

「な、なんだこれは⁉︎」

 気づけば村長の脚も、すでに動かなくなっていた。

「やめろおおぉぉ!」

 斧の男が叫ぶが、胸、腕がどんどん色を失い、固まっていく。

 それに少しだけ遅れて、村長の腰も白く変色――いや、石化していた。

「やめろ、私に何をした⁉︎」

「……ここがどうして『強欲の墓標』と呼ばれるか、これで分かったでしょう?」

 涙を零す女主人の返事は、視線すら向けずたったそれだけ。

 次の言葉を発する前に、村長の口元も固まり、気づけば精巧な鍾乳石の彫像がふたつ、そこにあった。

 その様子に状況も忘れ、呆然とするばかりのカロン。

 恐怖に引きつった表情のカリスは、しかし――。

 いくら待っても、変化が訪れない。

「……な、なぜ私は、石にならない、の?」

 カリスの呟きに、涙を拭った女主人が顔を上げ。

「石になるのは、精霊のものを盗もうとしたり、害そうとした者。それはここの精霊が私になる前からの約束ごと。あの男の口ぶりからして、決まりは知っていたでしょうにね」

「あ、あなた……あなた、精霊なのよね?」

「えぇ、そう。今は私がここの女主人。貴女たちと同じく願いを叶えるためここに来て、失敗して、精霊に成り代わった」

 寂しい笑みを浮かべた女主人は、諦めたように笑い、どこからともなく絹布を取り出し、カロンの腕を縛った。

「ごめんなさい、貴方の手……細工を作る大切な手を、こんなことにしてしまって」

「ご、ご主人も、人、だった?」

「そう。ずっとずっと昔に人であることを奪われたの」

 殆ど忘れかけていた。なのにこの三年、かつてのように人と接し、過ごし、思い出してしまった。

 再び涙を落とす女主人の頬に左手を伸ばしたカロンは、落ちる雫を拭ったけれど、水滴は手に触れた途端、小石となって地に落ち、カツンと音を立てた。

「やっぱり、人だったんだ」

 前々から感じていた違和感。

 感情がないというよりは、忘れてしまったのではと考えていたけれど、まさかそれが真実だったとは。

「怖い思いをさせてごめんなさい。でもこれで危機は去った。けれど、カロンはあと一日、ここで過ごさなくてはなりません」

「どうして⁉︎」

 こんな怖いところには居たくないと、慄くカリスに、女主人は優しく語りかけた。

「あと一日で、カロンとの契約が完了します。そうすれば願いをひとつ叶えてあげられる。元々の願いの代わりに、別の願いを叶えます」

「鉱脈は絶対に必要なんだ! でないと村のみんなが――」

「邪念が消えたなら、鉱山は蘇るわ」

 ホッと安堵の息を吐き、痛みに顔をしかめたカロン。眉をひそめた女主人は、カロンを抱えて温泉へと向かった。

「この水脈は精霊の命の源といえるもの」

 カロンとカリスを促し水に身を浸す。すると傷口から滲む血はたちどころに止まり、それどころかカリスの曲がった脚すら歪みを正した。

「失った手首(もの)は取り返せないの。だから……」

 呆然とするカロンを、女主人は両手で抱きしめ、そっと握らせたのは、いつもの黒い石。

「どうかこれを持って帰って、あなたの手の代わりにしてほしい」

「……ここのものは全てはご主人のものだ」

「私は三年の時間だけでなく、あなたから大切な右手を奪った。これはそのお詫び」

 自在に扱うには、たくさん訓練が必要になるだろう。それでも、カロンならやり遂げると信じていた。

「命を取り返すこともできないの。お母様まで奪ってしまったこと。本当に、ごめんなさい」

「ご主人は悪くないよ。ここに来たのは俺の意思だし、薬の約束を破っていたのは村長だ。だけど長くカリスを一人にしたことは、ごめん」

「私は兄さんが生きててくれたなら、それでいい。でも母さんを守れなくてごめんなさい」

「カリスは何も悪くない」

「兄さんだって悪くないわ。……それから女主人、貴方にも酷いことを言ってごめんなさい。なのに脚を癒してくれてありがとう」

「償いには到底足りないけれど、少しでも報いれたなら嬉しいわ」

 それから互いを抱きしめ合い、三人は待った。

 静寂のなか、静かに時が流れ――。

「時間です」

 二人から腕を離した女主人は立ち上がり、必死で悲しみを押し殺し、微笑んでみせる。

「さぁ、願いを」

 これでカロンはここを去る。

 感情を取り戻してしまった女主人にとって、それはとても苦しいことだったけれど、これ以上を望んではいけないと分かっていた。

 愛したからこそ、手放さなければならない。これ以上を奪ってはいけない。

 また感情を失くすまでの時間と、その後を、ここでひとり過ごす。それが間違いを選んでしまった彼女なりの贖罪。

 カロンはずっと考えていた。

 失くしたものを戻すことはできない。母の死を無かったことにもできない。

 手はひとつ失ってしまったが、代わりに妹は自由に歩けるようになって、鉱山も復活するという。

 カロンにとってこれ以上は必要なかった。

「……俺の願いは――」

 

 いや、ひとつだけ。

 

「ご主人が、奪われた人生を、取り戻すことを願います」

 

    ◆

 

 三年行方しれずだった村の青年が、妹に導かれ、妻を連れて戻ったのは、村長が姿を消した直後だった。

 青年は極めて腕の良い細工師として成長しており、ほどなく名を馳せ、妻も献身的に夫を支え、良く働いた。

 彼はいつも右手に黒い手袋をはめ、眠る時も外さなかった。

 

 その後、この辺りで精霊の話を耳にすることはなかったという。

 

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