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勇者に婚約破棄された魔女は、魔王に婚約を申し込みに行きました。 ~かつて最恐と呼ばれた魔女の封印は、無知な勇者が解きました~

作者: 宮野 智羽

 

「ジアンナ! 今、この時をもって、お前との婚約を破棄する!!!」


 暴れていた魔獣の討伐から帰って来た婚約者__ライアンは、帰ってくるなり、そう声を荒らげた。


 ライアンは、国を代表する『勇者』である。その隣には、彼と同じパーティーに所属する可憐な少女__魔導士のクレアが寄り添うように立っている。クレアの表情には、かすかな優越感が浮かんでいた。


(3週間ぶりに帰って来たと思ったら、何事なの?)


 ジアンナは、そんな2人の様子をただ静かに見つめていた。黒髪に、深紅の瞳を携えたジアンナは、紅茶の入ったカップを静かにソーサーに置いた。


「……そうですか。わたくしとの婚約を破棄されるのですね」


 ジアンナは表情一つ変えずに、ただ静かに問いかけた。ライアンは、あまりにも静かな声音に一瞬怯むが、すぐに気を取り直した。

 

「ああ、そうだ!お前との婚約は、国王の命令とはいえ、俺にとっては苦痛でしかなかった!魔力も、特筆する能力もないお前を、勇者である俺が愛するわけがないだろう!!俺が愛しているのはクレアだ!彼女こそ、俺の隣に立つにふさわしい強い女だ!」


 ライアンの言葉に、クレアは顔を赤らめ、嬉しそうにライアンの腕に抱きついた。


「ライアン様…!」


 ジアンナは、2人の茶番劇を冷めた目で眺めていた。


 この婚約には、もともと愛などなかった。

 諸事情あって地下牢にいたジアンナが「外に出たい」と国王に申し出ただけ。そうしたら、勇者との望んでもいない婚約を結ばされていたのだ。おかげで外に出ることはできたが、勇者との婚約なんて誤算にも程があった。きっと、監視のために勇者を近くに置いておきたかったのだろう。


 しかし、ライアンはジアンナが【最恐の魔女】であることは知らないようだ。王命として婚約を結んだだけで、ジアンナの正体に関しては聞かされていなかったのだろう。


 そこまで推測したジアンナは、ほくそ笑む。知らないのならば、好都合。無知は利用してやろう。


「わかりました。その婚約破棄、お受けしましょう。ですが…その前に、1つだけお願いがあります」


 ジアンナは、ライアンの目に真っ直ぐに視線を向けた。その深紅の瞳は、まるで燃え盛る炎のように、ライアンの心を揺さぶった。


「そのお願いを叶えてくださるなら、わたくしは、この書類にサインし、永遠にあなたの前から姿を消しましょう」


 ライアンは、ジアンナの言葉に、ますます訝しげな表情になった。両者の間に緊張が走る。


「なんだ、そのお願いというのは?」

「わたくしが身につけている、このアクセサリーを外していただきたいのです」


 ジアンナは、自分の首につけられたチョーカーと、両手足につけられた装飾品を指差した。それは、彼女の魔力を封じ込めるための特別な封印具。しかし、ライアンは、そのことを知らなかった。


「なぜ、そんなことをさせるんだ」

「あら、国王陛下から聞かされていないのですか?これは婚約の証です。婚約者であるライアン様に外していただかないと、本当の意味で婚約破棄の成立を示すことができないのです」

「し、知っているさ!! 婚約の証な!! い、今思い出した!」


 さて、簡単に騙されてくれるプライドだけは一人前の勇者様を騙せたことだし、あとは最後まで静かにしておこう。


 この装飾品は、婚約の証なんかではない。本当は、

 

「わかった。それで、お前が俺の元から去ってくれるなら、構わない」


 ライアンは、ためらいなく、ジアンナの装飾品に手を伸ばした。まずは両手首につけられた装飾品、次に両足首に付けられた装飾品。


 クレアも信じ込んでいるようで、外されていく装飾品を見て、段々と笑みを深くしていく。有名人で、皆のあこがれの的である勇者を婚約者から奪うことができて、嬉しいのだろう。


(ああ、私も嬉しいわ。ようやく……ようやく、、)

 

 ライアンがチョーカーを外した瞬間、まばゆい光が室内を包み込み、ライアンとクレアの視界を奪う。


「ぐっ、、」

「きゃあああ!!」

 

 目を閉じても届く強い光に、2人は呻く。その中でただ1人。ジアンナは笑っていた。


 光が消えた時、ライアンは、自分が取り返しのつかない過ちを犯したことを知った。


 勇者の婚約者で、魔力が皆無とまで言われたひ弱な女性は、もうそこにはいなかった。

 禍々しいまでの魔力を放つ、【最恐の魔女】。


 彼女の深紅の瞳は、冷たく、そして美しく輝いていた。


「な、なん…だ、この、魔力は、!?」


 ライアンの声が震える。その声は、恐怖に染まっていた。クレアは部屋のすみで、泣きながら蹲っている。


 そんな2人を一瞥すると、ジアンナは婚約破棄を証明する書類にサインをした。すでにライアンの分の記入は済んでおり、ジアンナが記入したことで書類は完成した。


 ジアンナは腰を抜かしているライアンに近づいて書類を渡すと、それはそれは綺麗な笑顔で彼を見下ろした。


「封印を解いてくださってありがとうございます、無知な勇者サマ」

「お、まえ、」

「あそこで蹲って泣いている魔導士が、かつて【最恐】と呼ばれた魔女である私よりも、強いようには見えませんが、あなたが望むのでしたら仕方ありませんね」


 ジアンナは部屋の中心まで戻ると、魔法陣を床に描き、優雅な動作でその中央に立つ。魔方陣が輝き、発動する直前、思い出したようにジアンナは顔を上げた。


「ああ、そうだ。国王からお叱りがあると思いますが、頑張って耐えてくださいね。では、」

「ま、まて、」

「ごきげんよう」


 無情にも去っていったジアンナ。ライアンは、ただ茫然と魔方陣が消えるのを見送るしかなかった。


 彼の足元には、ジアンナが残した婚約破棄の書類と、彼女が身につけていた5つの装飾品だけが残されていた。ライアンは、自分がとんでもない過ちを犯したことを悟り、その場で叫ぶしかなかった。



◇◇◇



 さて、封印を解いてもらって自由を得たジアンナだったが、実は行先に迷っていた。


 かつては【最恐の魔女】とまで呼ばれた彼女は、訳あって地下牢にいた。封印の装飾までガチガチに付けられて、早数百年。そんな後に得た自由を、彼女はまさに持て余していた。


「えー…どうしよ」


 でも、また人間のふりをして生きるのは嫌だ。あまりにもつまらないし、変化が早すぎて目が回る。価値観の違いに付き合うのは、もううんざりだった。


「どうせなら、魔族の社会で生きてみようかしら。きっと人間よりは、価値観が近いはずよね」


 ジアンナはそう結論づけ、再び魔法陣を地面に描いた。行き先は、魔族を統括している魔王の住まう魔王城。


 魔法陣がぼうっと不気味な光を放ち始める。ジアンナは優雅にその中心に立つと、行先を指定する。


「──魔王城、正門前」


次の瞬間、彼女の姿は光に包まれ、その場からかき消えた。




 

 

 場所は変わり、魔族が住む魔王領。

 

 その中心には、漆黒の尖塔が連なる、いかにも不穏な空気を纏う城が、不気味な夜空にそびえ立っていた。魔王城の正門前には、魔族の兵士たちが警備にあたっている。


 その門前に、突然、魔法陣が現れた。兵士たちは即座に武器を構え、警戒態勢に入る。緊張が走る中、魔法陣の中から、1人の女性が姿を現した。


 彼女は、まばゆいまでに美しい黒髪を風になびかせ、深紅の瞳を静かに輝かせている。その姿は、まるで夜の闇に咲く1輪の赤い花のようだった。


「何者だ!」


 兵士の1人が怒号を上げた。ジアンナは、その声には一切耳を傾けず、ただただ巨大な魔王城を見上げる。


「あら。随分と立派な城だこと」


 ジアンナは、その城の威容を前に、不敵な笑みを浮かべる。


「さて、まずはご挨拶と参りましょうか」


 彼女は、まるで久しぶりに友人に会うかのように、楽しげな表情で呟いた。その顔には、数百年分の退屈を晴らすかのような、強い期待が浮かんでいた。


 

◇◇◇


 

「はぁ…!はぁ…! 魔王様っ!!!!」


 バンっと大きな音を立てながら、ある人物が王の執務室へと駆け込んだ。ノックもなく、無作法な入室だったが、部屋の主は顔を歪めることは無かった。


「ああ、ハンツか。ちょうど良かった。この前の報告書に関して聞きたいことがあるんだが、」

「それどころではありません!!」


 余りにも焦った部下の様子に、書類の山に囲まれた魔王は、ようやく顔を上げた。そして、何かに気がついたようにハッとした。


「もしかして、予算案の方か?あっちなら、」

「それでもありません!」

「先日のパーティーの返事か?」

「違います!!」

「まさか縁談か!? こんなに忙しい時にそんな話を振ってくるなと何度言ったら、」


 「かの有名な【最恐の魔女】が、魔王城内で暴れているんです!!!」


 半ば叫ぶように紡がれたハンツの言葉に、魔王は不思議そうな顔をした。


 【最恐の魔女】はここ数百年、その噂をめっきり聞かなくなっていた。命を落としたのではないか、とまで噂されていた存在が、なぜ何の前触れもなく魔王城で暴れているのか。

 

 喧嘩を売った覚えも、買った覚えもない。直近の来訪者は、あの傲慢な態度の勇者パーティーぐらいだったはずだ。結局、魔王である自分が出る間もなく、幹部が叩きのめして追い返したらしいが…。


「何…?」

「ですから!最恐の魔女が、どういうわけか魔王城前に転移してきて、警備たちが止めようとしても聞かず、暴れているんです!!」


 焦りに焦ったハンツの顔に、魔王は覚悟を決めた。

 考えていても仕方ない。まずは被害を最小限にしようと、魔王が椅子から立ち上がった。


 その時、執務室の扉が、ゆっくりと開いた。


「失礼いたします。魔王様は、こちらにいらっしゃいますか?」


 顔を覗かせたのは、1人の美しい女性だった。黒髪に深紅の瞳。姿こそ人ではあるものの、人ならざる雰囲気を醸し出していた。

 そんな彼女の周りからは、絶えず底知れぬ魔力が溢れ出している。魔王は、その魔力に顔を引き攣らせた。


「お前が……【最恐の魔女】か」


 魔王が警戒しながら問いかけると、女性は艶やかに微笑んだ。


「ええ。お初にお目にかかります。わたしく、ジアンナと申します」


 恭しく礼をしたジアンナは、静かに顔を上げた。そして、可愛らしく首を傾げた。


「重ね重ねになりますが、あなたが魔王様ですか?」

「…ああ。そうだ」

 

 魔王がそう答えると、ジアンナは再び微笑んだ。


「それは良かったです。では、早速ですが、本題に入らせていただきます」


 ジアンナは、魔王とハンツの前に優雅に進み出た。


「実はわたくし、ちょっと訳ありでして…行く当てがないんです。それに、人間の社会には疲れましたし、魔族の社会で生きようかと思っていますの」

「ほぉ…?」

「そこで、提案があります」


 彼女の深紅の瞳は、魔王の心を射抜くかのように輝いていた。


「かつて最恐と呼ばれた魔女を、娶ってみませんか?」


 ジアンナは、そう言って、にっこりと微笑んだ。その言葉に、魔王は呆然と立ち尽くし、ハンツは卒倒しそうになっていた。


「め、めとる…?」


魔王が震える声で呟いた。かつての最恐の魔女が、まさか、自分に嫁入りを提案してくるとは。

まるで名案だと言わんばかりに、にこにこしているジアンナに、魔王は気まずそうに返した。


「い、いや、悪いが……今は仕事が立て込んでいるんだ。またにしてくれないか」


 魔王は、山積みの書類をちらりと見ながら言った。ジアンナは、魔王の言葉に不満そうな顔をする。

 機嫌を損ねてしまった事実に冷や汗をかく魔王とハンツだが、ジアンナは機嫌を損ねたというよりかは、しょんぼりしている様子だった。

 

「せっかくいい話だと思ったのに…」


 肩を落としたジアンナがあまりにもただの少女に見え、2人は慌ててしまう。相手は、最恐と呼ばれた魔女に違いない。頭では分かっているものの、目の前の少女は無害にしか見えない。


 ジアンナは、静かに執務室を見渡した。そして、机の上に積まれた書類の山に目を留め、ぴたりと動きを止める。


「……これって、私も手伝えませんか?」


 ジアンナは、純粋に問いかけた。魔王は、一瞬何を言われたのか分からなかった。


「手伝う?」

「はい。折角なら、労働もしてみたいと思っていたんです。お忙しいようですし、私にも手伝わせてくださいません?」


 先ほどまでの、丁寧に丁寧を重ねた言葉遣いや表情は消え、素の一面を出してきたジアンナ。一人称も『わたくし』から『私』へと変わっていることに、ジアンナ自身も気づいていなかった。

 

 魔王はというと、まさかの打診に呆気に取られた。しかし、すぐに冷静を取り戻し、書類の山から1枚を抜き取って、ジアンナに差し出した。


「……それなら、まずこれをやってみてくれないか」


 ジアンナは書類とペンを受け取ると、そこに書かれた数字をざっと眺めた。そして、迷いなくペンを走らせる。見守っている間にも、書類の空欄が次々と埋まっていく。その正確さとスピードに、魔王とハンツは目を見張った。


「ん-…うん。できました。多分ミスはないと思いますが、念のため確認をお願いします」


 書類を受け取った魔王。ハンツと共に確認をするも、ミスは1つも見当たらなかった。早くて、正確。まさに、この多忙を極める魔王城の求める人材だった。


「…すごいな。完璧だ」

「ありがとうございます」

「雇用は即日でもいいか?」


 魔王がそう言うと、ジアンナは嬉しそうに顔を綻ばせた。


「わあ、やった!ありがとうございます、魔王様!」

「ただし!」

 

しかし魔王は、先ほどハンツから聞いた言葉を思い出し、釘を刺した。


「さっきハンツから聞いたが、君はここに辿り着くまで相当暴れたそうだな」


ジアンナは一瞬、きょとんとした顔をした後、へらりと笑った。


「ごめんなさい。『魔王様にお会いしたい』と言っても、誰も信じてくれなくって」

「実力があるのはいいことだが、ちゃんと手順を踏んでくれ」

「はい…」

「君が壊した場所を修復してこい。それから、もし怪我人を出したなら、治療もすること。それができないなら、雇用は取り消す」


 魔王の言葉に、ジアンナは何度も頷いた。まるで「待て」と言われている犬のようだ。


「…ちゃんと和解もするんだぞ。今後の仕事仲間なんだから。分かったなら、行ってこい」

「分かりました!早速、行ってきます!」


 ジアンナは、元気に返事をすると、執務室の扉を開けて走り去っていく。やはりその姿は、とてもではないが、かつて最恐と呼ばれた魔女には見えなかった。




 ジアンナが去った後、執務室には静寂が訪れた。言葉にはしないものの、2人は嵐が過ぎ去った後のようであると感じていた。


「最恐の魔女って、あんなにも幼いのか…?」

「僕も意外でした。噂では、孤高で暴虐な魔女だと聞いていましたが…ほら、世界を滅ぼしかけた話があるぐらいですし」

「……もしかしたら、周りが怯えすぎていただけなのかもな」


 厳かな椅子に深く腰掛けた魔王は、細く息を吐く。その姿を、ハンツは静かに見つめていた。


 

 魔王というだけで恐怖の対象にされているのも、

 魔女というだけでいつまでも過去の話をされるのも、


 きっと、似たようなものなのかもしれない、とハンツは思った。


 

 ◇◇◇



 王城の一室。ライアンは、国王と重鎮たちに囲まれ、ひざまずいていた。彼の周りには、怒りに満ちた声が飛び交っている。


「愚か者めが!勇者ともあろう者が、いとも簡単に魔女の封印を解くとは何事だ!」


「勇者が無知であったばかりに、我らは再び【最恐の魔女】の脅威に晒されることになった!これは国を揺るがす大罪だぞ!!!」


 重鎮たちの罵声が、容赦なくライアンに降り注ぐ。ライアンは、ただ黙って頭を垂れるしかなかった。クレアは、とっくに自分の身が可愛くて、どこかへ姿を消してしまっていた。


(クレア……)


 ライアンは、心の中でクレアの名を呼んだ。彼女のために、国王から紹介されたジアンナとの婚約を破棄したのに。

 

 その結果がこれだ。


 国王が、冷たい視線を向けたまま口を開いた。


「ライアンよ。お前が勇者でなければ、この場で処刑しているほどの重罪だ。お前の愚かさで、この国は、いや、世界は、再び破滅の淵に立たされるかもしれんのだぞ」


 ライアンは、唇を噛み締めた。国王の言葉は、彼の心を深くえぐった。


「…誠に、申し訳ございません」


 ライアンは、震える声で謝罪した。プライドが悲鳴を上げている。

 なんで、どうして俺がこんなことに。俺は、勇者だぞ。


「謝罪などいらん!大罪を犯したのならば、その償いをせねばなるまい!」


 国王は、そう告げると、ライアンに顔を上げるように促した。


「良いか、ライアン。お前がやるべきことは1つだ」


 国王は、冷酷な目でライアンを見据えた。


「【最恐の魔女】を再び封印し、ここに連れ戻してくるのだ。お前が解いた封印なのだ。お前の手で、再び彼女を封じ込めよ」


 ライアンは、国王の言葉に息をのんだ。あの恐ろしい魔力を目の当たりにした今、ジアンナを封じ込めるなど、今の自分にできるのだろうか。


 先ほど返したばかりの装飾品が、自分の目の前に投げられる。合計5つの、封印のまじないがかけられた装飾品。


 

「必ずや、ジアンナを連れ戻して参ります!」


 

 ライアンは、そう力強く答えた。彼の心の中には、恐怖と後悔、そして、かすかな使命感が渦巻いていた。


 俺は、勇者だ。悪は、滅ぼさなければならない。

 

「…よいか、ライアン。これは、お前の勇者としての存在意義を証明するための、最後の機会だ。失敗は許されない。もし、再び魔女に逃げられでもしたら、その時は……」


 国王の言葉はそこで途切れたが、その続きは、ライアンにも容易に想像できた。失敗は、死を意味する。

 ライアンは、静かに頷いた。


「必ず、成し遂げてみせます」


 ライアンはそう誓うと、重い足取りで王城を後にした。


 

◇◇◇




「魔王様、今日こそはっきりと答えてください!」

「もう書類終わったのか。早いな。確認するから、ちょっと待っててくれ」


 ジアンナは今日も書類を片手に、魔王の執務室へと乗り込んだ。。会話はすれ違っているが、それすらも日常と化していた。


「うん。今日も完璧だ。さすがジアンナだな」

「ありがとうございます!…じゃなくて!!」

 

 一瞬緩み切った笑みを浮かべたジアンナだったが、思いだしたかのように畳み掛けた。


「私と、いつになったら婚約してくださるんですか!!」


 魔王はジアンナの言葉に、深い溜息をついた。

 このやり取りは、魔王城にジアンナが転がり込んできてから、1年間続いている。


「あのなぁ…」

「こんな風に引き延ばされたら、さすがの私だっておばさんになっちゃいますよ!?」

「魔女って長寿だろ。そういえば、今は何歳なんだ?」

「…女性に年齢を聞くのはご法度ですよ」

「えっ、これって俺が悪いのか?」


 見慣れた2人の掛け合いに、たまたま居合わせたハンツも温かな目を向けている。今までは『魔王様は怖い』という印象を持っていた部下も、2人の掛け合いを通して少しずつ印象が変わってきているようだった。

 魔王軍の幹部として、ある程度魔王を傍で見てきたハンツも、その変化を良いものとして捉えていた。

 

「ほら、私、結構仕事できるでしょう?」

「そうだな。本当に助かっている」

「魔力もありますし、戦いにも向いていますよ。結構、好物件だとは思うんですけど~…?」

「確かに、文句のつけようがないが…」


 魔王がそう言うと、ジアンナは顔を輝かせた。


「でしょ!?だから、もういい加減、婚約してくださってもいいんじゃないですか?」

「尚更、俺じゃなくていいだろ」

「も~!!そうじゃないです!私が求めている返事は、それじゃないんですよ!!」

 

「あの~、お二人さん?」


 見かねたハンツが声をかける。2人は言い合いをやめて、彼を見た。


「気分転換に、散歩をしてきてはいかがですか?幸い、今日は1時間ほど休憩を入れても、問題ない量の書類ですし」

「…魔王様も連れ出しますよ」

「むしろ、お願いします」


 突然巻き込まれた魔王は、鋭い眼光でハンツを見る。

 

「おい、勝手に決めるな」

「魔王様。部下の様子をご自身の目で見つめるのも、上司としての仕事ですよ。この部屋には僕がいるので、ご安心ください」

「はぁ…分かった」


 ハンツの言葉に、魔王は観念したようにため息をついた。


「はぁ……わかった。1時間だけだぞ」

「はーい!ハンツさん、行ってきます!」

「はい。いってらっしゃい」


 ジアンナは魔王の手をさり気なく引き、弾むような足取りで部屋を出て行った。



◇◇◇


 

 ジアンナと魔王が廊下を歩いていると、すれ違う魔族たちが一様に驚いた顔をした。書類の山に埋もれがちな魔王が廊下を歩いているなんて、かつては想像もできなかった光景だったからだ。


 ふと、魔王が寄せられる視線を追うと、1人の兵士は大げさなほど肩を揺らした。まだ新兵のようで、恐る恐る顔を上げる。

 

「……」

「あ…こ、こんにちは」

「ああ、こんにちは」

「「……」」


 ぎこちない上司と部下の会話に、ジアンナは思わず魔王の脇腹を肘で小突いた。小突かれた魔王は不思議そうな顔をするも、ジアンナの視線から言いたいことを汲み取ったようだ。


「……最近はどうだ?訓練は順調か?」

「は、はい!!先輩方も本当に優しくて、俺…田舎からここまで1人で出てきたんですけど、友達もできたんです!」

「ははっ、それは良かった。何か困ったことがあったらすぐに相談するんだぞ」


 2人の楽しげな会話を聞いたからなのか、次第に魔族が集まってくる。皆、様子を伺いつつも、本当は魔王と喋りたかったようだ。


 

「ま、魔王様。今日は珍しいですね。お散歩ですか?」

「ああ、少しな。ハンツに追い出されたんだ」

「ジアンナさんもですか?」

「ええ。気晴らしに散歩を進めてもらったの」


 

「ジアンナさん。先日は、色々教えていただきありがとうございました!」

「全然気にしないで。これからも、いつでも声かけてね」

「何を教えたんだ?」

「ある国についての歴史を少し。ほら、外交にも役立つ話でしょ?」

「本当に助かりました!ありがとうございます!また、お願いしたいです」

「もちろん!」

 

 

 兵士の言葉を受けて、ジアンナは得意げに胸を張る。その様子に、魔王は嬉しそうに笑った。

 

 


 

 数人の兵士と共に歩みを進め、庭園に出ると、今度は庭園の手入れをしていた老魔人が声をかけた。彼は昔から城の庭園の管理をしてくれている魔人だ。


「おお、魔王様にジアンナさん。それに、皆さんまで珍しいですね。お疲れ様です。散歩ですか?」

「ああ。たまにはな」

「そうですか。ここは気分転換になるでしょう。いつでもいらしてください」

「…そういえば、花が一段と鮮やかになったな。前に来た時と違うように見えるが…」


 魔王がそう言うと、老魔族は嬉しそうに顔を綻ばせる。


「そうなのです。ジアンナ様が魔力で土壌を改良してくださってから、植物たちが活き活きとしているのです。ジアンナさん、ありがとうございます」

「魔力なら有り余っているので、いつでも!私も楽しかったですよ!」


 老魔族の言葉に、ジアンナはにっこりと微笑んだ。魔王は、老魔族から目を離し、ジアンナへと視線を向ける。


 魔王は、この1年間のことを思い返した。

 ジアンナが来てからというもの、執務室に積まれていた書類は半分に減り、魔族たちの間にも活気が戻ってきた。 彼女は、経費計算や書類整理だけでなく、土壌改良や、その知識の提供まで行っていたのか。

 

 最初は、敵としてみなされた彼女。しかし、いつの間にか魔王城の中で、確固たる立場を着実に構築していた。加えて、その事実を全く知らなかった自分に驚いた。そういえば、幹部以外と会話をしたのは何十年振りだろうか。

 

 魔王は改めて、ジアンナの存在の大きさを実感した。


 「? どうされました?」


 ジアンナが、かつて最恐の魔女と呼ばれていたことなど、今となっては取るに足らないことのように思えた。彼女は、ただ、自分と共にあり、共に生きることを望んでいる。その気持ちが、魔王には痛いほど伝わってきた。


「……何でもないさ。ただ、嬉しく思っただけだ」


 じれったい2人のことを、周囲が優しく見守っていたその時、庭園にいた魔王とジアンナに、兵士が慌てた様子で駆け寄ってきた。


「魔王様! 」


 兵士は息を切らしながら叫んだ。彼の顔は恐怖に引き攣っている。魔王は顔をしかめ、ジアンナは不思議そうに首を傾げた。


「そんなに慌ててどうした」

「 金色の鎧をつけた人間の男が、兵士をなぎ倒しながら、こちらに向かってきています!あれは、勇者に違いありません!!!」


 その言葉に、魔王は眉間に深い皺を刻む。


「分かった。報告ありがとう。悪いが、ここに居る者たちも加勢に行ってくれるか」

「「「はっ!!」」」


 命令を出した魔王は、駆けていく兵士を見送る。そして、静かにしているジアンナを見下ろした。


「ジアンナ。今すぐハンツの所へ行って身を、」

「魔王様。きっと、その勇者の目的は私でしょう」


 あくまでも冷静な声。しかし、確かに魔力が揺れている。


「ならば、私が徹底的に相手をします」


 いつものような幼さはどこへ行ったのか、ジアンナは冷たく笑う。その笑みに、魔王はゾッとした。



  そこにいるのは、ジアンナではなく、かつて【最恐】と呼ばれた魔女。



 不似合いだと思っていた異名の理由を、魔王はその時、確かに理解したのだった。



◇◇◇

 


 金色の鎧を身につけた人間の男は、ただただ無心で剣を振るう。彼の剣は、血で鈍く輝いている。

 ジアンナを連れ戻すため、かつての栄光を取り戻すために、魔王城までやってきた勇者__ライアン。その目には、怪しい光が宿っていた。


「お久しぶりです、勇者様」


 そんな彼に、静かに声をかける女性。ライアンは、その声にようやく動きを止めた。

 

「…ジアンナ」


 あくまでも冷静を貫くジアンナの後ろから、魔王が静かにその様子を見ていた。魔王の存在に気づいたライアンは、焦っていた。それでも1年間の苦労と、ジアンナへの憎悪が滲み出す。


 酷く顔を歪めるライアンに、ジアンナは、にっこりと微笑んだ。


「まさか、本当に貴女だとは思いませんでしたわ」


 魔王は、その他人行儀な敬語に懐かしさを覚えた。そうか、これは心の壁故のものだったのかと、今更ながらに気が付いた。

 ジアンナの言葉に、ライアンは怒りを露わにする。


「ふざけるな! お前を連れ戻すために、俺はどれほどの苦労を…! さあ、大人しく戻るんだ!」

「あら、あなたから婚約破棄を突き付けてきましたよね?あまりにも身勝手ではありませんか?」

「うるさい!お前が魔女だと明かしていれば、こんなことには…!!」

「それはご自身の無知を呪ってください」

 

 あまりにも煽られたライアンが怒りに震えている中、魔王は物珍しげに目を瞬いた。


「ほう。ジアンナは、勇者の元婚約者だったのか?」

「まあ…でも、愛する魔導士と結婚するために、婚約破棄されまして。なんでも、『強い女性』と結婚したかったんですって」

「……ジアンナよりも強い女性と?」

「はい」

「…………アイツ、何言ってんだ?」


 魔王は理解しがたいとでも言うように、顔を顰める。対して、当事者であるジアンナは、他人事のように笑う。


「過去のことは、いいじゃないですか。今は魔王様一筋ですから」


 そんな風に軽く言われれば、ライアンの立場なんて無に等しい。たまらず、ライアンはたまらず声を荒らげた。


「ジアンナ!お前はなんて節操のない女だ!見苦しいぞ!!」

「えー…っと、婚約している時に、他の女性に恋愛感情を抱く人に言われても…」

 

 ジアンナの言葉に、ライアンは言葉を詰まらせた。

 

 ふと、魔王が疑問をそのまま、口に出した。

 

「そういえば、ジアンナよりも強い女性とやらは、どこにいるんだ?」

「魔導士のクレア、という方らしいですよ。勇者パーティーの一員のようです」

「……クレアはもういい。俺を捨てて逃げたからな」

「…本当に見る目がないな…」

「見る目がない上に自業自得なので、救いようがないですね」


 ジアンナは、そう言って、けらけらと笑った。ライアンの顔は、怒りと屈辱で真っ赤になっていた。


「そんなに言ってやるなよ…。仮にも、元婚約者なのだろう?」

「え、だからなんですか?」


「この、悪魔め!」


 ライアンが剣を構えた。その切っ先が、迷いなくジアンナに向けられる。しかし、ジアンナは動じない。彼女はただ、哀れむような目でライアンを見つめていた。


「あらあら。私に勝てると思っていらっしゃるの?」


 ジアンナがそう言うと、ライアンは怒りに満ちた声で叫んだ。


「黙れ!俺は勇者だ!お前のような魔女ごときに負けるわけが、」


 全て言い終わる前に、ライアンの身体は容赦なく壁際まで吹っ飛ばされる。ジアンナは、それを張り付けた笑顔のまま見つめていた。


「魔女『ごとき』ですか。あなたは、まだご自分の未熟さを把握されていないようですね」

 

 ジアンナはスッと腕を真っすぐ伸ばす。

 そう、ジアンナは一切動かずして、ライアンのことを吹っ飛ばしたのだ。詠唱どころか、動作もない。


 その事実に今更気づいたライアンの顔に浮かぶのは、『絶望』の文字。


「勇者様。あなたは、どれほど強くなったのかしら?まさか、1年も無駄に過ごしていたわけではないでしょう?」


 ジアンナは、楽しげに問いかけた。しかし、ライアンは小さく首を振るばかり。

 

「お、俺は、お前を連れ戻さないと、、。な、なあ!元婚約者だろう…。慈悲とか、」

「あははっ、あるわけないじゃないですか。手酷く捨てて、さらに自業自得でドツボにハマる。他人に縋る勇者様なんてみっともないですよ~」


 ジアンナの言葉は、ライアンのプライドを的確に折っていく。


「後悔するなら、あの世でどうぞ。ま、私は当分行きませんが」


 その瞬間、ライアンの精神は完全に崩壊した。彼は、自らの無力さと、ジアンナの圧倒的な力の差を思い知らされ、絶望に打ちひしがれた。


「…あ…あ…」


 ライアンは、ただみじめに震えながら、ジアンナを見つめる。明らかに渦巻いていく魔力に、自分の死を悟ると、ライアンは壁にめり込んだまま気絶した。


 それを見届けてから、ジアンナは静かに魔力を霧散させた。彼女は、元からライアンの命を奪う気は無かった。散々脅かして、これに懲りればいいと思ったまでだ。


「魔王様。この愚かな勇者、どうします?」


 ジアンナが魔王にそう問いかけると、魔王は呆れたような、そして少しだけ困ったような顔をした。彼もまた、ジアンナが勇者の命を奪う気がないことは察していたのだ。だから止めることなく、静かに見守っていた。


「……好きにしろ。だが、あまり派手なことはするなよ」


 魔王の言葉に、ジアンナはにっこりと微笑んだ。


「はーい!」


 ジアンナは、再びライアンの方を向くと、彼の足元に向けて手をかざした。


「勇者様、さようなら。これに懲りたら、獄中で大人しくしていてくださいね」


 その瞬間、ライアンの身体は、足元に描かれた魔方陣に吸い込まれていった。彼は最後まで、ジアンナの圧倒的な力に、一切抗うことができなかった。


 魔方陣が消えた後、ジアンナは自分が作ってしまった壁の傷を修復した。ついでに、他の箇所も直すと、何事もなかったかのように幼く笑った。

 

「さあ、魔王様。怪我をしてしまった方の手当てに行きますよ!あの聖剣でつくられた傷は、相当治りにくいでしょうから、一刻も早い治療を!ああ、あと、壊されてしまった城の一部も直さないと!」

「お、おい!転ぶなよ!」

「魔王様!早く~!」

 

 ジアンナは、元気よく魔王城の廊下を走り出す。魔王もまた、笑いながら歩きだしたのだった。



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