柊のことなんて好きに決まってる
「ーー瀬名さんって、青柳君と仲いいんだね」
休み時間。にこにこと、可愛い一軍女子たちがわたしの席を囲んだ。
あざ笑うような冷たい視線で、わたしをぐさぐさ刺してくる。
「え? そんなことないよ」
小さくなる声が情けない。可愛い女子でできた檻の間から、様子を伺う二軍三軍女子が見えた。
愛想笑いしかできない私へ、柊ーーつまり青柳くんと噂されている一軍トップの水瀬さんが身を乗り出す。
「そんなことあるって。
――瀬名さんさ、もしかして青柳君が好きなんじゃない?」
どくん、と心臓が震える。
なんて嫌な質問なんだろう。
くすくす聞こえる女の子たちの笑い声。
あんたが青柳君と仲いいなんて、身の程知らずなんだよ。
そう言われた気がした。
「ひい……青柳君のことなんて好きじゃない。
ただ小学校が一緒だったから」
「えー?でも、嫌いじゃないでしょ?」
さぐるような水瀬さんの目。
頭が真っ白になった。
なんて答えたら正解なのか分からないまま、口が勝手に動く。
「やだな。だから好きじゃないってば。
本当は話かけてこないでほしいくらい。むしろ嫌いかな」
瞬間、教室に帰ってきた青柳柊の姿が視界に飛び込んだ。
薄茶色の髪と、色素の薄い肌。
少し異質さを感じるほど、きれいな顔をした柊がわたしを見ている。
切れ長の瞳が見開いて、傷ついた顔をして――
この一件をを思い出すたび、今もタールのようなものが胸でとぐろを巻く。
柊にあんな顔させてしまった。
柊は、小さい頃からずっと、わたしの大事な友達なのに。
弱い自分が忌々しい。
大嫌いだ。
クラスの女子より、何より、自分のことが――世界で一番大嫌い。
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そんなわたしが青柳柊の名前を呼んだのは、それから半年後のことだった。
「理亜ちゃん、待って!
無視しないで!」
柊の姿が視界に入らないように、わたしは必死に早足で歩いていた。
頭が大混乱していた。
とにかく、私は視界に入ろうと小走りする柊を無視する。
中二ともなれば、下校の道なんて目を瞑っていたって楽勝。
「理亜ちゃん!」
しびれを切らした柊が、ついに両手を開いて立ちはだかった。
青柳柊とは、親同士が友人という縁があり、あの一件があるまではよく家を行き来して遊ぶ仲だった。
柊は出会った頃からきれいな顔をしていたが、中学に入るとそれはますます加速した。
柊と仲が良かったわたしは、クラスの女子から時々「あんな子の何がいいの」と陰口を叩かれた。それを無視することも跳ね返すこともできなかったわたしが、柊のことを避ける道を選んだのは早かったが、決定打になったのがあの一件だ。
違うと言えないまま謝るタイミングを逃して一日、一週間、ひと月が過ぎ――そして、柊はもうわたしを見ることさえなくなった。
だったのだが――
つい三十分ほど前の出来事だった。
学校と家の中間地点で、わたしは横断歩道の前に立つ柊の後ろ姿を見つけた。
脳裏に浮かぶ、あの時の柊の傷ついた顔。
謝りたい。たとえ許してくれなくても、とにかく謝らなきゃ。
――でも、柊と話しているのをクラスの女子に見られたら。
ざわり、とちらつく弱い自分。
罪悪感と恐怖心、勇気と躊躇で胸がつまる。
横断歩道が青になり、柊が渡り始めたその矢先。
車が、そこに突っ込んでいくのが見えた。
瞬間、ひいらぎ、と叫んでいた。
横断歩道へ駆ける。
柊が私を振り返って
久しぶりに見た至近距離の柊は、やっぱりきれいで――
聞こえたクラクションと、冷や汗が出るようなブレーキ音。
「……」
気づいたら、わたしは横断歩道にいて、血だらけの道路の上に立っていた。
救急車が柊を乗せて、サイレンを鳴らして去っていく。
それをぼー、と見送って。
――助けられなかった
漠然と、呟いたその時だ。
「……理亜ちゃん」
ふいに後ろで聞こえた優しい声。
振り返ると、さっき救急車で運ばれたはずの柊がそこに立っていた。
それから。
柊が、わたしについてくる。
なんで?
柊の体はついさっき救急車で運ばれた。
ここに柊がいるなんてあってはならない。あってはならないのに。
……幽体離脱?
それとも……幽霊?
幽霊ではないと思いたい。
幽霊ってことは、柊は死んでることになる。
だから、柊を直視できない。見たくない。
それなのに――
「おーい」
わたしの気持ち等知りもしない柊は、目の前で手をひらひらさせてくる。
なんなんだ。
ずっと話しかけられなかったわたしの思いも知らないで。
柊が車にひかれて混乱しているわたしのことも知らないで。
こうなればやけくそだった。
柊の体をつっきろうと、わたしは目をつむって思い切り突き進む。
「……っ」
やはり、どん、と体がぶつかり合うことはない。
目を開くと、さっきまで目の前にあった柊の顔はもうなかった。
その代わり、すぐ後ろから「うふふ」と恥ずかしそうな笑い声がする。
「――理亜ちゃん、積極的だね」
「……は!?」
思わずかぶりを振ってふり返ってしまった。
目に飛び込んだのは、唇を手でかわいらしく隠した柊の顔。
「――だって、理亜ちゃんからキスしにきてくれるなんて」
上目遣いでこちらを見つめ、柊がぽっと赤くなる。
いっきに顔に血が上っていった。
「きてない!してない!何言ってんの、もーっ」
変な汗が背を伝う。
こんなに混乱しているわたしに、柊はのんきに「あ、すごい久しぶりに怒られたー」と笑う。
その顔は、やっぱり嫌味なくらい綺麗だった。
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家の近くの公園のベンチ。
子どもの頃、よく並んで座ったここに、柊は上機嫌でよいしょ、と座った。
ぽんぽん。
柊が、隣を叩いて私に座るように促す。
「いや、わたしは――」
「いいから。早く」
優しいけれど、有無を言わさない強さの声。
わたしは恐る恐る柊の隣に座る。
投げ出された柊の長い足。
その隣に、わたしの短い足が並ぶ。
「……柊。
こんなところにいたらだめだよ。
わかってる?
柊、さっき――」
途端、鮮明に思い出す「どん」とぶつかる鈍い音。
飛んだ柊。
血の匂い。
急に体が震えだす。
柊は、やっぱり死んだの?
だからここにいるの?
「!」
ふいに、手を握られてそちらを見ると、柊の優しい眼差しがそこにあった。
さっきは体を通り抜けられたのに、今度はなぜか柊の手のひらを感じられる。
懐かしい笑顔。安心する大好きな顔。
「――大丈夫。わかってるよ。
救急車に運ばれてたよね、俺」
びっくりしたぁ、と冗談めかして柊が言う。
「びっくりした、じゃないよ、柊。
柊どうしてここにいるの。
早く戻んなきゃダメ。
死んじゃうよ――!」
「大丈夫」
困ったようにも見える複雑な笑顔で、柊が言う。
「俺は死なないよ」
**************
「俺、結構怪我はひどかったけど、死ぬほどじゃない。
理亜ちゃんが俺を押してくれたおかげだよ」
そう言って、柊はありがとね、笑う。
「あ……」
あの時、必死に伸ばした手は柊に届いていたらしい。
「これは幽体離脱みたいなもので――」
柊はまだなお必死に『自分は死んでない』という理由を話していて、ぐるぐるに固まっていた緊張と不安が急にふわ、とほどけた。
視界がゆがむ。
「そうなの?
ほんとに…っ…?」
「うん」
ぽろぽろぽろぽろ、涙がこぼれた。
柊の優しい瞳に、胸がぎゅっとなる。
泣き顔を見られたくなくて俯いたら、柊の手が私の肩を抱く。
そして、ぽつりと声が落ちてくる。
「理亜ちゃんが助けてくれて、嬉しかった。ありがと。
……でもさ。理亜ちゃん、俺のこと嫌いって言ってたよね」
「!」
はっと顔を上げると、柊がにやりとわたしを見ていた。
意地悪で、けれど底なしに優しい眼差し。
柊は、あんな顔をさせたわたしを、この表情一つで流そうとしているのだ。
「……っ」
甘えちゃだめだ。
あれは、流していいことじゃない。
「柊、あの時は――」
ごめんと開いたわたしの口を、柊は手でそっとふさいだ。
「……謝らなくていいよ。
あれさ、嘘だってちゃんとわかってたから」
静かな声。
わたしはかぶりを振る。
だとしても、柊はあんなに悲しそうな顔をしていたじゃないか。
柊を傷つけたことに変わりはないじゃないか。
「あんなこと言って、ごめん。
どんなことがあっても、言っちゃいけないことだったのに」
すると、ふ、と柊が自嘲した。
「――違うんだよ、理亜ちゃん。
あのね、俺の方こそ、だから」
「え……?」
困ったように笑って、柊が目を伏せる。
「……あの頃、俺のせいで理亜ちゃんが学校で嫌な思いしてるって、本当はちょっとだけ気づいてた。
でも、俺は理亜ちゃんと話したくて……自分の気持ち、優先してた。
言い訳だけど、あの時、悲しそうな理亜ちゃんの顔を見て初めて、どんだけ辛い状況だったか分かった。
――ごめん。ごめんね」
柊の声が震えている。
「違うよ。
わたしが弱かったら――」
柊がおおげさに首を振る。
「あれは弱さじゃなくて順応でしょ。あの箱の中で生きていくためのね。
――間違えたとしたら、その後のことだ」
「謝らなかったこと?」
わたしが尋ねると、また柊が首を横に振る。
「それもあるかもだけど――一番ダメだったのは、きっとちゃんと、話をしなかったことだ。
だから、こんなに距離が空いた」
ああ。
そうか。
わたしは自分の保身と劣等感のため。
柊はきっと、私が傷つかないため。
お互いに避けたから、こんなに話さない期間が長引いたのだ。
笑ってしまうくらい、単純なことだった。
親しさを口実にしながら、本当の意味ではちゃんと向き合えてなかった。
「てかさ、家に遊びに行くくらいの仲だったのに、
俺ら連絡先すら知らなかったよね。変じゃない?」
「……そういえば、そうだね」
「理亜の番号、体戻ったら教えて。いい?」
「うん。いいよ」
「じゃあ、約束ね。
……よし、さあ、一緒に戻ろう」
「え……一緒に?」
柊の言葉に、胸がざわりと音を立てた。
柊が、少し困ったように眉を下げて言う。
「理亜ちゃん……やっぱり、まだ気づいてなかった?
理亜ちゃんもね、車にぶつかったんだよ」
「……え?」
息をのむ。柊の声が、やけに遠く聞こえた。
「俺をかばって、一緒にひかれて、そのまま救急車で運ばれた。
今は同じ病院にいるはずだよ。
第一、霊感なんてない理亜ちゃんが、今の俺を見れるわけないでしょ。
そもそも、霊体の僕に触れるのがおかしくない?」
冗談めかして笑う柊の声。
「でも、最初は通り抜けて……」
「だね。でも、今はもう触れるよ?
まあ、俺と同じくらい怪我してたしね」
「……わたし……もしかして、まだ目を覚ましてない?」
かすれた声で問うと、柊が小さく頷く。
「うん。たぶん。
――でも、大丈夫。
理亜も俺と同じ、ちゃんと生きてる。
今は、ちょっと魂がこっちに来ちゃってるだけ」
そう言って、柊はわたしの手をもう一度ぎゅっと握る。
「行こう、理亜ちゃん。
話の続きをするためにも」
わたしは、柊の手を握り返した。
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「…………」
目を覚ますと、目に入ったのは白いカーテンだった。
白いごわ、とした綿のベッドシーツ。
手首には点滴。
病院だ、とすぐに分かった。
体があちこち痛い。
「――あ、理亜ちゃん。おはよう」
声がした方に目をやると、さっきまで一緒にいた柊が立っていた。
違うのは、柊の頭に包帯が巻いてあるのと、動くのもしんどそうに松葉杖をついていること。
「……戻ったんだね」
私がそう言うと、柊は頷いた。
「大丈夫って言ったでしょ。
まあ、もう3日くらい時間は立ってたけどね」
「え、そんなに?」
驚く私に、柊が笑う。
「そうだ。
看護師さんやお母さんたちが来る前に、これね」
柊が、ひらりと紙をわたしに渡した。
紙を見ると、080-と書いてあるのがちらりと見える。
「――登録しといて」
照れくさそうな柊の顔に、どきりと心臓が高鳴った。
じゃあ、また。
柊がそそくさと出て行ってすぐ、廊下で看護師さんが「青柳さん!? まだ動いちゃだめですよ何してるんですか!」と叫ぶのが聞こえた。
思わず笑ってしまう。
手術したらしいお腹に激痛が走って、本当に生きてるんだなと思った。
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松葉杖を貸してくれた隣のベッドの人にお礼を言って、柊は自分のベッドへもぐりこんだ。
理亜の連絡先を聞く機会をずっと伺っていたが、まさかあの一件が種になってくれるなんて。
スマホを見つめ、つい鼻歌が出そうになって、ここは病室だと気づいて自重する。
そもそも、理亜はずっと苦しんでいたのだ。
喜ぶなんて不謹慎。
そう自分に言い聞かせる。
でも……
緩む口元は抑えられそうになかった。
まずはたくさんの小説の中からこれを選んでくださり、ありがとうございます。
そして、最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。
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