第四話 こんなこと慣れちゃ駄目だ!
「そんな臭いのする子、入れられないよ」
「店が汚れるじゃないか。あっち行った、あっち」
「幾ら宮廷魔法師さまのお願いでもねぇ。うちにも品格ってものがあるからねぇ」
王都のレストラン街を回ること、早一時間。
「ふっざけんなよ!!」
俺はミリィを抱え、街道の真ん中で怒り狂っていた。
街道の石畳はピカピカで、すれ違う人間は上から下まで着飾っている。それでも、今の俺はここが腐臭のする沼地にしか見えない。
臭うから? 汚れてるから? スラムの餓鬼だから?
それが腹空かせた女の子に飯を食わせない理由になるかってんだ!
「えと、ミリィ。なれてます。おなかすいてるの、いつもです」
俺の腕の中にいるミリィが、申し訳なさそうに眉を下げる。
こんな小さな子に気を遣わせるなんて。俺は自分の不甲斐なさに苛立った。
「慣れなくていい! こんなこと慣れちゃ駄目だ!」
「でも……」
「俺の家で食おう! ほら、そこに露店があるだろ? あそこのパイ、旨いんだ。なっ?」
「……はい」
ともかく何か食べさせねぇと。これじゃ、ただ連れ回して疲労させてるだけだ。
俺は露店でミートパイを買うと紙袋に入れて貰って、「ありがとな!」と店主に伝え、とっととレストラン街を離れた。
行き先は貴族街……じゃない。俺の家は、下町にある。貴族街の空気はどうもギラギラしすぎてて、性に合わなかったんだよな。
宮廷からはちょっと距離があるが、昼も夜も人の声がして賑やかで、退屈しない場所だ。
「ここが俺の家だ」
煉瓦造りの二階建て。手入れは行き届いていて、窓には小さな花が飾ってある。
俺なりに見栄を張ったんだ。
「おっきい〜!」
家を見たミリィはパッと顔を上げ、目を輝かせてくれた。よかった、少しは元気が出たみたいだ。
俺は玄関を開けて家に入ると、早速リビングへ案内しようとして、ハッとした。あ、やべ。片付けしてなくて魔導書や紙束の山がテーブルを占領してたわ。退却させねぇと。
「ミリィ、先に手を洗ってくれ。終わったらこの席に座るんだ」
「はいっ!」
元気よく返事して、ミリィはちょこちょこと洗い場の方へ向かっていく。……背伸びしながら手洗いしてるな。こりゃ踏み台買わねぇと。
そんな事を考えてながら、俺は慌てて魔導書と紙束を部屋の隅に押しやり、テーブルの上をどうにか確保した。代わりに床が雑然としたが、まぁ今はいい。
そんで席に戻ってきたミリィに、皿の上にミートパイを乗せて差し出す。焼きたてだから、ほかほかだ。多分気に入ってくれるはず。
「わぁ〜!」
「舌、火傷しないようにな? それじゃ、いただきます」
「いただきますっ!」
ミリィがミートパイに手に取ってはむっと口にした所で、俺も紙袋からもう一つ取り出して、齧りついた。
うん、旨いな。塩気がきいてて肉汁たっぷりだ。こういうのジューシーって言うんだっけか?
「ミリィ、旨いか?」
「はいっ! あったかいです!」
「それ味の感想じゃな……。いや、嬉しいならそれでいいか」
小さな口にミートパイを目一杯詰め、夢中で食べるミリィに、俺は「ゆっくり食え」って言いながらコップに入れた水をやる。
スラムじゃいつ飯食えるかわからんし、早く食わなきゃ盗られるから、慌てるのもわかるけどな。
「おにいさん、ありがとうございます!」
「お兄さん? あっ、しまった名前まだ教えてなかったな! 俺はクラ……」
「……うっ」
その時だ。突然、ミリィの表情が固まる。
「ミリィ?」
そのままミリィの顔色は一気に青ざめて、唇が震え出す。
「どうした!? 喉につまったか? 何か変な味がしたか!?」
「ちが……います。えと……、おといれ……」
ミリィはフラつきながら椅子を降り、トイレの方向へ向かおうとした。
が。
「う、ぅええええっ!」
足元で、さっき食べたばかりのミートパイを全部吐き戻した。
「ミリィ! ミリィ、大丈夫か!?」
俺はすぐ駆け寄ってミリィの背中をさする。ミリィの肩は小刻みに震えて、細い身体が何度もえづいている。
まさか毒でも入ってたか!? それとも腐ってた!? いやでも、俺が食べたのは何の問題もなかったし……!
そこまで考えを巡らせて、俺ははたと気付く。ミリィはろくに飯を食てえなかった子だ。ガリガリで、骨の形まで浮かんで見える。
そんな体にいきなり脂っこいパイなんて押し込んだら、胃がもつはずない。
「ごめ、ごめんなさい。おそうじします。おそうじ。ミリィ、きれいに、します」
ミリィは吐いたばかりでぐったりしてるのに、床を見つめながら必死に謝ってる。
「……いい、いいから。掃除なんていい。俺が馬鹿だったんだ」
情けない。スラムじゃ常識だったってのに、こんな基本的なことも忘れてた。
「きつい思いさせて悪かった。ええと、そうだ! 湯船って知ってるか?」
「ゆぶね……?」
「貴族が使ってるやつだ。奮発して買ったんだよ。吐いちまって気持ち悪いだろ? 入ればすっきりするし、リラックスもできるぞ」
ミリィが小さく頷いたのを見て、俺はすぐに浴室へ走った。
水魔法で浴槽を満たして、加熱魔法でちょうどいい温度に整えて……。
「あ、そうだミリィの服! ええと、とりあえず俺のパジャマをローブっぽくして……紐でくくれば、なんとか……。そんで、風呂入っている間に改めて飯を……。胃に優しいやつ、リゾット? いや、スープでもいいか? 材料あったっけか?」
ブツブツと独り言。完全に段取りが破綻してる。宮廷魔法師が聞いて呆れるな。
(……ミリィを、俺なんかの弟子にしていいんだろうか)
そんな思いがふと脳裏をかすめる。魔法の才能は確かにありそうだが、俺なんかよりもっと、ちゃんとした大人のもとで育てるべきじゃないか?
ちゃんとした大人。信頼できる人間――
(どこの誰だよ。俺にツテなんて、ないだろ)
くそくそくそ!
ここに来て俺に人脈がない事実が、重くのしかかってくる。
だからってミリィをこのままほっぽり出せる訳がない。とりあえず明日、大臣に頭を下げて話聞いて貰って、孤児院は訳ありっぽいから他を紹介して貰って……!
でも大臣の人脈も微妙にずれてんだよなぁ。不安だ……。
「……」
「おわっ! ミリィ!?」
いつからそこにいたのか、ミリィは浴室のドアの隙間からじっと俺を見ていた。なんかこの子、気配なく移動するな。
「ま、待ちぼうけにさせて悪かったな。もうちょっとでお湯が沸くから、」
「ミリィ、でしにしてくれるんだよね?」
「うん?」
「でしにしてくださいっ! がんばります、ミリィ、おそうじもおさらあらいもやりますっ! にもつもちもしますっ!」
「おっ、おう! 手伝いとかはいいから、ひとまず風呂に……」
「でしにしてくださいっ!」
「わかった、わかった!」
必死に詰め寄るその声に、俺は勢いで頷いていた。
そもそも弟子にするからって連れてきたんだし、ミリィには魔力があるんだ。適性の確認ぐらいしなきゃ、それこそ無責任か。
「あーっと、魔力測定とか諸々は明日やろう。疲れてるだろ」
「ミリィ、つかれてません! やります!」
「やる気満々だな……。けど疲れを取ってからの方が正確な数値がでる。だから今日は休むのが『仕事』だっ! わかったか?」
「やすむのが、『おしごと』……? はいっ!」
「よし、いい子だ」
どうにかミリィを宥めた俺は、そのままミリィを風呂に入れて即席で作ったパジャマに着替えさせて、豆のスープ食わせて(煮込みすぎてグズグズになっちまったが、却ってよかったと思うことにする)、寝床は、見栄張って作ったゲストルームへ。
と思ったが、ローブの裾をぎゅっと掴まれて動けなかった。
「ひとり、いや……」
……そりゃそうだ。ずっと、ひとりぼっちだったもんな。
「わかった。今日は一緒に寝るか」
ベッドの上で、俺は小さな体を抱き寄せる。ミリィはすぐ、胸の中ですぅすぅと寝息を立て始めた。
その寝顔を見ながら、俺はぼんやり天井を見上げる。
(魔力測定の水晶、どこにしまったっけなぁ)
そんで記憶を辿っている内に寝落ちした。
どうにか見付け出した魔力測定の水晶に、『魔力ゼロ』の表示を見て唖然とするのは、翌日の話だ。