第三話 でしにしてくださいっ!
どうしたもんか。
大臣に啖呵を切って宮廷を飛び出した俺は、早速途方に暮れていた。ツテなんてないからな。
そもそも俺の出身はここ王都じゃなくてもっと郊外、エルデラン王国最北端の辺境都市だ。いつだったかに起きた国境紛争の爪痕が、今でもあちこちに残ってる。俺もその戦争で親を失ったクチで、物心つく前には、もう一人きりだった。
あの街は、昔は立派な要塞都市だったらしい。けど今じゃ見る影もねぇ。
難民、敗残兵、流れ者。そんな行き場をなくした連中が、国の隅に寄せ集められてできた掃き溜めだ。
見かけだけはそれなりに整ってて、街としての体裁は一応ある。でも中身はボロボロだ。
治安はないに等しいし、食い扶持を得る手段もろくにねえ。そんで、そんな連中を「救う」って名目で、貴族どもが仕事を回してくる。
荷運び、遺跡掘り、モンスター退治。どれも命の保証なんかありゃしねぇ汚れ仕事ばっかだ。
なのに報酬は雀の涙、それでいて税金だけは一人前にむしり取られる。あいつらは街の中心で、安全な屋敷に籠って、ぬくぬく暮らしてるだけ。
それでいて、「慈善活動」だの「平民救済」だの、白々しい看板を掲げやがる。
あの街で生き延びるってのは、誰かに守ってもらうことじゃねえ。人より先に動いて、人より先に殺すってことだ。
俺が魔法を覚えたのも、ただ――死にたくなかったからだ。
(そういや、王都にもスラムがあるんだっけな)
人が集まる場所には、必ず格差が生まれる。人口が密集してる王都じゃ、それも顕著だ。
俺の足は自然と城壁の外縁に向かっていた。そこには表社会から取りこぼされた、爪弾きものが集っている。
王都のスラムも酷いもんだ。
俺は眉間にシワを寄せ、目付きを鋭くした。辿り着いたスラムは廃墟や違法建築が密集していて、細い路地には足の踏み場がないぐらいゴミが散乱している。
右を見れば物乞い、左を見ればゴミ漁り。細々と物売りや飯屋をやってる奴もいるみてぇだが、品質はお察しだし、ろくな稼ぎにならねぇだろう。どっかから喧騒も聞こえる。盗みか? 縄張り争いか?
(けど、懐かしいな)
俺はこんな、明日生きられるかどうかも分からねぇ底辺から這い上がった。
雇い主観察して文字や算術を覚えて、図書館の残本を盗み読んで、魔法書のページ写して、必死に練習して、チャンスがありゃ死に物狂いでしがみついて、やっと手に入れたんだ。『宮廷魔法師』っつう地位と安定を。
失う訳にゃいかねぇ。
俺に魔力があったんだ、ここにも一人ぐらいいるんじゃねぇか? 貴族やボンボンより、よっぽど骨のある奴がさ。ちょっと彷徨いてみるか。
弟子にできそうやつ、弟子にできそうなやつ、弟子、弟子、弟子……。
「あのっ!」
ん? テキトーに歩いてたら、なんか足元から声が飛んできた。
「でしにしてくださいっ!」
いつの間にか目の前に子供がいる。女の子だ。五歳くらいか?
ボロをまとったガリガリの体つき。でもミントグリーンの髪は泥まみれでも色鮮やかで、金色の瞳には真っ直ぐな力が宿っている。不思議な子だ。
てか今「弟子にしてください」って言ったか? 考えすぎて口に出てたかな、俺。
「えっとだな、俺は魔力を持ってる奴を弟子にしたいと思っていてだな……。そもそもお嬢ちゃん、魔法ってわかるか?」
「まほー! つかえます!」
そう言うと女の子はくるりと横を向いて、小さな両手を前に伸ばした。
「えいっ!」
そして指先から小さな火を玉を出し、廃墟のレンガにぽすんとぶつけた。
「……っ!」
それを見た俺は瞠目する。
風が吹けば消えそうな火だったし、実際すぐに消えちまったが、問題はそこじゃない。
(この子、無詠唱で魔法を使いやがった!)
無詠唱で魔法を使うなんて俺でも難しいんだぞ!? しかもスラムじゃ魔法に触れる機会なんてほぼ皆無のはずだ! 独学でここまで!? それとも天賦の才か!?
こんな逸材がスラムにいただなんて!
俺はゴミの上に膝をつき、思わず女の子の肩に手を乗せた。そして興奮気味で話し出す。
「お嬢ちゃん! 名前は!?」
「『ミリィ』です!」
「ミリィか! よしミリィ、君を弟子にする話を進めよう!!」
「ほんとうですか! がんばったらごはん、もらえますか!?」
「あぁ、幾らでも援助してやる!」
「やったぁ!」
「それで両親、ええと、お母さんやお父さんはどこかな?」
「えっと、ママとパパ、いません」
「……そ、うか」
その子の言葉に、胸の奥がズンと重くなる。落ち着け、スラムじゃ珍しい話じゃないだろ。
けどこんなに小さいんだ、何かしらのコミティには属してるはず。でなきゃ、生き延びられねぇ。
「じゃあ保護者はいるか? ご飯わけてくれる人とか、お家に住ませてくれる人とか」
「えと、いません」
……いない?
「ミリィこないだまでコジインにいたけど、おいだされちゃって……。ごはん、おちてるのたべてました。おうちは、あそこです」
そう言ってミリィが指差した先は、廃材を雑に組み合わせて作られた、犬小屋のような物置き。
あそこで雨風凌いでたってか?
そもそもこんな小さな子を追い出す孤児院って何だ。同情誘おうって、嘘ついているようにも見えねぇし……。
くそ、気分が悪い。
「ごめんなさい」
「ん? 何で謝るんだ?」
「……ミリィ、いやだった?」
ミリィはしょんぼりとうつむいて、涙をこらえるように目を潤ませている。
げっ! 俺そんなに険しい顔してたか!? 女の子泣かせるとか最低だろ!
「違う違う! お前のせいじゃない!」
「……ほんと?」
「あぁ! だから泣くな! ええと、そうだ飯! 飯食いに行こう! 腹減ってるだろ!?」
「ごはん!」
「そう、ご飯だ!」
弟子にする云々の前に、この子にまともな生活を与えねぇと。あ、これが慈善事業ってやつか。へっ、貴族どもめ見てるか? やってやったぞ。
俺はミリィの小さな手を握って、スラムの外へ向かって歩き出した。
「好きなご飯あるか? 何でも食わせてやるよ」
「えっと、えっと。ミリィ、パンのみみ、すきです!」
「それご飯って言わないな……。あーっと、ひとまず俺おすすめの飯屋連れてってやる」
「わぁいっ!」
満面の笑みを浮かべて喜ぶミリィに、俺もつられて笑っちまう。素直でいい子を拾えて、幸先が良さそうだ。
これで俺の公認弟子にできれば、大臣も黙らせられるし貴族連中の見る目も変わるはず。まぁ最悪、弟子にできなくても「スラムの孤児に手を差し伸べた」って評価はつくだろ、多分。
――なんて、この時の俺は呑気に考えていた。
まさかこの出会いが俺の人生をかき回す嵐になるなんて、夢にも思わなかったんだ。