6 一人の女
「……エステル」
ジークハルト殿下はその名を呟くと、微笑んだ。
「君とは初めて会った気がしないな」
「!」
(……それは、そうだわ。だって、私は……)
でも口が裂けても、実はあなたが嫌っているアイヴィアナなんです、なんて言えるはずもない。
「……そうですか?」
微笑み、首を傾げる。
「あぁ」
頷いたジークハルト殿下の瞳は、優しい。
(ーーああ)
自分で選んだことなのに。
自分で作り出した虚像に嫉妬するなんて。
「……では、明後日のお昼、3番街の噴水前でお待ちしておりますね」
醜い嫉妬を笑みで隠して、私は静かに礼をした。
「あぁ。……楽しみにしている」
◇◇◇
人通りが少ない場所を選び、聖力を使って、城内の自室に転移する。
自室は、私が転移する前のままだった。
クッションにかけた力を解き、ベッドに倒れ込む。
結局、ヒロインがいるのかはわからなかった。
けれどーー。
これで、ジークハルト殿下にとっての「エステル」は、ヒロインではなく私になったはずだ。
今後、本当のヒロインと会っても、まずは私の偽エステルを思い出すに違いない。
そう考えれば、今回は想定以上の収穫だった。
(……でも)
「……はぁ」
大きく息を吐く。
ジークハルト殿下は、一国の王太子だ。
そうやすやすと本名を名乗るわけにはいかない。
それはわかる。
でも、偽名なんていくらでも使えるはずだ。
それなのに。
(……ハルト、と名乗るなんて)
そう呼ぶようにと自ら言った。
(ジークハルト殿下は……そのとき一瞬でも私のことを考えてくれたかしら)
ジークハルト殿下の妻たる、私。
私はジークハルト殿下と結婚する前からやりたい放題していた。
それどころか、私はジークハルト殿下の前で姿を偽っているのだ。
そんな私が好かれるわけがない。
理性では、わかってはいる。
でも、心が悲しいと叫んでいた。
ベッドから起き上がり、今朝ジークハルト殿下からもらった手紙を手に取る。
そこには、君を大切に想っていると書かれていた。
「……」
手紙を抱きしめる。
嘘でもいい。
あなたに愛されたい。
そう思ってのことだったけれどーー。
「……もし」
神様の悪戯が、私の身に起きなければ。
私は、ジークハルト殿下の嘘を信じ続ける幸せな夢を見続けられたのだろうか。
(でもその夢から覚める方が、ヒロインにあなたを取られるより、ずっといい)
頬を叩いて、気を入れ直す。
「私は、アイヴィアナ・クルシェ」
ジークハルト殿下の妻にして、悪女。
そしてーー。
「……ジークハルト殿下の隣は、誰にも渡せないわ」
ジークハルト殿下に恋をする、一人の女だった。
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