9.新天地で
ドミニクさんの言っていたように、私たちは五日後に拠点を撤収した。
さぁ行くは新天地!
向かうはイヴニングの海だって!
拠点からイヴニングの王都を経由して、大陸の西海岸線へと向かう。王都では終戦を記念した祝賀パレードみたいなのがあって大騒ぎだった。私は本調子じゃなかったから、宿からお祭り騒ぎをする楽しそうな人たちを眺めるだけだったけど。
そうして寄り道をしながらゆっくり旅をすること、ひと月ほど。
イヴニングの西端、サロモーネ領に来た。
「すっごい! 海だ! 久しぶりに見た!」
「アユカは初めてじゃないのか?」
「当たり前じゃん。車で一時間くらい行けば海の距離だったよ。運転してたのお父さんなのに、何言ってんの?」
「お、おう」
ここはお父さんが、騎士団長になった時に一緒にもらった領地らしい。船での交易が盛んだそうで、小さいけど豊かな町なのだとか。
お父さんはその仕事柄、ほとんど王都にいるらしい。だから基本は人を雇ってこの町の運営をしているのだとか。すごいな、騎士団の仕事をしながら市長みたいなこともやってるなんて。二足の草鞋、大変そう。
「それで、領主館をほんとうに使っていいのかい?」
「ああ。離れのほうに部屋を用意させた。アユカと一緒に使ってくれ」
フェデーレが領主代行として町の運営を手伝う代わりに、住む場所をお父さんが提供してくれたそう。フェデーレにそんなことできるの? って聞いたら「歩くよりも簡単さ」って返って来た。足の悪いフェデーレからしてみたら、身体を動かすよりも頭を使う仕事のほうが楽なのは間違いないね。
王都から馬車を使って旅した私たちは、お父さんの案内で領主館に入る。領主館には執務官も出入りするらしい。生活拠点となる離れには、使用人がいるそうで、食事や掃除は彼らに任せて良いとのこと。
これまで自分たちで生活してたから、こんな至れり尽くせりみたいな生活、ちょっと緊張しちゃうや。
「ざっと案内はこんなものか。フェデーレ、執務官との顔合わせは明日で良いか?」
「いいよ。君も今日くらいはゆっくりしたほうがいい」
「ありがたい。……それじゃ、アユカ。また夕食の時にな」
「はい、お父さん!」
にこにこと笑顔で頷いた瞬間、周囲の雰囲気がざわついた。な、に? 私、おかしなこと言った?
「……ちょっと、ディオニージ? ちゃんと説明してくれたんじゃなかったのか」
「したんだが……すまない、行き届いていないかもしれん」
フェデーレが小声でお父さんと話をしている。どうでもいいけど、このひと月でフェデーレとお父さんがすごく仲良しになった。羨ましい。私はあの間に挟まりたい。挟まってやろう。
「ぬん」
「おっと」
「ぬん、じゃない。大人の話の邪魔をしない」
「えぇ〜、だってぇ」
「だってじゃないぞ。セト、最近子供じみた行動が増えてないか? 大人なんだからちゃんとして」
フェデーレに怒られた!
ちょっとしゅんってしちゃうけど、言ってることはごもっともなので文句は言えない。大人だもんね。私、こんな見た目ですがもう二十三なんですよー……。
お父さんはやることが色々あるようで、私たちと別れるとまた領主館のほうへと戻っていった。
私とフェデーレは、それぞれあてがわれた部屋へ向かう。
借りた部屋に入ったら、びっくりした。
「わぁ、すごい……!」
全体的に明るいブラウンで統一された、春のような温かみのある部屋の色。ちょっと広いけど、一つ一つの家具が大きいから、広すぎるとは感じない。ベットがあって、クローゼット、書き物机、それとは別にテーブルもあって、理想の一人部屋みたい!
これはテンションが上がっちゃう。私は荷物の入っているトランクケースを床に置いて、ぐるぐると部屋を見渡した。
「すごいな! 広いや!」
「ちょっと、セト〜? はしゃいでないで、片付ける」
フェデーレが杖を突きながら、ひょっこりと私の部屋を覗きに来た。私はハッと気がついて廊下に出る。
「フェデーレの部屋も見たい!」
「えぇ? 見てもセトと同じだよ」
「でも見たい!」
私はフェデーレの横ををすり抜けて、彼の部屋を覗いてみた。私は明るいブラウンの部屋だったけど、こちらは暗めのブラウンの部屋だ。男性だからかな? ちょっと落ち着いた感じの雰囲気のお部屋になっている。
色違いのお部屋を見て、自然と頬が緩む。
「お揃いだよ、フェデーレ」
「嬉しそうだな、セト」
「嬉しい! 一緒なのが嬉しいんだよ」
くふくふと笑えば、フェデーレが眩しそうに目を細める。
それから、はいはいと私の背中を叩いた。
「さっさと荷物を片付けな。夕食はディオニージが美味いもん用意してくれるはずだぞ」
「美味しいもの! 楽しみ!」
楽しみがたくさんあると、うきうきするね!
私はるんるん鼻歌を交えながら、自分の部屋へと戻った。
夕食の席で、お父さんに聞かれた。
「アユカは何をしたい?」
「何って?」
魚のカルパッチョを食べながら、私は首を傾げる。
家にダイニングじゃなくて、食堂があるのって不思議。白いテーブルクロスとまっ白なお皿。絵に描いたようなお貴族様の食事風景みたいで、ちょっとドキドキしていたけど、久しぶりに生のお魚を食べたらそんなこと吹き飛んじゃった。
この世界でお刺身が食べれると思ってなかったよ。カルパッチョだけど。お醤油ほしいなぁ。探せばあるのかなぁ?
もっもっと一生懸命カルパッチョを咀嚼していると、フェデーレが呆れたように私を見下ろす。長方形のテーブルで、私の隣はフェデーレ、フェデーレの眼の前にお父さんがいる配置だ。
「ほら、ちゃんと考えて」
「んぐぅ……? 考えてって言われても……」
困ってしまう。
私がこの場所で何ができるのか分からない。
それに質問の意図もよく分からない。
何をしたいって聞かれたら、どんな答え方もできるよね。
カルパッチョをもぐもぐしながら考える。眉間に皺が寄るのはご愛嬌。それにしてもカルパッチョ美味しい。
「ちゃんと考えな」
「あだっ」
ひどい! フェデーレ叩いた! 未だに頭痛に悩まされる私の頭を! ぱっかーんって割れても知らないぞ! スイカみたいに割れちゃうかもしんないぞ! あーあ、スイカ食べたい。
「考えろって言われても、どんなことができるのか分かんないしさぁ」
「それなら、薬師の資格とるか? 国民権もらったし、ここならちゃんと薬師の資格取れるぞ」
私は目を瞬いた。
薬師の資格が取れる? 取っていいの?
「え、と、とりたい! 私、ちゃんとした薬師になりたい! 薬師になれたら、自分の店持てるんだよね!?」
「アーダムとイヴニングだと、少し制度が違う。アーダムだと薬師資格は一種類だけらしいが、この国はいくつかの等級がある」
お父さんが補足してくれた。
イヴニングの薬師資格は等級制。一級から五級まであって、一級が宮廷薬師、五級が見習い薬師らしい。
お店が持てるのは三級薬師から。きちんと制度が立てられていてすごい。
アーダムはざっくりだったからな。薬師試験に受かれば誰でもお店を持てたからね。
「五級は筆記試験に合格して、薬師への三年間の師事実績があればいい。他国で薬師資格持っている人間は申請すれば筆記試験だけで四級になれる。僕が次の四級薬師試験に受かってくるから、セトも理論的には次の五級試験が受けられるよ」
「本当? なら受けようかな」
なんだかお父さんが物言いたげにフェデーレを見ている。何が言いたいんだろ? フェデーレが四級試験受かる気満々なところ? あったりまえじゃん。フェデーレってばすごく頭がいいんだぞ。アーダムで薬師試験に受かった時も、薬草図鑑を読んだだけで受かったんだから。
「試験に必要なものがあれば言ってくれ。アユカの薬師としての腕を信頼しているからな。全力で支援しよう」
お父さんにそう言われると、ちょっと照れる。
信頼。信頼だって。私でも誰かを助けてあげられる。最初は自分のためだったけれど、その知識が、技術が、誰かを助けるための手段になってくれる。それがすごく嬉しい。
嬉しすぎて、ちょっと頬が熱いかも。熱が集中してしまった? 私は誤魔化すようにカルパッチョを食べる。うん、美味しい。
「次の試験はいつだい?」
「四級は三ヶ月後、五級は五ヶ月後だ」
「だいぶ先だね」
「今は三級薬師試験の時期らしい」
一級薬師や二級薬師は専門職として、より高度な知識や技能、さらには人柄や対応力が求められるから、試験も長期に渡るらしい。一級は宮廷薬師で、二級は病院勤務の薬師や軍属の薬師、教会付きの薬師とか、そういう職業の人たちの等級。そんな高みまで目指すつもりはないけど、薬師として認められた人たちってことだから純粋に尊敬しちゃう。
「フェデーレならトントン拍子で一級薬師になれそうだよね」
「んー、それはないかな」
「なんで? 頭がいいのに」
「性格が悪いから」
「猫かぶりなよ」
「やだよ、めんどくさい。それに隠居生活が楽しかったからね。またあんな伏魔殿みたいなところに行きたくない」
そう言って肩を竦めるフェデーレ。そういえばフェデーレ、皇帝のせいで足を怪我して、あんなド田舎に住むことになったんだっけ。だからそんな場所、二度とごめんだって思うのかも。納得。
「試験までは時間があるし、アユカの実力なら来年、四級資格を取れるはずだ。期待している」
期待。期待だって!
お父さんが私に期待してくれている。これはがんばらないと。
私は握りこぶしを作る。決意を込めて、小さくえいえいおーをした。