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8.かけちがえた記憶

 アーダム帝国は、イヴニングの勧告を受け入れたらしい。

 戦争開始から一年。アーダムはこれ以上頑張ってもイヴニングを攻略できないと踏んだのか、撤退した。

 晴れて戦争はイヴニング側の勝利という形で幕引きになった。というのを、お祝いムードのイヴニングの第三拠点で私は教えてもらった。相変わらず、ベッドの上だけど。


 私ってば最近、ベッドの上が住処みたいな感じになってる。元気になったな〜って思った頃にベッドに逆戻り、みたいな。こんなんじゃ何もできない。時間がもったいないとすら思えてしまう。

 体調も良くなって、起きている時間が増えてきたからさ、そろそろ脱・ベッドを果たしたいんだけど。


「まだ駄目?」

「駄目だ。こんな骨と皮だけになってるくせに、まともに動けると思うのかい?」


 フェデーレの言葉にぐうの音も出ない。

 私の身体は高熱でまともに食事が取れていなかったせいで、すっかり骨と皮だけになってしまった。数日でこんなに痩せるもの? って思っていたんだけど、それ以前も自分の体力に見合わない戦地での生活のせいで、だいぶ痩せて見えていたらしい。からのほぼ絶食の高熱状態。さもありなんってフェデーレに頷かれた。


「そういえばフェデーレ。住むところは決まったの?」

「ああ。騎士団長が手配してくれた。アーダムの手の届かない安全なところさ。ついでに亡命の手続きをして国民権ももぎとってくれたみたいだ」

「良かったじゃん!」


 国民権のあるのとないのとでは全然違う。税の支払い義務はあるけど、その代わり住む場所や身元の保証をしてもらえる。生活が安定しやすいんだってフェデーレから聞いた。


 良かったねぇ、と他人事のように言っていると、フェデーレがにやりと笑う。え、なにその悪い顔。どうしたの。


「僕だけじゃないよ。セトも国民権の登録をしてもらえた。騎士団長に礼を言っておきなよ」


 え。

 私にも国民権が……?


 ぎょっとして思わずフェデーレの顔をまじまじと見てしまった。お金がなくて、私はアーダムで国民権を買い取ることができなかった。住んでいるところが辺境だったから、あまり国民権の有無は関係なかったんだけどさ。


 あ、でも。薬師の資格がとれなかったっけ。国民権がなかったから。だからフェデーレは国家公認の薬師だったけど、私は助手っていう立ち位置のヤブ扱いだった。あの小さな村じゃ、そんな肩書きほとんど関係なかったけどね。


「国民権かぁ……なんだか不思議な感じ」

「不思議かい?」

「うん……嬉しいけど、寂しい、みたいな……。私もう、日本人じゃないんだなって」


 日本。私の故郷、日本。

 帰れない場所を恋しく思うほど愚かなことはないと思う。それでも思わずにはいられない。忘れたくない。私は確かにそこで生まれたこと。私は日本人だったってこと、忘れたくない。なくしたくなかった。

 だってなくしたら、家族とのつながりが。

 つながりが……。


「……っ」

「頭痛、治らないね」

「……うん」


 フェデーレから薬を渡される。粉末になっているそれを水で流し込む。

 最近ちょこちょこと服用しているせいか、効き目があんまり良くない。高熱の後遺症だってフェデーレは言うけど……違うような気もしてる。

 だって頭痛が起きるのは、前の世界や家族のことを思い出そうとした時だから。


 私は口の中に残っていた苦さと一緒に不安を飲みこむ。本当は怖い。頭痛を理由に日本のことを思い出さなくなるのが。私しか知らない日本のことを思い出せなくなるのが。


 でもこの不安をフェデーレには話せない。話したら心配させちゃうから。今回の戦争で、もう十分、心配かけちゃったから。これ以上は心配させたくないんだよね。


 頭痛の薬がよく効くようにって言われて、またシーツに潜り込む。早くベッドから出たいなぁ。

 そう思っていたら、部屋の扉がコツコツとノックされた。


「うっす。騎士団長からお届け物でーす」

「ドミニクさん」

「お、元気そうだな」


 入ってきたのはドミニクさん。つい癖で班長って呼びたくなっちゃうけど、我慢我慢。

 ドミニクさんの手には小さな花束があって、それを私に渡してくれた。

 そろそろ誰か来る時間だと思ってたけど、今日の担当はドミニクさんだったか。


「ありがとうございます。嬉しいって伝えてください」

「あいよ」


 この小さな花束の送り主はお父さんだ。お父さんは今、イヴニングの騎士団長をしているらしい。大工だったお父さんが騎士って。異世界って面白すぎる。


 しかも、お見舞いに花って。定番は定番なんだけどさ。お父さんの柄じゃない。でも嬉しい。こうやって気にかけてくれるのが、すごく嬉しい。


 贈られた花をじっくり見ていれば、ドミニクさんが来客用の椅子に座った。おっとこれは長居する気満々だ。


「それで、調子はどうだ? いい感じ?」

「まぁまぁって感じです。ね、フェデーレ」

「そうだね。あとは食べる量を増やして、体力を戻してくって感じかな」


 お花を一本ずつ丁寧に見ながら、ドミニクさんの質問に答える。あとはフェデーレに任せた。

 ふんふんと鼻歌を混じえながらご機嫌にお花を眺めていると、ドミニクさんが笑った。え? 面白いことあった?


「ご機嫌だな、セト」

「だってお父さんがお花をくれたんだ。一生懸命選んでくれたのを想像すると、嬉しいでしょ」

「ぶふっ! おと、う、さ……っ!」

「ドミニク殿、お帰りはあちらでーす」


 何かツボにハマったらしいドミニクさんがお腹を抱えて笑い始める。そんな面白いことあった? フェデーレが扉のほうへぐいぐいドミニクさんの身体を押してるし。


 ひとしきり笑ったドミニクさんがフェデーレと肩を組んだ。それからこしょこしょと内緒話をするように声量を落として。


「コレ、治らんの?」

「今は様子見してる段階だ。教えても……たぶん今の状態では受け入れられずに、余計悪化するかもしれない」

「ったく……アーダムの奴ら、ひでぇことしやがる」

「同意だね。母国のよしみでも、これは許しがたいよ」


 内緒話……ところどころ聞こえるけど、あんまりきっちりとは聞こえない。アーダムの話をしていることだけは分かった。


 まぁ、難しい話はフェデーレに任せとこう。私は休めって言われてるし、頭痛が出るので難しいことは考えたくない。もらった花束を愛でることに専念しよ。


「そうだ、お二人さん。内々だけど、終戦宣言がされる。五日後にはここを撤収するから、そのつもりでな」

「おめでとう。早かったじゃないか」

「これでも遅いくらいだ。一度目の奇襲の時に勧告を受け入れてくれりゃ、良かったのにな」

「あのジュストが将軍だったしなぁ。ま、皇帝陛下も馬鹿じゃないから、頭がいなくなれば引くのは目に見えていたか」

「……それを見越しての俺たちへの情報提供か。前線にあんたがいなくて良かったよ」

「これでも追放されてる身だからね」


 フェデーレとドミニクさんが仲良く話している。寂しくなんかないもん。寂しくなんか。


 でもさ、今の会話で気になるところがちょっとある。五日後に撤収って言ってるけど、私とフェデーレはどこに向かえばいいんだろう? お父さんが用意してくれたって聞いたけど、家はどこ? 仕事は? 私たち、どうやって生活するの?


 ぐるぐる、ぐるくる。

 思考が巡る。嫌な方向に気持ちが落ちていく。不安が鳩尾へと落ちていく。


「セト? 表情が暗いけど、心配事か?」

「なんだなんだー? 心配なことがあるなら今のうちに言っておけよー? 団長がセトのためなら頑張ってどうにかしてくれるからな!」


 フェデーレとドミニクが私のほうを見る。私は手元の花束をもぞもぞさわさわさせながら、おそるおそる二人に聞いてみる。


 不安はいっぱいある。

 この不安を拭うにはどうすればいい? どうしたら不安は消える?


「ねぇ。お父さんは、一緒?」


 言った瞬間、フェデーレが寂しそうな顔をした。

 心臓がばくばくする。


 なんで? なんでフェデーレがそんな顔をするの? どうして? 私、言っちゃいけないことを言ったの? どうしよう。今の言葉、無かったことにしたい。無かったことに、しよう。


「ねぇ、フェデーレも一緒だよね? ね?」

「……一緒さ。大丈夫。だから安心しなよ」

「本当? 私のこと捨てたりしない? いなくなったりしない?」

「僕はセトを見捨てない。いなくなったりもしないさ。だから安心しなよ」


 フェデーレが繰り返す。だから安心しなよって。私は頷く。必死に頷く。寂しくない。フェデーレがいるから寂しくない。だから、だから。


 ……だから?


 頭が痛い。割れるように痛い。だから、何なんだろう。フェデーレがいるだけで十分だ。この十年、家族と離れても、フェデーレがいてくれたから私はこうして生きることができたんだ。


 だから。だから……。


「フェデーレ、頭痛い……」

「病人はちゃんと寝てろって言ってるだろ」


 ほら、と小さな花束をとりあげられる。

 横になるように促されながらも、私の視線は花を追いかける。


『……お父さんに、会いたい。お母さん、も』


 うとうとと微睡みながら囁く。

 フェデーレは小さな花束を、私の枕元にある花瓶に生けてくれた。ついでに萎れてしまった花を引き抜く。


 その引き抜いた花は、どこに行くんだろう。




 ◇   ◇   ◇




 セトが眠りにつくと、フェデーレは深いため息をついた。

 彼女が深く眠るまで、物音一つ立てずに気配を消していたドミニクが、椅子から立ち上がる。


「帝国の隠者も、これは想定外だったか」

「……僕はもう帝国民じゃないし」


 フェデーレは表情を消すと、不敵に笑っているドミニクへ視線を向ける。


「こんな結果になってしまった以上、認めるしかないよね。これは僕の完全な失態だったって。……僕はセトの強さを過大評価していた」


 そう、こんなことになる予定ではなかった。

 フェデーレはセトが治療兵として十分にやっていけると思っていた。


 十一年前、セトがフェデーレの家の屋根に降ってきた時。

 彼女は言葉に不自由する環境であっても、涙を見せなかった。幼く見える顔立ちだったけれど、その年頃の子にしてはしっかりとした眼差しでフェデーレと交流を試みようとしていた。


 やがて言葉を覚えて、薬師を目指すという目標を得て、セトはますます大人びた。容姿が変わらないことに対して葛藤もあったようだけれど、自分で踏ん切りをつけて見せた。


 今回の戦争だって、フェデーレが止めたのに自分から進んで徴兵されたくらい。


 だからフェデーレは多少の脅しがあっても、セトなら気丈に振る舞えると思っていた。


 思っていたからこそ、この機会を使ってイヴニングへの亡命を決めた。イヴニングの斥候であるドミニクが、セトを追ってフェデーレのもとまでたどり着いたからこそできた決断だった。


 そこから数日、自分とセトの保護を条件に、フェデーレはイヴニングと通じ、戦争の終結を陰ながら采配することになった。


 その最後の仕上げとなるのが、あの日。

 フェデーレとセトが、ジュストに捕まった時だった。


 フェデーレは、ジュストが万が一にでもセトに危害を与えないように、最強の札を切った。セトが天降り人であるということを。自分のことよりも、セトの安全を優先した。


 その結果がこれだ。


「一番の番狂わせは天落香だ。なんであんな物が戦場にあるんだよ。クソッタレ」

「うわ、顔がいいのにクチ悪っる」


 ドミニクに冷やかされるけど、悪態だってつきたくなる。

 天落香は五十年ほど前に亡くなった、天降り人フーミャオによってもたらされた物の一つ。イヴニングの南、オルレットという国にある『香の大家』の秘伝の香だ。


 天落香は至福の眠りがもたらされるという極上の香りの香だ。五十年経っても廃れることなく好事家たちの間で流行っている逸品の香。だが材料が希少であり、時には危険な効果をもたらしてしまうという話もある。そのためフーミャオと懇意だった香の大家が調合を秘匿した。


 その秘匿の理由こそ、天降り人に対する()()()

 天落香は天降り人にとって強い媚薬と同じ作用を持つことが知られている。フーミャオ自身すら、二度と作らないと言ったほどの媚薬効果らしい。天降り人を堕とすことができる香だから天落香と名づけられた。


 天落香も薬と同じで、天降り人に対しての作用が違う。だから安眠効果が媚薬になってしまったのだろうと、フェデーレは考えている。


 フェデーレは天落香の存在を知っていた。

 知っていたけど、危惧はしなかった。

 だってセトがいるのは戦場だから。

 戦場に、安眠効果の香を持ち込む人間がいると思っていなかった。


 その上で、セトに天落香を使用された後の()()ができなかった。


 セトの身体は幼い。精神的に大人になっても、身体は子供のまま。大人の女性として出来上がっていない、十二歳の少女のままだった。

 しかもフェデーレは致命的な失態を犯していた。女性という性に関する話を、男親、ましては血の繋がりのない自分から言ってやれることなんてたかが知れていると考えて、その辺りの教育が曖昧なままだった。


 そのせいで、合意の意志をまともに取れるとも思えず。かといって無理矢理に治療をしようとすれば、少女の心を傷つけかねない。

 故に媚薬の効果が切れるまで、耐えさせることを選んだ。


「僕だって間違える。間違えたから、セトがこんな風になってしまった。……だから、見限られたのかな」


 セトは普通の女の子だった。気丈に振る舞うのが得意なだけで、心の一番柔らかいところは無防備だった。

 無防備だったから、ジュストの脅しが彼女を追い詰めてしまった。追い詰めて、追い詰めて、天落香に惑わされて……平和な世界の、当たり前にいた家族を求めた。


 それがディオニージに投影されたのだろう。

 この世界で黒髪は珍しい。それに加えて、セトの父親も身体つきが逞しい人だったようだから。


「僕じゃ、君の『お父さん』失格だな」


 椅子に深く腰掛けて、ふぅとため息をつく。

 ドミニクは肩を竦めると、ぼんやりとセトを見つめるフェデーレを置いて、部屋を出ていった。



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