表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/28

6.天落香

 どうしよう、どうしよう、どうしよう!

 まさか付けられてたなんて。撒いたと思っていたのに、やっぱり追跡されていた……!


 フェデーレに話した時、彼は気にするなって言っていた。女の格好をするだけで良いって言ってたのに。でも意味なかった!


 しかも最悪なことに、私が天降り人だって知られてしまった。知られるなってずっと言われてたのに!

 知られたから、知られてしまったから。


「イヴニングの騎士を殺す知識を寄越せ」


 檻に入れられた私に、ジュストが命令してくる。

 フェデーレとは別の場所の檻に入れられてしまった。この檻はディオニージが入れられていた檻の傍だ。奇襲の時に壁を破壊されたはずだけど、その壁も修理されてる。ある意味、私にとっては馴染みつつあった場所だけど。


「言え。言わないとフェデーレの足を切る。どうせろくに歩けやしないんだ。構わないだろう」


 ニタニタ嗤う男が怖い。怖くて、歯の根がかちかちと鳴る。


 嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 人を殺す知識なんてない。

 フェデーレに酷いことをするのも嫌だ。

 いやだ。どうすれば、どうすれば見逃してくれる?


「私に、そんな知識は、ないよ」


 ゆっくり、慎重に、話す。

 揚げ足を取られちゃいけない。情報を与えてもいけない。私は取るに足りない存在だと、思わせればいい。


「それに、天降りってただの伝承なんでしょ? 黒い髪だから、フェデーレは私をからかって天降り人って言ってただけだ」


 この世界の歴史を遡ると、天降り人の話がちらほらと見える。残っている話に出てくる天降り人が黒髪だから、天降り人は黒髪を持っているというのがこの世界での言い伝えだ。この世界、それくらい黒髪が珍しいんだって。


 だから誤魔化されてくれないかなぁ、って思ったんだけど。

 ジュストは嫌なところばかり目敏かった。


「フェデーレが使っていた箱、センタクキと言うらしいな。お前の知識だろう」


 誰だ口を滑らした奴!

 村長の息子か!? 息子だな! きっとあいつだ! フェデーレがこの状況であの洗濯機の説明をするわけがない! 村人にもほとんど知られてないんだ。知っているとしたら、洗濯機をあげたっていう村長の息子だ!

 フェデーレの馬鹿! いつも大局云々言ってるくせに、肝心なところで情報が漏れてる! 意味ない! 馬鹿養父!


 でも、どんなに嘆いたって、ジュストは待ってはくれない。

 私がだんまりになると、はぁ、と溜息をついた。


「やっぱり躾は必要か。おい、グランディーネを呼べ。確か天落香を持っていただろう」


 兵士の一人が何かを命じられて出ていく。

 何をするつもり?

 檻の中から、ジュストを睨みつける。

 ジュストはにたりと嗤った。


「お前が天降り人じゃなかったら、ただ昼寝をするだけだ。そん時はイヴニングの情報を吐かせるだけ吐かせて、殺してやろう。だが、天降り人だったら――躾甲斐があるだろうな」


 男の愉悦がこもる瞳に、全身がぞわっとした。

 何をする気なんだ。

 得体のしれない男の考えが怖い。


「グランディーネ様をお連れしました!」

「来たか」


 ジュストの視線が逸らされる。

 誰か人の気配が増えた。檻の前にまでその人がやってくる。


 豊かな金の髪に、華やかなドレス。一番目にいくのは大きな胸。……こんな状況下で目がいっちゃうってすごいな……胸を強調するような、腰の細いドレスだから、かな。それとも、私にはないものだからかな。

 グランディーネと呼ばれた女性が私を見下げる。その眉間に皺が寄った。


「なんですの、これは」

「天降り人らしいから捕まえた。そこでお前の出番だ。お前が持ってる天落香をここで焚いてほしい」

「なるほど、そういうことでしたか。……もし、天降り人でなければ、この子をわたくしの奴隷にしても良いかしら。天落香の材料が少なくなってきたものですから、採取をさせたいの」

「まぁ、良いだろう。天降り人じゃなかったら許す」


 何……? てんらくこう? この人たちは私に何をするつもり?

 私が天降り人か、そうじゃないかを見分けるような話っぽいけど……どうやって。


 そう思っていたら、檻の前に何かが置かれる。壺? それにしては小さいし、穴も開いているし。そこに火種が入れられる。煙がくゆり始めて、牢屋の中を甘い匂いが満たし始めた。


「ここは一刻ほど、出入りを禁ずる。周囲にも伝えておけ」

「ちょっと!? 私がまだいるんだけど!」

「貴様のために焚いた香だ。存分に楽しめ」


 楽しむっていったって……!

 ジュストは兵士とグランディーネを連れて行ってしまった。残されたのは私と、煙の出ている壺だけ。


 なんとなくだけど、こういうのは煙を吸っちゃいけないんじゃないかな。なので牢屋の隅っこに移動して、煙を吸わない位置に陣取る。


 まったく分からない。あのジュストはいったい何を考えてるんだろう。こんな風に煙を出して、私を燻してさ。燻製にでもするつもりか?


 とりあえず警戒をしながら、牢屋の隅っこで身体を小さくする。

 甘い匂い。なんだか、懐かしい匂いのような気もする。なんの匂いだろう。昔、ずっとずっと昔に、かいだことがあるような、ないような。


「……? あつ、い」


 じっと待つこと、どれくらいだったんだろう。

 煙を焚いているせいか、呼吸が篭もるような感じ。なんだか熱くて、ちょっと頭がくらっとする。


 新手の拷問? ジュストはこれを狙っていたのか? 脱水症状とかじゃないと良いんだけど……。


 それでも我慢する。一刻って言ってたよね。一刻我慢すれば、空気の入れ替えをしてもらえるはず。なんだっけ、火事の時に煙を吸っちゃだめなやつ。あれみたいに、煙を沢山吸いすぎなければ、大丈夫。きっとそう。そう、思いたい。


 嫌だな。

 一人だと、嫌なほうに思考が向いちゃう。

 それでも私は頭を振って、思考を切り捨てて、うぁ、頭がくらっとした。


「あ、つ……」


 なんだか、心臓がばくばくしてないかな。気のせいかな。身体の奥から熱が溜まっていて、身体に擦れる服の存在が煩わしい。少しでも、少しでも楽になりたい。でも、服を脱ぐのはためらわれる。服を脱げたら、どんなに楽か。


 あー、やだ。むり、やだ。思考が熱で蕩かされそうだ。は、は、と呼吸が荒くなる。つらい。身体の奥がむずむずして、お腹の奥がきりきりする。


「な、に、これぇ……!」


 待って。知らない。こんなの知らない。風邪引いたときとも違う。体調が悪くて熱が出た時とも違う。分からない。怖い。身体がおかしい……!


 眼の前がぐるぐるする。思考が、呂律が、回らない。

 おかしい。何かおかしい。煙だ。香りだ。吸っちゃ、駄目なのに、呼吸を、やめられなくて。


『やだ、やだ、たすけて、たすけて、フェデーレぇ……っ』


 眼の前が歪む。熱い。雫が頬に伝った。身体がびくびくと震える。刺激が、何かが身体を這う刺激が、服が擦れる刺激が、ぜんぶ気持ち悪い。ぞくぞくする。こんなの、感じたこともない。怖い。


 身体が、思考が、沸騰して煮えたぎって、おかしくなりそうだ。あと、どれくらい? 一刻って、何分何秒何時間?


 浅い呼吸がやめられない。空気が欲しい。新鮮な空気。呼吸をするたび、甘い香りが肺を満たす。そのたびに、思考が蕩かされていく気持ちになる。


「…………、………………!」


 声、がする。

 誰かがばたばたと、ガチャガチャと、忙しそうに移動しているみたい。誰か、誰か私のところにも来てくれないかな。


 そう、思っていたら。


「くそっ! また奇襲か! イヴニングは本当に我々を驚かせるのが好きだな!」


 ガシャン、と大きな音。誰かが来る。身体が震える。この声、ジュストだ……!


「あの娘を連れて行かれたら困る。本当に天降り人であれば厄介だ。……おや?」


 や、だ。

 目があった。


 ジュストの目がギラギラと光る。まるで欲しかった玩具を手に入れたと言うように、私を見た。

 背筋にゾクッと何かが走る。


「眠ってないか! これは重畳! やはり天降り人であったか! ならば皇帝陛下に献上するしかあるまいな!」


 ジュストが近づいてくる。

 逃げなきゃ。

 逃げたいのに、動きたいのに、身体が熱くて、重くて、動いてくれないよぅ……!


 捕まったら、何されるか分かったもんじゃない。逃げなきゃ。逃げたい。逃げよう。逃げられない。

 私の身体なのに! どうして動いてくれないの……っ!


「怯えるな。唆られる」


 それはまるで、舌舐めずりをする肉食動物のようだった。

 牢の鍵を開けて、中に入ってくる。

 私は少しでも距離を取ろうと身体に力を入れるけど、ぜんぜん、体が言うことを、きかなくて。


「こ、ない、で」

「安心しろ。子供を犯す趣味はない。私はな」


 オカスって……何? 殺されるのとどう違う?

 分からない。言葉の意味が分からない。分からないから、怖い。


「ゃ、あ……っ」

「だが、そんな声で啼かれると、私でも唆られるな? 女はやはり女だということか」


 触れられたところが、じんじんと熱を持つ。血がぶるぶる震えるように全身を巡る。やだ、気持ち悪い。ぞわぞわして、これは嫌だ。


『はなしてぇ、やだぁ……っ』

「何を言っているのかさっぱりだ。大人しくついてこい!」

「やだぁ……っ!」


 わかんない、わかんない!

 頭がぐっちゃぐちゃだ。あついの、身体があついの、ずっとお腹の奥がむずむずしているの。誰かにこの熱を冷ましてほしくてたまらない。だけどそれは、この男じゃない。この男にだけは触られたくない!


 うるさい、と頬を叩かれる。痛かった。別の熱が頬に集まる感覚がした。肩に担がれる。手足に力が入らない。身体が服で擦れる。身体中がぞわぞわして、呼吸が乱れる。


「やぁ……ぃやあ……!」

「お前の身体を売れば、幾らかの路銀にはなるな。成長しきらない子供を望む愛好家はいくらでもいる。楽しみにしておけ」


 ジュストが何かを言っているけど、何を言っているのか聞き取れない。今はただひたすら、自分の身体が熱くて、気持ち悪くて、頭が煮え立ちそうだ。

 やだ、やだ、と泣きながら精一杯の抵抗をする。なんで力が入らないの! どうしてこの男から逃げられないの……っ!


 ジュストが牢屋のある場所から出た。兵士が混乱して駆け回っている。そんな中、ジュストはどこかへ足を急がせて。


「見つけたァアア!」

「チッ」


 誰かの怒号。ジュストが舌打ちしながら一足飛びでその場から横っ飛びする。


「そのガキ置いてけ! ついでにお前の首も寄越せ!」

「イヴニングの赤鬼か。前回といい、今回といい、めんどくさい餓鬼だな!」

「ガキ言うな!」


 この声、誰、だっけ?

 駄目だ。思考がブレる。考えたいのに、思い出したいのに、思い出せない。熱で、脳がじゅくじゅくに沸騰してる。考え、られない。


「ガエン、よくやりました!」

「よぉし、俺等の可愛くて健気でちょいとひねくれてるセトを返してもらおうか」


 また、誰か来た。知ってるような、知らないような声。

 でも、その二つの声よりも、ひどく甲高い声が耳をつんざく。

 悲鳴が上がってるんだ。誰かが怪我をしている。治してあげないと。怪我は痛いから、つらいから。


「また会ったな、アーダム将軍……! ようやくだ。今ここで決着をつけてやろう!」

「ジュスト、僕の娘に手を出したんだ。覚悟はいいよね」


 知ってる、声。

 おとうさん。おとうさん、おとうさん、おとうさん!

 黒い髪と、銀色の髪、

 どちらもお父さん。私のお父さん。助けて、助けてお父さんっ!


「フェデーレめ、とうとう裏切ったか」

「僕のことなんて、ほうっておいてくれたら良かったんだよ。そうしたら僕は何もしなかった。陛下の望む通り、隠居生活をしていたさ。……でも駄目だよ。セトを利用するというのなら、無垢なお姫様を私利私欲で消費するというのなら、僕はいよいよ君たちの敵になる」

「十二年前の政変でも失敗したやつが、偉そうに」

「失敗か。確かに家としては敗北したけど、僕個人は時勢を見て陛下についていたからね。だからこの結果。あの政変で関わった一族は郎党全て皆殺しになったけれど……僕はこうして生き残った。無傷とはいかなかったけれどね」


 誰かが、たくさん、話している。何を話しているんだろう。耳が、まるで膜を張ったみたいに音が聞こえる。

 ぼんやりしていると、身体が大きく揺らされた。


「誰も動くな。こちらは人質を連れているのを忘れているわけではないだろう? 近づくたび、こいつを斬る。死にはしない。ただ、手足の傷次第では、使い物にならないかもしれないがな!」

「……だそうだよ、ディオニージ殿」

「分かった。彼女が傷つけられるより早く無力化すれば良いということだろう? ――ドミニク、やれ」


 冷たい、声。

 燃えるように熱いのに、その声を聞いた瞬間だけ、身体がひやりとした。

 瞬間、私を担いでいたジュストが呻き、私の身体がずり落ちる。


「な、にをしたぁ……!」

「何って、こいつを投げただけだ。目に入ると失明しちゃうかもしれねぇ、特性劇薬スパイス弾だ! さあて、その状態でうちの猟犬をやれるかね?」

「犬扱い! すんじゃねぇッスよ!」

「畜生がぁ!」


 私の身体が地面に振り落とされる。踏まれる? 蹴られる? ぎゅっと目を瞑ったら、衝撃は何もなくて。

 そのかわり、おそるおそる瞼を上げれば、見慣れない細身の男性がいた。


「ドミニクも、ガエンも、もう少し人質に気を遣ってくださいよね……さぁ、もう大丈夫ですよ」


 にっこりと微笑む金髪の男性が、私を守るように抱き起こしてくれた。

 この人、声……イヴニングの、砦にいた人……?

 ぼんやりと見上げていると、そのまま抱き上げられて運ばれる。男性の背中の向こうから、断末魔のような悲鳴が上がった。


「団長、セトの奪還を完了しました」

「よくやった。このままこの砦を落とす。遠慮はいらん。全力で行け。……セト、怖かったな」


 ぽん、と誰かに頭を撫でられる。

 その大きな手が心地よくて、まぶたがゆっくり落ちていく。


「フェデーレ殿、クレートに着いて先に撤退してくれ。貴殿とセトの安全確保が最優先だ」

「分かったよ。アーダムの弱点は伝えた通りだから、あとは好きなように調理すればいいさ」


 お父さん、お養父さん……おとう、さん……。

 熱に溶ける。思考が混ざる。理性と記憶がどろりどろりと混ざっていく。

 落ちる意識に抗えない。

 私は誰かの腕の中、すこんと意識を手放した。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ