5.脅かされるもの
また寝込む日々ではあったけど、イヴニングの砦であった薬による二次被害はなく、私の体調はすぐに良くなった。
とはいえ、戦場での食事が偏ったせいもあり、体重は激減していたらしい。フェデーレが私を片腕で抱っこできるくらいに軽くなっていた。ちゃんと食えって怒られた。
まだまだベッドの上だけど、体調がそれなりに回復してから、従軍したあとのことを話した。なるほど、一年か。確かに毎日毎日バタバタしてたせいで時間感覚なくなってたけど、それくらいの時間は経ってるな〜っていう濃さだった。
特にこの二ヶ月近くは濃かった。砦に捕虜が運び込まれて、奇襲されて、イヴニングに連れて行かれて、保護されて、父親候補を名乗りだす奴がいて、脱走して、道に迷って追いかけられて。
ここまで話したら、めっちゃフェデーレに叱られた。怒られるなー、って思ってたから甘んじて受ける。不可抗力なんだけどね!
「それで、追手はどうしたんだい」
「撒いた。撒いたけど、追跡されたら見つかるかも」
「やってくれたな……」
舌打ちするフェデーレ。顔はいいのに柄が悪いんだよね。もともと、男所帯の家で育ったらしい。私のことも、拾ってすぐは男の子だと思ってたくらいだからな。風呂に入れようとして女だって気づいて、だいぶ慌ててたよね。十年前でもめっちゃ思い出せる、破廉恥フェデーレの話である。
「セトはしばらく女の格好しておけよ。髪は襟巻きで誤魔化せ」
「別にいいけど。なんで」
「あの格好だと、少年って認識になってると思う。黒髪もだいぶ目立つからな。セトは実際女だし、それだけで誤魔化せる」
「胸見んな」
こういうのなんて言うんだっけ。デリカリー? デリパシー? あー、日本語がうまく出てこない!
フェデーレの視線から胸元を隠す。もぞもぞと掛布を口元まで引き上げながら、ふとこの間、初めて聞いた単語のことを思い出した。
「フェデーレってさ、巨乳のほうが好き?」
よっこらせっと杖をついて椅子から立とうとしたフェデーレの杖が傾いて、思いっきりバランスを崩す。ぎょっとしてフェデーレが転倒する前に袖を引っ張った。フェデーレは椅子を掴む。
私とフェデーレと椅子の三点倒立。危ない。顔面からいってたら超怖かった!
心臓に悪い。足が悪いんだから、ちゃんと気をつけてほしい。そう言おうとしたら、先にフェデーレが不穏な動きをしだす。
「……誰だセトにそんな言葉教えた奴。アーダムか、アーダム砦の奴らか。僕のセトにそんな言葉を教えるなんて……! 子供の教育にどれだけ僕が気を遣ってきたと……!」
ゆぅらりと立ち上がったフェデーレ。目が据わってる。私を見下ろす。にっこり笑う。
「ちょっとイヴニングにアーダムの情報売ってくる」
「やめたほうがいいと思う」
どうしよう、うちの養父過激すぎる。
これ、イヴニングの砦で聞いたって言わないほうがいいんじゃない……? 言ったら全軍指揮をあのいけすかない将軍から奪って、イヴニングを滅ぼしそう。でも長引く戦争を思うと、そっちのほうがむしろ良い……?
ちょっと考えちゃったけど、私は口をつぐむことに決めた。言わぬが花って言うしね。危ないことはやめてほしい。
「フェデーレ、戦争のことはもういいよ。関わるだけ面倒くさい。これからの生活のことを考えよう」
「これからの生活って言われてもなぁ。戦時中じや、どうしようもできないよ。あ、亡命する? 南のオルレットとかルドランスとかはどう?」
亡命できたら楽なんだよねって、戦争が始まりそうになった時に一番最初に言ったのはどこの誰だよ。フェデーレだよ。でも結局足がネックで亡命案は頓挫したんだよ。
なので代案でお願いしてみる。
「帰ってきた時に思ったんだけどさ、畑、かなり痩せてきてるよね」
「肥料も男手も足りてないからね。女子供も年寄りばっかじゃ、こんなものさ」
「どうにかなんない?」
「どうにかって、君なぁ」
呆れられるようにため息をついて、フェデーレはもう一度椅子に座り直した。それから杖を拾って、コツコツと床を叩く。
「方法がないわけじゃないよ。でも、それを今やるのは駄目」
「なんで」
「軍に持って行かれるから」
やっぱりフェデーレは痩せた畑を豊かにする方法を知っていた。頭いいもんね。でも頭がいいからこそ、色んなことに気がつく。
せっかく育てた野菜たちを軍に搾取されるのは嫌だろ? と暗に問いかけられて、私は反省した。その通りです、と。
「セトはやっぱりまだ大局を見れないね。そういうとこ、まだまだ子供だよ」
「子供じゃなくても、フェデーレみたいに考える人はなかなかいないと思う」
「でもセトは『考え方』を知っているだろ。そうやって育ってきたんだし、僕もそうやって育てた。君は自分のために考えることをやめちゃいけないよ」
ぐぅの音もでない。
フェデーレは成長しない私のことを危惧して、色んなことを教えてくれる。私は人より隠し事が多いから、その秘密を守るためにできることはなんだって身につけるべきだというのがフェデーレの持論だ。
「まだゆっくりお休みよ。本調子じゃないんだからさ」
「えー。そろそろ私も家のこととかできるよ」
「今日はまだ駄目だ。明日から少しずつ、慣らしていこうな」
フェデーレが私の額をさらりと撫でる。
まったく。過保護なんだから。
私がもう二十歳越えてる大人なんだってこと、忘れてるんじゃないか。
むむっと唸りながらシーツに潜る。
フェデーレはくつくつと喉の奥を震わせるようにして笑うと、そっと部屋を出て行った。
疲労はとれても体力はつかぬ。
フェデーレの家に戻ってきてから一週間もすれば、私は起き出して家のことを細々とやりだした。
フェデーレは足が悪いからね。水汲みとか、洗濯とか、掃除とか。そういう仕事は基本、私の仕事。私がいない間はどうしていたのかと聞けば、村人に水汲みだけお願いして、洗濯や掃除は自分でやっていたらしい。
「こういう時、セトの知識が役に立つよね。あって良かった洗濯機」
体力の戻りきらない私は、水汲みだけでもへとへとだ。なので洗濯はフェデーレと一緒に作業する。フェデーレの独り言を聞きながら、私は当時のことを思い出した。
小学生……いや、ギリ卒業はしたのでほぼ中学生だった当時の私。カタコトながら言葉を覚えた頃に、フェデーレが私に生活の仕方を教えてくれた。
その時の洗濯で渡されたのは、たらいと洗濯板だ。ここは戦前かよって絶句したよね。まぁ、言葉の問題もあったけどさ。汲み取り式トイレの時点でお察しだったけどさ。てくのろ……てくの……なんかすっごい技術に囲まれて生きていた私からしたら、すごいジェネレーションギャップだったわけ!
それでも言葉が通じないのでこのもやもやを飲み込み、洗濯を頑張ったわけだ。当時の私、すごい健気。でも、あかぎれする指に耐えきれなくなって、そこで薬の効き目が普通と違うぞってフェデーレが気づくくだりがあるんだけど……それはまぁ、置いておいて。
進んだ技術を知っている私は、ないなら作ればいいじゃないと。
幸い、フェデーレはめちゃくちゃ有能だった。皇帝陛下に嫌われちゃうくらい有能だった。カタコトで、頑張って訴えた私の言葉をよくよく理解してくれて、作ってくれました。
それが手動式洗濯機!
めっちゃハンドル重いけど、箱の中に石鹸水と洗い物を入れてハンドルを回せば、中にドラムがあるのでそこでぐるんぐるん洗える仕組み! フェデーレ天才!
これならフェデーレも座ってハンドルを回すだけだから、かなり楽。水汲みは大変だけどね。
「その水汲みも、この洗濯機を作るのと引き換えに村長の息子がやってくれたからさ。ありがたかったよ」
ほのほの笑いながら椅子に座って、ぐるぐるとハンドルを回すフェデーレ。楽しそうだけど、入ってる水と洗濯物の量を考えると、めっちゃ重たいハンドルだって私知ってるんだ。
話を聞きながらちょっと小休止を挟んで、また水を汲みに行く。バケツを手にとって、ふと思った。
「あれ? じゃあ村長とこんにも洗濯機があるの?」
「そうだよ」
「天降りの知識は隠せって言ったのはフェデーレじゃなかったっけ」
「天降りだって言わなければいいのさ。この洗濯機は、僕の足が悪いからなんとか楽になる方法を考えて〜って言っておけば十分」
ジト目でフェデーレを見ても飄々としてる。フェデーレはそういう所ある。打算的というか、合理的というか。まぁ、フェデーレが大丈夫だって言えば大丈夫なんだけどさ。
「そういうセトこそ、砦でボロを出していないよな?」
「出してないと思うけど。むしろもう十年経つし……覚えてないことのほうが多くなってきてるくらいだ」
お父さんの顔も、お母さんの顔も。友達や、クラスメイトの名前も。
もう、思い出せない。
薄情だと思う。たまに寂しくなる。でも今はフェデーレが私の家族になってくれたし、この世界での生活も慣れたから。
十年って、長いようで短く感じたけどさ。でも、記憶が薄まるには十分な時間だったなって思う。
フェデーレがちょいちょいとこっちおいでの合図をする。近づいたら膝をついて、と地面のほうを向けて指を差される。このあとにされることが予想できて逃げようかなって思ったけど、動くのが遅い私の腕を掴んで、フェデーレは強制的に頭を下げさせていた。
「セトは強い子に育ったな。君が強いのは、君の本当のご両親がそういう風に育てたからだ」
「……どこが。強かったら、水汲みで息切れもしないし、砦の奇襲で拐われたりなんてしなかった」
「物理じゃない、心の話さ。過去を事実として受け入れられる強さを君は持っている。前を向くことの大切さを知っている。そういう性根は物心つく前から形成されるんだ」
だから、本当の両親のおかげ。
そう言われると、泣きたくなっちゃうじゃないか。
お父さんとお母さんの面影は、私の心の深いところに確かにあるみたい。フェデーレはそれを伝えたかったんだろうね。だからって頭を撫でる必要ある? この大きな手、振り払えなくなっちゃうじゃんか。
私はしばらく頭を撫でられた。フェデーレが十分に満足した頃、ボサボサになった髪を手櫛で解いて、襟巻きの中に毛先を隠す。
「水汲んでくる!」
「はいよ。行ってらっしゃい」
フェデーレが手をひらひら振る。
私はそれに背を向けて、バケツを引っ掴んで駆け出したんだけど。
「待った、セト! 戻れ!」
「え?」
焦るようなフェデーレの声。
後ろを振り返るよりも早く、視界が陰った。
「見つけたぞ、裏切り者」
「きゃ、あ……!?」
ぐいっと腕を掴まれる。そのまま引っ張られて、足が浮いて、大きな身体の男の視線まで私の身体が持ち上がる。
「確かセト、と言ったな。フェデーレの養子だと聞いていたが、女だったか」
「ジュスト! やめろ、セトを離せ!」
「言っただろう、フェデーレ。裏切り者を見つけた、とな。一週間ほど前、イヴニングから侵入した者がいる。途中で撒かれたが、黒髪のガキだと聞いて来てみれば、案の定だ」
「あうっ」
「セトっ」
こいつ、私の腕を折るつもりじゃないか……!?
私を釣り上げたのはアーダム砦のジュスト将軍だ。前に徴兵に来た時もフェデーレを困らせるようなことばかり言っていた。だから私がフェデーレの憂いを取っ払ってやろうと兵士に志願したんだけどさ。
フェデーレとどんな因縁があるのか知らないけど、こう粘着されても困るんだよね。若い頃のフェデーレが何をして皇帝陛下とやらを怒らせたのかは知らないけどさ、こっちはもう隠居してるんだし!
そうはいっても聞いてくれなさそうなのが、この将軍という人だけど。で、そろそろ腕を離してくれないかな。
「侵入者なんて、ひどいなぁ。捕まって、逃げて、自分の家に戻ってきただけだよ。何が悪いのさ」
「兵士にはな、報告義務がある。イヴニングに捕まっていたのなら、まずは軍に報告するべきだ。これは立派な軍紀違反である!」
「あ、そ。なら、仰せのままに。報告でもなんでもするよ」
「そうか。だが残念だったな。貴様は軍紀よりも重要な違反をしている。これは国家に背く行為に等しい!」
「より重要……?」
「貴様、天降り人だそうだなあ?」
まずい……! さっきの会話、聞かれていた!?
なんとか身体をよじって後ろを振り向く。フェデーレから表情が抜け落ちていた。
「……ジュスト、その子の手を離せ」
「断る。コレは貰っていくぞ。国のために俺が使ってやろう」
「離せって言ってるだろうが!」
フェデーレが立ち上がり、よたよたとこちらに歩いて向かってくる。その姿を、ジュストが鼻で笑った。
「そんなに着いて来たいのなら、貴様も連れて行ってやる。天降り人の隠匿罪でな!」
ジュストの背後には何人もの兵士がいた。その兵士が、フェデーレに群がる。
フェデーレは強かった。最初の一人、二人は杖で殴って昏倒させた。だけど、ままならない足では上手く攻撃を避けられなくて。
「やだっ、やめてっ、フェデーレ!」
「あの男を助けたいなら、力を貸せ」
私を吊るす腕に、痛いくらい力が込められる。涙が出そう。でも、そんなの我慢できる。こいつに泣き顔なんて見せたくない。
「力、って」
「天降りの知識だ。イヴニングの奴らを皆殺しする知識を寄こせ」
でなければ、フェデーレの四肢を一つずつ切り落とすと、悪魔は言った。