4.よし、脱走しよう
そろそろ養父が心配になってきた。
怪我もほぼほぼ全快。ベッドから起きて、リハビリも開始。ほどよく動けるようにもなったし、体力も戻ってきた。そろそろ、養父のもとに帰りたい。
心配してるだろうなぁ。戦場どうなってるんだろう。戦争の間は帰るのが難しいだろうって話だった。もし戦場で死んだら定期連絡便で報告がいく手筈らしい。あの砦の奇襲作戦で死んでる扱いになっていたら、すごく後悔してそうだな。
さすがに恩人に心労をかけたくない。帰れるものなら帰りたいんだけど……帰れるかなぁ。
まぁ、とりあえずは声を上げるところから。
ディオニージが私をどうするつもりなのか知らないけど、いつまでもここにいることはできないだろうし。
「ディオ様。私ってこれからどうなるんですか?」
「どうなる、とは」
「いつまでもここにいられるわけじゃないですよね」
「あぁ、そういうことか。安心しなさい。君のことは俺が責任持って保護するから」
保護?
え、ちょっと待って、どういうこと?
「あの国の出ではないんだろう。本当の親元に帰す協力をしてもいい」
かえ、れる?
自分でもびっくりするくらい目が大きく開くのが分かった。
帰れる?
日本へ?
お父さんと、お母さんのところへ?
一瞬期待した。期待してしまった。
でも、すぐに思い出した。
私は帰れない。帰る方法はない。だってこの世界はそういう風にできている。神様が自分の息子を慰めるために運んでくるのが、『天降り』なんだから。
それに十年って長いんだよ。私はもう日本語よりも、この世界の言葉のほうが話しやすい。忘れてしまった言葉も多いし、日本語でこれから覚えるはずだった言葉よりも、異世界で知った言葉のほうが多いくらい。
私はもう、この世界に根づいちゃってるんだよ。
だから笑って首を振れば、ディオニージは真顔になって。
「なら、俺が父親になろう」
だからなんでそうなる!?
いきなり思考が飛んでいったディオニージに、さすがの私もびっくりだ!
「保護者は間に合ってるって! むしろ養父が心配だから家に帰りたいんだけど!?」
「何故帰る必要がある! 君を兵士に売った養父なぞ、人の風上にも置けない奴じゃないのかっ」
「そんな養父が外道みたいな言い方しないでくれる!?」
ぴっきーんってきた! 頭にきた! 誰だ養父を悪く言うやつは!
私はベッドの上に立ち上がる。こうでもしないと身長差があって、ディオニージと視線があわないからね!
「養父は足が悪いんだ。杖がないと歩けないような人間が従軍できると思ってるのか! そんなやつを無理やり連れて行きたいなら、お前も所詮はそういう人間なんだろ。助けて損した!」
「なっ、え、足が……?」
「出て行ってくれる? 私はあなたを親だと思いたくない。不快だ」
睨みつければ、ディオニージはたじろいだ。暫く視線を右往左往させていたけれど、やがて肩を落として部屋を出ていく。
私は扉が完全に閉まるのを見て、ベッドから降りた。
部屋にあるものをかき集める。ポーチさえあればいい。服もこのままで行くしかない。あとはナイフ……は、ポーチの中に小さいのがあった。これなら大丈夫かな。
よし。
「逃げよ」
ここのお偉いさんに怒鳴っちゃったからね。ガエンとかに知られたら、また面倒そうだ。
そうなる前に逃げる。アーダム軍がどうなったのかは分かんないけど、とりあえず戦場を避けながら逃げればなんとかなるはず。
そうと決まれば、養父のところにさっさと帰ろう。
行きはよいよい、帰りはこわい。
ふるーい記憶の中の遊び歌が頭の中に浮かぶ。
二人の人間が繋いだ手を上げてトンネルを作るんだ。歌ってる間にみんなでそのトンネルを通っていく。歌い終わった時にトンネルが落ちて、中にいた人が負け、みたいな遊び。あれ? あれって勝ち負けの遊びだったっけ? 十年も前だから忘れちゃったや。
他にも遊び歌はいっぱい覚えている。
ゆーびんやさん、ゆーびんやさん。
げーんこーつやーまのー。
でんでんむーしむし。
いろはにほへとー、うーえかしーたか。
覚えている限りの遊び歌を脳内で口ずさみながら、せっせと歩く。
病み上がりだし、食糧の確保もまともに出来てないしで、行き倒れそうになってる。がんばれ私。頑張れ自分。帰るんだ。養父のところに帰るんだよぉ……!
それにしても遠いですね、養父の家。
アーダムの砦からは三日くらいの距離だったはず。こっちのイヴニングの砦から戦場を経由していれば直線距離で近かったんだけどなぁ。
保護されていた砦を抜けるのは簡単だった。しれっと門から出たんだよね。お父さんのご用事終わったの! って門番に言ってみたら案外通用してしまった。大丈夫か、この砦。スパイは入り放題では?
そんな感じで堂々と移動し、最大の難関の関所越え……をしようとして断念。私に関所破りは無理だ。身分証明も何もできない。仕方ないので夜を待って、戦場のはしっこぎりぎりの範囲で人目を盗んで国境を越える。国境ってめんどくさい。戦場を避けるようにさらに迂回して……今が温かい季節で良かったよ。食べ物には困らないからさ。
着の身着のままひたすら歩く。途中、アーダムの兵士に見つかって追いかけられたりもしたけど、なんとか撒いた。でも、私がどこから来たのか足取りを辿られたら面倒くさそう。無事に帰ることができたら、養父に相談しなきゃ。
病み上がりの身体にこの冒険は自殺行為だったかもな、と思ったのは、私が育った村が見える位置にまで来た時だ。
「つい、た……」
追っ手を撒くため、食糧を確保するために迂回して山に入った。これがまぁ、体力を根こそぎ奪いましてね。
くったくたです。
めっちゃくったくたです。
「つかれたぁ……」
はぁ、と近くの木にもたれてずるりと座り込む。
もう一歩も歩けない。眼下に広がる村にも戦禍の影響があるのかちょっと萎びて見える。
畑の収穫が足りてないな。家畜や子供の声も聞こえない。洗濯物の数だってずっと少ない。
あんなに小さな村だったんだなぁ。
私が育った村。十年住んだ村。
でも私の身体は成長しなくて。
気味悪がられたのは何年前だっけか。同じ年頃だった子たちが次々と結婚して子供を生んでいった。この世界は十五歳で成人して、十七歳で結婚、子供を生み始める。
そんな中、私だけ成長しない。
同い歳の娘息子たちにまで置いていかれることに気がついた時、すごく怖くなった。
それからは養父の助言であまり村に行くこともなくなった。養父の側だけが、私の世界。家の中で粛々と薬を調合する日々。
だから村自体には興味がなくなってたんだけど。
「あの人、ちゃんと生活できてるのかなぁ」
村の端のほうにある、三角屋根の家。庭と畑付き。村の他の家に比べたら、そこそこ実りがある様子。
あれだったら元気にしてるかも。食べるものさえあれば、人間案外どうにでもなるって言ってたのは養父だし。
あーあ、安心したら力が抜けてきた。
私は重くなる瞼を必死にこじ開ける。
駄目だ、ここで寝たらまずい。体力がないから、そのまま夜の冷えこみに負けて熱を出しかねない。温かい季節とはいえ、もともと寒い地方だもんな。夜の冷えこみは春だろうと夏だろうと寒い。
こーゆーの、頭ではわかってるのに。
身体が追いつかない。
力の入らない身体。私は木の根っこを枕に丸まる。もう少しで、帰れると思ったんだけどなぁ。
「……あら? 貴女、セト?」
女の人の、声。
誰だっけこの声。聞いたことがある気がする。重たいまぶたをなんとか持ち上げてみる。
「やっぱり貴女、セトね! 従軍したって聞いたのに! 大丈夫? ちょっと、目を開けて!」
「うるさ……、開けてるって、ユリア……」
思い出した。私と同い年のユリアだ。こう見えて三歳の子持ち。あーあ、子供を産んでさらに豊かになった胸が憎い。
「ひどい熱! 服もこんな薄着で……戦場から逃げてきたの?」
戦場から逃げてきたのは間違いない。でもアーダムの砦じゃなくて、イヴニングの砦なんだけど。そう言ったらユリアは卒倒しそうだ。曖昧に笑っておこう。
「肩を貸してあげる。……立てる? つらくても立って。私じゃ、貴女をおぶえないの」
そうだよね。成長しない子供って言っても、私はどちらかと言えば身長が高いほうだもん。それにユリアは背中に籠を背負ってる。たぶん、山の実りを採りに来たんだろうな。大事な食糧を置いて行こうなんて言えない。
ユリアに捕まりながら、よろよろと立ち上がる。一歩ずつ、一歩ずつ、私は歩く。
「今の貴女の状況を見たら、フェデーレ先生はおかんむりね……」
「やだー、怒られるのやだー」
「貴女が従軍するのも最後まで反対していたのよ。心配かけたんだから、生きて帰ってきた分、ちゃんと怒られなさい」
ぬぁー、お説教か。お説教だ。せめて体調よくなってからがいいな。いや、体調悪い時のほうが聞き流しても許される? 薬を思いっきり苦くされそうだ。
ユリアに励まされながら、なんとか時間がかかったけど山を降りることができた。まばらだった村人が私の存在に気づいちゃう。
「セト!?」
「セトだ……っ」
「おい、大丈夫かっ!」
「フェデーレ先生に知らせにいって!」
あーあー、めっちゃ人が出てくる。
私は立ち竦む。あんまり出歩くことのなかった私。どうも成長について奇異な目で見られて以来、村人たちに見られることが苦手だったんだけど……今、ここにいる人たちは、そんなことより心配のほうが勝っているような雰囲気で。
案外、気にしなくても良かったのかな。
私が気にしすぎていただけなのかな。
そう、思ってしまう。
村に残っていた唯一の若い男手である村長の息子が、私を抱えて走ってくれた。あーあ、こいつも私と同い年だったのに。すっかり大きくなっちゃってまぁ。
村を一直線に駆け抜ければ、端っこにある三角屋根の家が見えてくる。
その家の玄関の前に、杖をついている銀の髪の美中年がいて。
「セト!」
「フェデーレ……」
もう四十路に近いっていうのに、顔がいいな、この人。
髭もなくつるりんとした顎、きめ細やかな肌。整えられた眉に、透き通った鼻筋。なんで皺が目尻にほんのりとしかないんだ。世のおばさまたちが泣くぞ。
若作り選手権をさせたら間違いなく第一位になるこの銀髪の美中年こそ、私の養父であるフェデーレだ。
「話しは後で聞くからな。とりあえず、部屋の寝台へ運んで」
フェデーレがテキパキと指示を出していく。
あー、やっぱり我が家って居心地が良い。
私の部屋の寝台に寝かされて、村長の息子は出て行った。ユリアは後で食事を届けてくれるらしい。ほんと、皆優しいなぁ。なんでこんなに優しいの? 私のこと、不気味だって思っていると思ってたのに。
「解せないって顔をしてるぞ。そりゃそうだ、みんな、なんだかんだ言って心配してたんだ。君が従軍して一年経つ。一年あれば、親になったあの子たちも気持ちに変化があるさ」
あるぇ、もう一年経ってた?
てことは、私ってばこの世界に来て十一年目か。やだー、年齢サバ読んじゃうとこだったじゃん。
「セト。言いたいことは沢山あるけど。でもまずは――おかえり。無事で良かったよ」
「……ん。ただいま、フェデーレ」
フェデーレが頭を撫でてくれる。
慣れたような、優しい撫で方。
私はようやく気が抜けて、重い瞼をすとんと落とす。
この場所に帰ってこれて、本当に良かった。