26.父親として(side.ディオニージ)
ディオニージはもう四年近く前のことを思い出す。
最初は、なんて健気な少年だろうと思った。
彼女との出会いは敵国の牢の中だった。
捕虜となった自分の治療を任された彼女は、ただの少年治療兵にしか見えなかった。
捕虜の治療なんてすごく虚しい仕事だろうに。治療したそばから、情報を吐かせるためにまた拷問されていく。手当なんて名ばかりで、薬を与えるのすら惜しまれるのが戦場での考え方だ。特にアーダムはその慣習が強い。元婚約者に騙され、捕虜として捕まった時、味方の救援まで自分が生きていられるかは賭けだった。
そんな物資も限られている中でディオニージが生き延びることができたのは、間違いなく彼女の賢明な治療のおかげだった。
それをまだ十五だった新米騎士のガエンが自分を救出の際に重い一撃で蹴り飛ばしたのが、分岐路だったと思う。
このままでは目覚めが悪いと、とっさの判断で彼女を自国へと連れ帰らせた。ガエンの一撃で昏倒したまま目を覚まさなかったので、軍医に見せたところ、軽い脳震盪と判断された。
そのまま軍医に預けていたら、背中や腹を強く打って痣になっていたので湿布薬を塗布したところ、火傷のような症状があると報告が来た。そこから対処療法を施していったそうだが、怪我は悪化に悪化を重ねた。
なぜ軽かったはずの傷が悪化するのか、回復したディオニージは軍医を怒鳴りつけた。自分が回復する頃には少年治療兵も目覚めているだろうと思ったのに、度重なる傷の悪化で発熱までしてしまった。自分を助けてくれた人間を助けたいと思っただけなのに、こんな仕打ちをしてしまうなんて。ディオニージは深く後悔した。
その後、なんとか彼女が目覚め、治療が進み始めた。
毒薬を薬品のように自分に塗りたくる少女を、軍医や副騎士団長のクレートは気味が悪いものを見るように見た。
さらに養父に売られるようにして従軍した彼女が健気すぎて、気がついたらディオニージは自分が彼女を養子に迎える話までしていた。結局は自分の勘違いで、断られたが。
その後、庇護下から逃げ出した彼女を追いかけさせたところ、アーダムの村に十年前の政変で暗躍していたという帝国の隠者がおり、さらには彼女が天降り人であることが発覚。
帝国の隠者がイヴニングへの亡命を望むのと引き換えに終戦へ向けた策略を巡らした際、アーダム将軍のジュストとディオニージの元婚約者により、彼女は心にひどく深い傷を負った。
その結果として、記憶に混乱が生じた彼女に父親と認識され、ディオニージはその日から彼女の――セト・アユカの父親として振る舞ってきた、つもりだった。
セトは気楽そうに帰っていったが、誘拐されかけたばかりだ。ドミニクにこっそりと帰宅するまで護衛するように言いつけ、ディオニージは誘拐犯の男を詰め所に引き渡し、自分も帰宅した。
そのまま食堂に向かうと、先に待っていたフェデーレが一人で帰ってきたディオニージに半眼を向ける。
「ちょっと、セトは?」
「事件が起きてな。誘拐されそうになってたのを助けた。帰ると言って走り去ってしまったから、ドミニクを護衛につけている」
「はぁああ? どこのどいつだよ。せっかくセトと一緒にご飯が食べられると思ったのに。いつの間にそんな治安が悪くなってたんだよ、サロモーネ」
フェデーレが舌打ちをする。領主であるディオニージを前に言いたい放題できるのは、フェデーレくらいだ。
ディオニージは苦笑しながら、フェデーレの向かいの席へとつく。
「で? そこの朴念仁はセトを見送ることもしないでノコノコ帰ってきたと?」
「ドミニクを護衛につけたと言っただろう。それに詰め所に誘拐犯を引き渡さないといけなかったしな」
まっとうな理由があるのだと主張すれば、フェデーレは行儀悪くテーブルに頬杖をつく。その表情は、ディオニージの言い分に納得していない感じだ。
「なんだその顔は」
「べーつにー?」
「言いたいことがあるなら、はっきり言え」
「仕事熱心な騎士団長様は当然、誘拐犯がどうしてうちの可愛いセトを誘拐したのか、動機を聞いてるんだよねぇ? って?」
フェデーレの言葉に、ディオニージは渋面になる。
当然、詰め所に引き渡す前に簡単に尋ねている。だけどその動機を考えると、ディオニージの胸の奥にもやもやとしたわだかまりが生まれて、あまり良い気分にはなれなかった。
「何、その顔。前に捕まえた海賊の残党だったとか?」
「……そっちのほうがまだマシだったかもしれん」
「じゃ、何? セトの可愛さに魔が差したとか?」
「そうだな……見ないうちに美人になりすぎだ。今回のように変な輩がまたわきかねない。フェデーレ、セトに帽子をちゃんと被るように言え。あと、婦女子なのだから足を出しすぎてはいけない。なんだあのスカートは。破れているのか。脹ら脛が見えていたぞ」
「ちょっと待った、ちょっと待った、ちょっと待った」
今回の出来事と、数カ月ぶりに再会したセトの印象を思い出し、ディオニージの小言が止まらない。つらつらとセトの無防備なところを挙げていけば、フェデーレから制止された。
「なに、ディオニージってばセトの脹ら脛見てたの? ドスケベじゃん」
「ど……!? 何を言うんだお前は! セトが破廉恥な服を着てたんだ! お前こそなんで注意しない!」
「えー。うちは放任主義なんで。それにセト、自立するって言って家出てったし」
「そうだ! それもだ! なぜセトがここから出て行ってしまったんだ! 居心地が悪かったのか……!?」
服装から話が飛んでしまうけれど、ディオニージはそれが一番聞きたかった。
数ヶ月ぶりに領地に帰ってきたら、セトは領主館の離れから巣立って、町で一人暮らしをしているなんて。
「どうして止めなかった。父親だろう!」
「違うでしょ。父親だから止めなかったんだけど?」
逆ギレするかのようにディオニージが睨みつければ、フェデーレはふんっと鼻を鳴らす。
「娘が自立したいって言うんだもの。そりゃ応援するでしょ」
「だが、アユカは普通とは事情が違う! 何かあったらどう責任を取るつもりだ!」
「別に。責任を取るのはセトだ」
咆えるディオニージに、フェデーレは冷静に言葉を返す。
ディオニージはフェデーレの無責任さに憤慨するけれど、続いた言葉に怒鳴りそうになった言葉をぐっと飲みこんだ。
「あの子はもう大人だ。僕はあの子に、一人で生きていくための知恵も方法も与えられるだけ与えてきた。親としての役目は十分果たしたさ。あとはもう、見守るだけだ」
「だが、アユカは」
「君さぁ、自覚ないの?」
なおも言い募ろうとしたディオニージに、フェデーレは呆れたように言う。
でもディオニージは、フェデーレが何に呆れているのかが分からなくて、眉を顰めるだけだ。
「そんなにセトのことが心配なら、君が面倒見てあげなよ。セトだって喜ぶよ」
「……いいのか? 俺が、アユカの父親になっても」
「は? 誰がセトの父親の座を譲るつった?」
青筋立てたフェデーレが、とうていセトには見せられない般若の形相でディオニージにメンチを切ってきた。ディオニージは少しだけ反省する。だけど、フェデーレの言いたいことがいまいちピンとこない。
「この離れには好きなだけ住んでいいと、最初にアユカにも伝えたはずだ。忘れられているのだろうか……父親じゃないなら、俺は何をすれば……!」
「……セトの心の病気もやばかったけど、君も相当患ってるね? あれか? アーダムで拷問されてたって言うしそれかい?」
「ものすごく失礼なことを言われてる気がするんだが?」
「そう思われる言動をしてるのに気づけ、馬鹿」
仮にもディオニージはイヴニングの騎士団長だ。そんな自分に馬鹿だといえる人間なんてそうそういない。だけど今はフェデーレの意図を読みきれずにいるので、ディオニージは甘んじてその暴言を受けた。
とはいえ、フェデーレの言いたいことが丸きり分からない。
疑問符を頭から大量に発していれば、フェデーレが深く溜息をついた。
「君のそれ、親子の領分を越えてるから」
「どこがだ。子供は甘やかすものだろう?」
「そうだけどさ。甘やかし方が子供じゃないの。恋人や婚約者にするような甘やかし方なの、自覚してないでしょ」
「………………そうなのか?」
目から鱗の言葉に、ディオニージは目を瞠る。
対するフェデーレは、デイオニージがこれまでやってきたことを指折り数えた。
「見舞いに花を贈る。体調が良くなっても手紙に花を添えてたな。いくら婚約が破棄されたからって、家族でもない年頃の女の子とひとつ屋根の下で住むなんてありえない。王都に行けばセトの欲しがるものを何でも買い与えようとしたらしいな。本人に止められてるはずだけど」
どれも心当たりがありすぎる。確かに事実もまぁまぁあるが、世の父親というのはこんなものではないのだろうか。
ディオニージが率直にフェデーレに問いかけたら、大袈裟に首を振られた。
「んなわけない。それはすごい駄目な父親だ。甘やかすだけが親の仕事だって思われてるなら、心外だよ」
「なんだかすまない……」
フェデーレが静かにキレた気配を察したので、ディオニージは即座に謝罪した。フェデーレは「分かれば良し」と腕を組んで頷く。
でも一つだけ、ディオニージはフェデーレ相手にも譲れない主張がある。これだけは主張させてほしい。
「俺は俺なりにアユカのことを大切に思っている。二度と泣いてほしくない。彼女には幸せになってほしい。そう思っている。そのために俺は、父親であるべきじゃないのか? 彼女は心の奥ではそう望んでいるだろう……?」
真摯に伝えれば、フェデーレがとうとう両手で顔を覆って天井を仰いだ。
「この朴念仁!」
罵倒された。
ディオニージが眉間にほんの少し皺を寄せていると、天井を仰いでいたフェデーレが顔を真正面に戻し、びしっとディオニージを指さした。
「じゃあ、セトがガエンと結婚しても良いんだな!」
「なんでそうなる? だが駄目だ。ガエンはまだ若くて未熟すぎる」
「ドミニクと結婚するかもしれないぞ」
「それも駄目だ。あいつは任務の都合上、一つ処に留まらない。アユカに寂しい思いをさせてしまう」
「それならクレートとお見合いだな!」
「却下だ。あいつはアユカに優しくない。アユカの体質に寄り添ってくれないだろう」
いつかしたような会話を繰り返す。
そしてディオニージは思い出した。このあとにフェデーレがなんと言うのか。
案の定、フェデーレは。
「そうまで言うなら、君がセトと結婚しろよ」
前回の時より語気が強めなのは気のせいだろうか。いや、気のせいじゃないと思う。ディオニージはそろっと視線をそらした。……のを、フェデーレに見咎められる。
「目、そらすなよ」
「……そらしてないぞ」
「ほら、答えろよ」
ガラが悪い。非常にガラが悪い。
これがフェデーレの本性なのかと思うと、ディオニージはなんだかこの場から逃げ出したくなる。
「……俺もアユカに相応しいとは」
「相応しいかどうかじゃないんだって。君が選ぶんじゃない、セトが選ぶんだ。そしてもうセトは選んでる。将来を託す相手を選んでる」
ディオニージはここで初めて、胸の中にあった焦りのような感情を覚えた。
セトはもう選んでいる。将来を託す相手を選んでいる。その言葉に、ディオニージの黒い瞳が揺れる。
「だ、誰を選んだんだ。領主館の人間か? それとも診療所で? まさか、一番仲の良いガエンを――」
嫌だ、と思った。
他の誰にも、セトを預けられないと思った。
だって彼女を幸せにできるのは。彼女を幸せにしたいのは。
そう思った瞬間、ディオニージはけたたましい音を立てて椅子を倒しながら立ち上がっていた。
フェデーレがにっこり笑って、食堂の入り口へと手のひらを向ける。
「あの子の特等席が欲しいなら、言葉を惜しんじゃいけないよ。十年経ってもあの子は、この世界の言葉にまだ馴染みきってないんだからさ」
フェデーレの助言を胸に刻んで、ディオニージは食堂を出ていく。
彼女に。
彼女に会って、確かめないと。
そして伝えないと。
胸の奥まったところに、いつの間にか閉じこめていた大切な感情。
その感情が、ディオニージを突き動かした。
※この作品のヒーローはディオニージです!(大声)




