22.恋の導火線に火がついて
ガエンが、私を好き。
私を好き……好き? 好き……。
「好きってなんだ?」
「天降りを見た猫みたいな顔になってるぞ」
「はっ」
気がついたら王都に着いていた。ここはディオニージのお屋敷だ。今年も試験期間中はここでお部屋を借りる手筈になっている。だからここにいるのはおかしくないんだけど……。
「好きって何?」
「はいはい、それよりもさっさと荷物を部屋に持っていく」
フェデーレに促されて、私はうわの空のまま、荷物を持ってお屋敷の中へ入ろうとする。
完全にぼんやりしてたせいで、眼の前に人がいるのを認識しないままぶつかってしまった。
「わぷっ」
「大丈夫か、セト」
「だいじょうぶ……」
ぶつかったのはディオニージだった。ぼけぇっとディオニージの顔を見上げる。
短く駆られた黒い髪。私と同じ黒曜石の瞳。逞しくて、強くて、そして全てを包んでしまうくらい優しい人。
不意に思う。
私はこの人が好きだ。好き……。
ガエンの好きと私の好きを比べてみる。
今感じたけど、私、ディオニージに対する好きと、フェデーレに対する好きは、違うと思う。それと同じで、ガエンに対しても、好きの気持ちが違う。
ぼんやりとディオニージを見上げていれば、彼は心配そうに私の頬に手を当てる。その大きな手の温もりがなんだか嬉しくて、自然と頬が緩む。
「ぼうっとしているな。体調が悪いのか」
「悪くないけど」
「そうか……? フェデーレ、ちゃんとセトの身体を診ているのか」
「診ているさ。でもちょっとそれは、つける薬のない症状だからね。落ち着くまでほっといていいんだ」
「それは大丈夫と言わないだろう」
フェデーレのしれっとした言葉に、ディオニージが渋面になる。
ディオニージが私たちの後ろに向かって声を投げた。
「ガエン、セトの荷物を運んでやれ」
「うぃっす」
御者台から降りてきたガエンが私のほうに近づいてくる。私は荷物を胸に抱えて、すすすとディオニージの後ろに隠れた。
「どうした、セト?」
「……えぇっと、自分で持って行くから大丈夫!」
ディオニージが不思議そうに私を振り返る。
私はにっこりと笑って断るけど、ガエンが颯爽と私たちのところまでやって来て、手を差し出してきた。
「こっちは団長命令だ。大人しく荷物を渡すんだな」
「悪党でしか聞かない言い回しだなそれ!」
これはもう急ぐが勝ち!
私はガエンとディオニージに背を向けると、毎年泊まらせてもらっている部屋へと一目散に走った。
三級薬師試験のために勉強をしようと思っても、心は全然別のことばかり考えてしまって身が入らない。
これは駄目だ。本格的に駄目だ。試験は明日なのに、こんなんじゃ受かるものも受からなくなってしまう。
フェデーレも今の私に色々詰め込んでも筒抜けだろうと踏んだのか、今日はドミニクさんをお供に王都の街へ出かけていった。なので、私は一人で自習をする予定……だったんだけど。
「……ガエン、仕事は?」
「非番」
「なんで来たのさ」
「口説きに来た」
こ、の、男、は……!
ここ数日、誰のせいで悶々としてると思ってるのか!
私が威嚇するようにガルガルと唸りながらガエンを見ていれば、彼はしれっとした表情で私に手を差し出す。何だその手は。何をする気だ。
「そんな警戒されると地味にショックなんだけど」
「ガエンが変なこと言うからじゃん……!」
「変とか言うなよ。こっちだって大真面目なんだぞ」
ガエンがむっとしたように眉間に皺を寄せる。出会った頃なら罵倒の一つも飛んできたのにな。今はクソガキ時代の面影なんて少しもない。
「なにもしねぇよ。エスコートだけだ。それぐらいは許されるだろ」
「……」
エスコートって言われると、ちょっと困る。頬が赤くなっちゃう。そう言えば私、エスコートなんてされたことない。
エスコートってあれだよね。男性と女性が手をつないだり、腕を組んだりするやつ。唐突な女性扱いに、じわじわと羞恥が湧いてくる。
「……顔赤くなった。可愛いとこあんじゃん」
「っ、!?」
ガエンらしからぬ台詞を聞いた気がして、私の顔面はもう沸騰状態。死ぬ、恥ずかしさで死ぬ。
「ガエンってばどこでそんな言葉を覚えてきたんだよ……!?」
「言っただろ、口説くってさ」
ニヤリと口角をあげるガエンに私はもうお手上げだ。
心臓がまだ動いているうちに、さっさとガエンのご機嫌とりとかしたほうがいいのだろうか。そうじゃないと私、ガエンに殺されそう。羞恥心を狙撃されて。
「……分かった。でも、出かけないよ。私勉強あるから、少しだけ談話室で話すだけ、なら……」
「それでもいい。明日試験なのも分かってるから、無理強いはしねぇ」
そう言うくらいなら、そもそも今日来ないでほしかったなぁ……!
なーんて、言えるはずもなく。
私は部屋を出ると、ガエンを案内するように談話室へと向かう。エスコートですか? それはちょっと……なんか、ガエンにそういうのをされるのは違う気がして。
談話室に入ると、私は扉を少し開けたままにした。途中で使用人にお茶のお願いをしたので、頃合いを見て運んできてくれるはず。
「ガエンとこうやって話すのって、久しぶりだね」
「そうだな。でも騎士団の中じゃ、俺が一番セトと一緒にいるんじゃね?」
「まぁ、そうかも?」
試験のために王都に来ても、ディオニージは仕事で家を空けてることが多いし。一番付き合いが長いのはドミニクさんだけど、フェデーレから接近禁止令が出ていたからな。なんでもドミニクは教育に悪いらしい。巨乳の件がバレたからね。とはいえ私ももう、義務教育はとうに卒業してる年なんだけどな。
それに容姿や年齢詐欺のこともあって、ガエンと一番歳が近いと思われていたし。最初の頃こそこいつとは仲良くなれないって思っていたけど、今はこうして和気藹々と話せる相手にもなった。人間関係の不思議だよね。
「懐かしいなぁ。初対面で私、ガエンに蹴り飛ばされたんだっけ」
「あっ、あれは! ……ほんと、すまなかった」
「いいよ、終わったことだし。それになんだかんだ、ガエンには助けてもらってるしね」
私がアーダム軍に捕まった時も、ディオニージのときと同じくガエンが真っ先に特攻をしたらしい。そうじゃなくても、誤解が溶けたあとのガエンは口が悪いだけで優しい子だってことも知れたから、こうして距離を縮める事ができたと思っている。
「俺、セトをちゃんと助けられてるか?」
「うん。こうして話し相手になるのだってそう。フェデーレの次くらいに話しやすいかな」
そう伝えれば、ガエンが嬉しそうに頬を緩める。
でも、だからこそ。
「……私、ガエンの気持ちに応えられない」
ガエンが一瞬、目を見開いた。
それから苦しそうに表情を歪める。
「なんで」
「私、ガエンと結婚する未来が描けない」
「そんなのわからないじゃないか。俺はセトとの未来を描ける。だから、少しくらい考える余地はないか?」
「ごめんね。考えてるんだけど、見つからないんだ」
そう伝えれば、ガエンの表情がくしゃりと歪む。
何かを言おうとして口を開くけれど、ガエンは瞳を揺らすと大きく息を吐き出しただけ。
深く息を吐き切ると、ガエンは私を真っ直ぐ見る。
落ち着いた声で、ガエンはその胸のうちの激情を言葉に乗せて来る。
「……セト。俺、セトのことが好きだ」
私は首を振る。
「ごめん、嬉しいけど……」
「俺がガキだからか」
私は首を振る。
「違うよ」
「じゃあ、なんでだ。どうして俺じゃ駄目なんだ」
そうぼやくガエンの赤色の瞳が、迷子のように頼りなさげに煌めく。
私は胸の奥で言葉にするのを待っていた、こんがらがってばかりいる気持ちたちを見つけて、一つずつ解いていく。
「ガエンとはさ、そういうんじゃなくて……ライバルでいてほしい」
「ライバル?」
そう、ライバル。
私にとってのガエンは、競い合いたい相手なんだ。
だって。
「ガエンはすごいと思うんだ。年下なのに大人に混じって、渡り合って、命のやり取りだってする。尊敬するよ。いつまでも子供だった私からしたら、すごく尊敬する。……だから、私も負けていられないと思う」
そう、負けられない。負けたくない。
年下のガエンも頑張ってるんだから、私だって手を抜いちゃいけないと思う。自分にできること、自分がやりたいこと、ちゃんと目を逸らさずに真っ直ぐに向かいたい。
だから泣きべそかきながらも、フェデーレの勉強についていった。
「どうせなら、二級薬師を目指したいって思ってる。騎士団のために頑張りたい。だから、ライバルでいてほしいんだ」
ガエンの目が大きく見開かれる。
「自分の店、持つんじゃなかったのか」
「マリオ先生を見てたらさ、老後の楽しみでもいいかな〜って。騎士団じゃなくても、サロモーネの領主軍に常駐する薬師でもいいし」
そう。今の私の夢はこれ。
騎士団とか領主軍とか。傷つく人のために何かをしてあげたい。守ってくれる人のために何かをしてあげたい。
最初は自分のためだった。薬の合わない自分の身体のために勉強を始めた。でも今は、誰かを助けるための手段にもなる。
それを戦争で、マリオ先生の診療所で、実感した。
だからと言えば、ガエンの表情がふっと崩れた。
「あーあ、やっぱり駄目か」
ガエンはソファーに深くもたれるようにして、天井を仰ぐ。
「やっぱりって何がさ」
「セトは団長のことが好きなんだろ?」
今度は私のほうが面食らう。
え? なんで? なんで今の話題の流れでそうなった??
「わ、私がディオ様を、好き、とか。そんな話、してないしっ」
「いーや、俺には団長が好きだから、団長のために薬師を目指しますって言ってるように聞こえるね。俺のライバルになるってそういうことだろ」
なんだそれ、なんだそれ、なんだそれ!
俺のライバルになるってそういうこと? 団長のために目指す? 団長が好きだから? つまり?
「ガエンもディオ様が好き……!」
「当たり前だろ」
「えっ、将来だけじゃなくて私、恋のライバル認定もされたってこと!?」
「おい待て、とんでもねぇ誤解が生まれてやがる!」
ガエンが吠えた。
いやだって、今の流れはそういうことでしょ? 違う? 違う?
「くそ……失恋した瞬間にとんでもねぇパンチ食らった気持ち……」
「私、何もしてない」
「なんで俺、こんな女を好きになったんだ……」
ほんとにね。見事に年上の悪い女に捕まっちゃったね、ガエンってば。まぁ、私にはそのつもりなかったけど。別に悪女ムーヴとかしたかったわけじゃないやい。
「でも、なんていうか、ガエンには感謝してるよ?」
「ああ?」
「私も、恋していいんだって、思えたから」
ガエンが微妙な顔になる。なんだよ、その顔。私はいたって大真面目なんですけど。
成長しなかった私は、一つ処に留まる不安や、周囲の目が気になって、ある時から周りとの距離が空くようになっていた。アーダムの村はそれがすごく顕著になっていて、結婚していく同年代の子たちの話を聞くたびに、私は諦めてばかりいた。
でも、イヴニングにきて。年齢に見合った姿を取り戻して。――ガエンに告白してもらえて。
私にも。私だって。恋しても良い、恋する資格をもらえたような、そんな気持ちになった。
「……その相手に、俺を選んでもいいじゃねえか」
「言ったでしょ。ガエンにはライバルになってほしいって」
「恋のライバルはしねぇぞ」
「あは」
私が笑えば、ジト目だったガエンもふっと目元を和らげて微笑んだ。
「あーあ、フラレちまったな」
「ごめんよ」
「謝るなっての。でもそうだな……団長に告白してフラレたら、まだ俺にも可能性があるな?」
「さぁね〜」
全然諦める素振りのないガエンは、びっくりするくらい色っぽい流し目をしてきた。うわぁ、ガエンってば、そんな表情もできるようになったの。
「大人になったねぇ、ガエン」
「なんでちょっと年寄りっぽい言い方なんだよ」
ガエンが呆れたように言うけど、私の気持ちはほんとそれなんだよ。大人になったんだ、ガエンも、私も。
私がしみじみと感じていると、ふと気がついたようにガエンが悪い顔になった。
「まぁ、ライバルって言うならさ。俺はこうしてセトに告白したんだ。当然、セトも団長に告白するよな?」
「うぇっ!?」
えっ、今の話からそう飛び火する!?
私はぎょっとしてガエンを見る。ガエンは膝に頬杖ついて、私を挑発するようにニヤリと笑ってる。
「大人のセトは団長に告白するんだろ?」
「そ、それは、まだ、その、時期じゃないっていうかぁ……!」
「まぁ、バレるのも時間の問題か」
「えっ、バレるの!?」
「だってお前の態度見てると分かりやすいし。フェデーレさんあたりはもう気づいてんじゃねぇか?」
うっそぉ……! そんなの恥ずかしすぎるじゃん! フェデーレにバレバレなの恥ずかしすぎる。やだぁ、娘の恋愛事情筒抜けとか、デリカシーなさすぎるよお……!
「はっ、もしかしてそれってディオ様にもバレバレってこと……?」
「どうだかなぁ。あの人もあの人で鈍いからなぁ。でも婚約破棄してしばらく経つから、最近お見合いの釣書が増えてるらしいのはマジ」
「お見合い……!?」
「だって団長ももう三十だぞ? 結婚してなきゃおかしいって」
三十。ディオニージはまだギリ二十代だと思ってたけど、そうか、もう三年経つもんね……三十かぁ。
「五歳差はいけるの? アリ?」
「それ、俺に向かって言うのかよ」
ガエンは今年で十八? 今年で二十五の私とは七歳差だ。全然、いけるな。おっけー。
「希望が持てた」
「俺、砕かれてる側だけどな」
ガエンがまた私をジト目で見てきた。やめてよね。私なんかを選ぶからこうなっちゃうんだよ。
「次の恋探してがんばれ!」
「失恋相手に励まされるのすっごい複雑。諦めねぇし」
ガエンがソファーから立ち上がる。私もソファーから立ち上がった。お互い真正面からメンチを切り合う。圧倒的に私の身長が足りてないんだけどさ。
「諦めねぇから、覚悟しとけよ」
「私だって、頑張るから」
私がディオニージに告白するか、ガエンに根負けするか。
複雑に絡む恋の導火線に今、火がついた。




