20.第二次性徴期?
ディオニージにお姫様抱っこされて領主館に戻ると、フェデーレにめちゃくちゃ変な顔をされた。
「セト……なのか?」
「私以外のセトがいたら、私は泣いて喜ぶね」
「まじかぁ……」
あー、とフェデーレが杖を持っていないほうの手で顔を覆ってしまった。たっぷり三十秒くらい数えたと思う。それからようやく顔を上げた。
「とりあえず君たち二人とも、風呂に入れ。ずぶ濡れじゃんか。それとセトは、風呂に入る前に身体のサイズをざっくり測ってもらえ」
「見て、見て、フェデーレ、念願の胸だよ!」
「やめなさい」
胸を張ったら、フェデーレに真顔でチョップされた。私を抱いてるディオニージは一生懸命顔を逸らしている。領主館の使用人が柔らかい室内靴を持ってきてくれたので、それを履いて降ろしてもらった。
生活設備は離れのほうにあるから、私とディオニージ、それからフェデーレの三人で揃って離れに帰る。
お湯を沸かしてもらっている間に、私はフェデーレの言いつけ通り採寸をしてもらった。
その結果、身長は五センチほど伸び、体型もちょっと変化していたことが判明。いやもう、この二つの山を見たらちょっとどころじゃないんだけどさ。
ついでになんだかやたらと伸びていた髪も、お尻くらいまでの長さで切り揃えてもらった。
で、お風呂で体を温めて、ほかほかとした状態で、いつものようにフェデーレの部屋に向かった。
ディオニージに追い出された。
「なんで!?」
「レディがみだりに男の部屋入るな! しかも夜に!」
「今更!?」
なんだかよく分からない理由すぎる! しかもここはディオニージの部屋じゃなくてフェデーレの部屋だ。ディオニージに追い出される理由なくない!?
廊下で入れてよう、開けてよう、とドンドン扉を叩いていると、渋々、扉が開けられる。
「フェデーレ〜、ディオ様がいじめるぅ〜」
「あー、はいはい」
苦々しい表情で扉を開けてくれたディオニージをすり抜けて、私は椅子に座っているフェデーレに泣きつく。フェデーレの膝にぎゅっと抱きつくのが私の定位置。
「……あー、セト、ちょっと離れようか」
「なんで」
「いいか、僕は養父だ。君にそういうつもりは一切ないのは知っている。でもな、今のその勢いで他の男にやらかしたら、セトにとってもそいつにとっても体裁が悪いんだよ」
「ちょっと早口で何言ってるのか分かんないんだけど」
「……異性に胸を当てるんじゃない。しかも下着つけてないだろ君」
「よく分かったね」
「んぐっ」
フェデーレが盛大にため息をつく。最後でたぶんディオニージが何かにむせたっぽい。私は不思議な気持ちで、いきなり大きくなった自分の胸を見下ろした。
「海に入ったら胸が大きくなるなら、早く入れば良かった」
「たぶんそれは違うと思うぞ」
ぼやいたら、フェデーレに即否定された。
じっとフェデーレの顔を見上げていたら、彼は視線をディオニージに向ける。
「ディオニージ。君が見たことをセトにも話してやって」
「……ああ」
ディオニージがフェデーレと向かい合う位置でソファーに座った。私は絨毯の上にぺたんと座ったまま、ローテーブル越しにディオニージを見上げる。彼は咳払いすると話しだした。
「まずセトが海に落ちるより早く、光が布のように広がって、セトを包んだ」
それは私も覚えている。いきなり海が光ったんだと思ったんだ。でもそれは違っていて、ディオニージから見ると、私の背中に光が翼のように生まれて、そのまま包まれたように見えたらしい。
「光の卵のようなものに包まれたセトは海に落ちた。俺はそれを追って海に飛び込んだが、光の卵ごと海に沈むセトの姿がみるみるうちに変わっていった」
最初は髪が急に伸びただけだと思ったらしい。そう思ったら、身体はどんどん丸みを帯びて、女性らしい身体つきになっていったのだとか。身長がほんの少ししか変わらなかったせいであんまり実感がなかったんだけど、成長したと感じたらしい。
「フェデーレ、どういうことだ。セトのこの身体の変化はなんなんだ」
困惑したようにディオニージはフェデーレを見る。ちょうど私が部屋に来る直前にこの話をしていたらしい。そこに当の本人がやってきたと。
私はフェデーレを見上げた。フェデーレは瞑目して、トントンと自分の膝を叩く。やがてゆっくりと瞼を上げた。
「僕から言えることは、天降りのやり直し、かな」
「天降りのやり直し?」
「そう。セトは十二年前、この世界に落ちてきた時から成長が止まっていた。その成長の停止を完全な天降りじゃなかったと仮定して、今回、その天降りをやり直したとしたら……十二年分の時が、天降りによって進んだと考えられる」
私はディオニージを見た。ディオニージも私を見ている。本当にそうなのか? と言いたげなディオニージに、私は肩をすくめた。当の本人だけど、私にだってそれが正しいのか分かんない。
間違いなく言えることは。
「私の成長が止まっていたのは本当。私、この世界で一度も月のものが来てない」
ディオニージがぎょっとした。それからそわっと視線を逸らしかけて、咳払いする。ちょっと耳が赤い? え、なんかそんな反応されると、私がセクハラしているみたいなんだけど。
私の成長が止まってることとして、一番の証拠になると思ったんだけど。あ、髪が伸びないのでも良かったのかな。むしろそっちを言うべきだった? でもフェデーレはそんな反応しなかったしなぁ……むしろ身体の成長が止まっていると気づいて、真っ先に確認されたけど。デリカシーないよねって思った記憶がある。まった、今の私もデリカシーなかったじゃん!
ディオニージにごめんなさい、と土下座しようとするより早く、フェデーレが私の頭をぽんぽんと叩く。土下座するつもりが、意識がフェデーレのほうに向いてしまった。
「とりあえず、ディオニージ。セトがこの姿になった以上、しばらく様子を見よう。主治医は僕よりもマリオのほうがいいかな」
「いや、フェデーレのほうがいいだろう。セトの身体は特殊すぎる」
「分かった。セトはそれでいい?」
「おっけー」
私の身体の面倒を診てくれていたのは、ずっとフェデーレだった。異論はなし、と意思表示する。
フェデーレは頷くと、またディオニージへと視線を向けて。
「それと、このことはあまり知られないほうがいい。すでに見られてしまっている者たちには箝口令をしく。明日から外に出る時は胸をつぶして、男装したほうがいいかもな。……髪も一度切って、自然に伸びるのを待とう」
急に変わると変に思われる。だからゆっくりと一年くらいの時間をかけて、この成長した姿をお披露目していく方向性になった。
私は名残惜しく自分の胸を掴む。明日から、この胸を潰さないといけないのか……。
「せーと」
「あだっ」
「淑女がそんなことするんじゃありせん」
「いや、だって、つい……」
「つい、じゃない。ほら、ディオニージだって目のやり場に困ってるだろ」
「俺に振るな!」
「ごめんなさーい」
ぎょっとしたディオニージに、私はだいぶ反省する。というか私が恥ずかしい。完全に無意識だったけど、ここにはフェデーレだけじゃなくて、ディオニージもいるんだもんね。
うんうん、と頷いていたら、ふぁああと欠伸が出てしまった。
それに気がついたディオニージがソファーから立ち上がる。
「セト、疲れただろう。眠ったほうが良い」
「でも、まだ話の途中……」
「話したいことは全部終わったよ。ほらセト、おやすみ」
フェデーレが腕を広げる。私はおもむろに立ち上がると、フェデーレと優しくハグをした。
ディオニージが部屋の扉を開けてくれる。
私はディオニージを見上げて。
「ディオ様、ありがと」
「ああ」
「扉だけじゃないよ? 船で助けてくれたのも、海に落ちたのを助けようとしてくれたのも。ありがとう」
ディオニージが身体を張って私を助けようとしてくれたのを思うと、胸の中がぽかぽかと温かくなる。その気持ちを伝えたくて笑いかけたけど、眠気と相まって、ちょっと情けない感じになっちゃったかもしれない。
その証拠に、ディオニージが顔を逸らしてしまった。……私、だいぶ情けない顔だったのかな。顔を逸らされるのはちょっとショックだ。
「ディオ様、フェデーレ、おやすみなさい」
「おやすみ、セト」
「……あぁ、おやすみ」
私はフェデーレとディオニージに夜の挨拶を残して、部屋を出た。
◇ ◇ ◇
セトが部屋を出ていくと、ディオニージは深くため息をついてソファーに戻ってくる。そんな彼を見て、フェデーレは笑った。
「何、悩殺されてんの」
「のうさ……!? 馬鹿を言うな! セトは、その……娘のような子だぞ!?」
「セトは僕の娘ですけどぉ?」
一時的に記憶が錯乱して、ディオニージを父親と誤認していた時期はあるけれど、結局、セトはディオニージを父親ではないと判断した。そのあと、健気に「フェデーレがこの世界の父親だ」って言ってくれたくらいだ。うちの娘、ほんと可愛い。
そんな娘が、大人の女性へと急激な成長を見せた。ずぶ濡れだった時はそうは思わなかったけど、湯を使って血色が良くなった彼女は、今まで見たことのない艶っぽさを持っていた。
少し暑さで汗ばんでいる首もと。血色が良くなって紅潮している頬。女性らしい丸みを帯びた輪郭。濡羽色に艶めく長く黒い髪。それなのに、成長したのにも関わらず華奢で小さな身体。
天降り人だからなのか。イヴニングやアーダムでよく見るような美人とはまた違う、不思議と目を惹かれるような容姿をしていると思った。
顔立ちも言動もセトのままなのに、ふとした瞬間の表情がまるで別人に見える。長年一緒にいたはずのフェデーレでさえ、セトを別人だと思いそうになってしまう。
それが、出会って二年くらいのディオニージなら尚更だろう。
目の前で頭を抱えている男に、フェデーレは笑って言う。
「あの姿ならもう心配ないよね。あとは体調を見て……三級薬師試験を受ける頃までには、婚約者を見つけてやりたいかな」
「こ、婚約者……!?」
「あったりまえだろ。セトの年齢からしたら遅いくらいなんだぞ。セトの年齢は知ってるよな」
「あ、あぁ……」
愕然としている様子のディオニージ。
フェデーレはそんなディオニージを無視して、セトの婚約者候補を挙げていく。
「年齢的にドミニクが最有力候補かな。でもドミニクは仕事上、諜報活動してるから家庭にとって良い旦那にはなれなさそうだ。そうなると、将来性を見込んでガエンがほしい。あの子、まっすぐで良い子だと思うよ。惜しむらくは年齢がちょっと下過ぎるかもってところか」
「待て。なんでドミニクだ。なんでガエンだ。あの二人にセトはもったいないだろう!」
「じゃあ、クレートとか? でも彼、セトとそんなに接点ないからなぁ」
「うちの騎士団から選ぶな! あいつらにセトはもったいない!」
吠えるディオニージに、フェデーレは呆れたように頬杖をつく。
「もったいないって君さぁ。候補としてはそれくらいだよ? セトが天降り人だって知っている人じゃないと、彼女を任せられないからね」
「それは、そうだが……」
フェデーレが正論でつつけば、ディオニージもさっきまでの勢いを弱めてしまう。
その様子を見て、フェデーレは悪戯っ子のように笑った。
「あ、もう一人いたね、候補」
「誰だ? マリオは駄目だ。お前より年上だろ」
「ちょっと、うちのセトをそんな筋肉爺のとこにやるかよ。そうじゃなくて、僕の目の前にいるじゃんって話」
にんまりと笑って、フェデーレはディオニージを見た。
「ディオニージ、お嫁さんにセト欲しい?」
「なんてことを言うんだ!?」
「あんまり大きい声出すと、セトに聞こえちゃうよー」
フェデーレがたしなめると、ディオニージは絶叫したあと、ぴくりとも動かなくなった。たぶん、驚愕のあまりに思考が止まったのかもしれない。
フェデーレはまんざらでもなくなったようで、にまにまとする。
「ふぅん。自分にもったいないとは言わないんだ」
「い、や、それはっ、もち、ろんっ! もったいない!」
壊れたブリキの人形のように、ギシッギシッとディオニージが反論してくる。
フェデーレはそれを見て、目を細めた。
「君、セトを過大評価しすぎだろ」
「は?」
「確かに、君たち騎士になんか釣り合わないくらいの知識や教養を持ってる。それは当然、僕の娘であるし、なにより天降り人だからね」
でも、とフェデーレは言う。
今日の出来事を聞いて、余計に痛感したことをディオニージに伝える。
「セトはすごく弱い女の子だよ。誰かが守らないといけないくらいにね。守るというのなら、騎士ほどそれに特化した奴はいないだろ?」
ね? と首を傾けて、フェデーレは言う。
天降り人としてのセトには十分すぎるほどの価値がある。それ以前に、か弱い人の子であることをフェデーレは知らしめる。
フェデーレにとって、セトが天降り人であることは二の次だ。そりゃそれを利用する瞬間もあるけれど、それを強要しない。事実を事実として使うだけで、セトに天降りの天恵を与えられようなんて思っちゃいない。
純粋に。
迷子の子供を保護し、可愛がっている。それはもう、目の中に入れても痛くないほどに溺愛しているとも言う。
セトは全てを失い、ただ怠惰に任せて生きるしかなかったフェデーレに意味を与えてくれた子だ。早々に退場させられた表舞台。何もかもが灰色に見えていた頃に、フェデーレのもとに降ってきた天降り。
だからこそ、フェデーレは有り余っている余生をセトに使うことに決めた。そのほうが絶対面白いと思ったから。それが今、面白いを越えて大切なものになっている。
「ま、最終的にはセトが決めることだけど。騎士団の今言ったメンバーにはぜひ努力をしてもらいたいね」
誰がセトに選ばれるか賭ける? と冗談交じりに言えば、ディオニージは疲れたように首を振っただけだった。
 




