2.薬と毒は紙一重
私が捕虜の男の面倒を見始めてから十日ほど。
敵国に、私たちのいる砦が奇襲された。
さもありなん。だって敵国の騎士団長を捕虜にしてるんだもんね。表向きは殺したってことになってるそうだけど、実際は生きている。どこから情報が漏れたのか……いや、漏らしたのかも。兵士たちの雰囲気が数日前からおかしかったし。
敵もまぁ、罠だと思っていながら奇襲をかけてくるなんて度胸あるよね。と、思いつつ。私はいつも通り捕虜の牢で、拷問されたての男の手当をしていた。
だって男の牢屋を掃除していた時に奇襲受けたんだもん。そしたら、拷問中だったらしい男が牢屋にポイされた。私、まだ牢屋の中。一緒に鍵を閉められた。なんてこった。
そんな私がどうやって奇襲を知ったかって? 男を運んできた兵士が、牢番の兵士に「イヴニングの奇襲だ! お前も出ろ!」って言ってるのを聞いたからだよ。あの、私も出して欲しかったな。
どうするかと考えるにしろ、私の目の前にはとりあえず怪我人がいるもんだから、まぁ手当だよね。なんかもう、捕虜の男も最後八つ当たり気味にされたのか、あちこちぐっちゃぐっちゃ。ぶっちゃけ、回復薬を使っても右手は後遺症が残りそうな感じだ。
その回復薬だって、今は私の手元にない。私専用の怪我用回復薬はあるけど、普通の人にとっては毒になる。こんなん使えないじゃんね。
奇襲の防衛に成功するにしろ、失敗するにしろ、今の状況下であるのは掃除用具だけ。怪我の手当なんて何もできない。濡れ雑巾を包帯代わりにしたら正気を疑われる。
今の私にできることは、目の前の人間から命が溢れるのを黙って見ているだけ。
「あーあ、短い人生だったなぁ」
これ、捕虜が死んだら私のせいになるんじゃない? 将軍もスパッと私の首を吹っ飛ばしそう。奇襲が成功して敵軍に見つかっても、同じ檻に入ってる敵の私は確実に首が胴体と分離するよね。確実にジ・エンド。
つい、ぼやいてしまったら、朦朧としていた男の首がわずかに動いた気がした。気のせい? まぁ、気のせいかな。気のせいにしとこ。
でも、まだ生きているなら、せめて何かしてあげたい。
うーん、と悩みながらポーチを覗く。
……私の持ってる薬で、優しく眠らせてあげることくらいはできるかなぁ。
「ごめんよ、捕虜さん。道具がないから、君の治療ができないんだ。そこで提案です。ここに眠り薬があります。これ飲んで寝てる? たぶん、痛くてつらいのは寝てる間にちょっとマシに……なるかも、ってくらいなんだけどさ」
ポーチから出した薬瓶を、男の目の前でぷらぷら揺らした。男の視線が薬瓶を追いかける。これはそうしてくれってこと? 飲ませて欲しいのか?
「飲む? 飲まない? ……身体動かせないか。なら、飲むなら一回、飲まないなら二回、ゆっくり瞬きして」
男の瞼が、ゆっくりと二回閉じられる。余計なおせっかいってか。
私は肩を竦めてポーチに薬瓶をしまう。
それからよくよく考えて、腰のポーチを外した。ベルトも外す。右手の怪我の止血くらいはできるかな。
改めてベルトを持って、捕虜の男へ近づいた時。
牢屋の内側の壁が吹っ飛んだ。
瓦礫が飛ぶ。私は慌てて捕虜の上に被さる。
瞬間、脇腹を丸太でぶん殴られたような衝撃。
私の身体が跳ぶ。鉄格子に叩きつけられる。
いた、い。
「よくもテメェ、俺らの団長をこんな目に遭わせてくれたなぁ……!」
「ガエン、やめなさい。子供ですよ」
「知るか! 子供だろうが、団長をこんなんにしたのは間違いねぇだろ! 殺す!」
「待ってください、団長が……え? まぁ、いいですが……」
人の声、二人分。
お腹も、背中も痛くて、視界が霞む。
あの捕虜、これよりもずっと痛い思いしたのに耐えてたのか。すごいな……。
「……わたしには、むり」
意識が落ちる寸前、牢屋をぶち破った男の腕が伸びたような気がした。
殺すなら、ひと思いにやってほしいな、なんて。
あつ、い。
喉がカラカラだ。腹が内臓から全て溶けてしまいそう。燃やされてる? 私の身体、燃やされてる?
あいつら、私を火炙りにでもしたのか。それぐらい、身体が熱い。
「薬が効かないだと!? どういうことだ!」
「文字通り、効かないのです。薬がよけいに怪我を悪化させています。打撲箇所に薬を塗ったら皮膚が溶け、火傷のような症状になる。それを治そうと回復薬をかけたら、このようなことに……!」
あ〜、なんとなく状況把握。
私の治療ができないんだ。
薬が効かない。
医学の進んでいないこの世界では、回復薬が一番の治療法。それが駄目ってことは手の打ちようもほとんどないに等しい。
怪我をした私を治療してくれるなんて優しいじゃないか。自国の人かな。班長とか? だとすると、どの口で博愛主義うんたら言ってたのか。
ぽやぽや熱い身体で思っていると、誰かが私の手を握ってくれる感触がした。
「死ぬな、死なないでくれ……! ここでお前が死んだら、後味が悪いだろうが!」
なんか怒られてる。そうは言ってもなぁ。
自分の身体の状態を考える。色々やらかしたあとみたいでしんどいんだよね。でもまぁ、生かしてくれる人が、生きてほしいと願う人がいるのなら。
――生きるんだ。君の本当のご両親もそう願っているはずだよ。
……養父の言葉を思い出しちゃったよ。
あーあ、のんきに死んでいられない気持ちになっちゃったじゃんか。
私は重たい瞼をなんとかこじ開ける。潤む視界の中で、黒い髪のシルエットを見つけて。
『おとうさん……』
「っ、気づいたか!」
待った、こんな元気な声のお父さん知らない。
私のお父さんは確かにガタイが良かったけど。大工だったからか、重い角材とか運ぶせいで上腕二頭筋とかムキムキだったけど。でも職人気質のせいか口数はめっちゃ少なくて、常にローテンションな話口調だった。
一瞬、幻視しちゃったけど、違うなってすぐに現実に帰る。私ってだいぶヤバいのか? 死にたくないなって思った瞬間にこれはだめだぁ。
とりあえず誰でもいいからさ。
「ぽーち……めも、ある」
「ポーチ? メモ? おい、誰か持って来い!」
そうそう、それでいいんだよ。
でも、誰も動こうとしない。
なんで?
「あの、団長……彼女のポーチですが、広義の意味で言えば毒薬ばかりで」
「毒薬?」
「それらしきメモも私どもが確認しましたが、毒薬の調合ばかりでした」
「……なんだと?」
あー……聞こえている。聞こえている。
薬ってさ、本当に紙一重。
君にとっての毒が、私にとっての薬になる。
こんなの言っても分からないよね、それが普通。
これは絶望的かなって思った時、団長と呼ばれた人が怒鳴った。……団長?
「いいから持って来い! 彼女は物資が少ない中で俺の治療をしてくれたんだ! お前たちにできんとは言わせんぞ……!」
一気に室内がざわつく気配がする。なんでこの人、必死に私を助けようとしてるんだろう。敵国の、ただ捕虜を助けただけの人間をさ。
「……………ゃん」
「何か言ったか。何をしてほしい」
顔を寄せられる。
馬鹿でしょ、この人。
だから私は思った通りに言ってやった。
「……、ばか、じゃん」
「このクソガキ……!」
ちょっと、全然別の方向から声が聞こえてきたよ。顔を動かすのも億劫だからそっちは見ないけどさ。あれだよね、この声、私を蹴り飛ばしやがったヤツだろ。敵だからって状況確認もなしに蹴り飛ばしたの許さないからな!
とはいえ、反論する元気なんてない。スルーしてやろうと思っていると、顔を寄せていた元捕虜の男は泣きそうな顔で笑った。
それから、ぽんっと優しく私の頭を撫でる。
は?
「そうだな、馬鹿だな。だが、お前も大概馬鹿だよ」
……なんで私が慰められてるんだ?
分からない、この男がどうしたいのかが分からない。
男の真意を探りたくても、身体がしんどい今は無理。いやもう、ほんとなんなのこの男。
悶々というか、そわそわというか。落ち着かない気持ちでいるうちに、私の荷物が届いた。
私はなんとかポーチの中に入っているだろうメモを読んでもらう。そこには私が書いた、私専用薬剤の調合法がある。
案の定、医師っぽい人たちが騒ぎ出した。
「やはり毒薬の製法です! これでは怪我を悪化させるだけです!」
普通に見えたらおかしいよね。薬師として学んだ今なら私でも分かる。私にとっての薬は、この世界の人にとって毒にもほどがある。
だけどこのままじゃ、ますます衰弱して死んでいくんだろうな。自分の命がさらさらと風化していくのがなんとなく分かる。
だからさ。
自分の命を掬えるのは、自分だけなんだよ。
私は重たい身体をなんとか動かして、上体を起こした。腕、震える。腹筋が死ぬほど痛い。頭グラグラする。
「待て、起きては……!」
「ぽーち、薬。君に、飲ませた……眠る、ヤツ」
ぜぇぜぇと肩で息をしながら、なんとかそれだけ言う。頂戴、というように手を差し出せば、男の顔がくしゃりと歪んで。
「死ぬ気か……!」
全っ然、そんなつもりないですけど? なんでそんな悲痛そうな顔をするのさ。
見たほうが早いんだってば。早く寄こせ。
男をじっと見上げていれば、彼は唇を噛み締めながら私に薬瓶を手渡してくれた。それで良し。
だけどここからが難関。身体がしんどすぎて、腕が上がらない。発熱がひどいのかな。やばい、腹の怪我が痛すぎて、起きてるのがつらい。
ふらっと倒れて、ベッドに逆戻りしかけた私の身体を、男が支える。
それから一度渡してくれた薬瓶を取り上げて、自分でぐいっとあおいだ。
あ、と思ったら、男の顔が降ってくる。
私の唇と触れて、薬剤の味が流れてくる。ねっとり甘い、苺味。
全部飲んだかな、と思ったあたりで、男の身体から力が抜ける。え、待って、やめて、傷に響くー!
「団長!」
「何しやがった!」
部下らしい人たちが倒れ込む寸前の男の襟首を掴んで、なんとか倒れ込むことは防いでもらった。だけど、私への敵意がマシマシになる。
私は目を瞑って三十数えた。オッケー、栄養ドリンクはよく聞いている。まぁ、栄養ドリンク……というより、エナジードリンクなんだけど。これが効いているうちは、多少の無理ができる。
「これ、私の、栄養剤みたいなもの。ちょっとだけ元気になる。だけど君たちにとっては眠り薬になる。そういう体質なんだ。……私には、君たちの薬が使えない。だから自分で調合させて」
「何を……!」
「じゃあ殺せばいい。君なら簡単でしょ。私はただの治療兵だから大した情報も持っていない。足の悪い養父の代わりに戦場に来ただけだ。なんで連れてきたのか知らないけど、私に捕虜の価値はないでしょ」
ね? と、一番血気盛んな奴へと視線を向ける。
さっきから反発心ばっかりの、私を絶対に殺したいマン。赤毛の男の子だった。歳はまだ十五、六? 戦場にいるくらいだから成人してると思ってたのに、だいぶ若く見える。……まぁ、若いと言えば、見た目年齢十二歳の私も年齢不相応な歳なんだけどさ。でも言わせろ、お前のほうが明らかにクソガキだ!
じっと赤毛の少年を見ていれば、彼の肩を引いて金髪の人が歩み出る。こっちは私と同じくらい? 物腰が柔らかい。優雅、って言えばいいのかな。こんなむさ苦しい部屋の中で、私よりよっぽど紅一点って言葉が似合いそうな綺麗な顔立ちをしている。
「貴方はあの陣営で博愛主義と呼ばれていたそうですね」
「……別に。私は薬師だから、目の前に怪我人がいたら誰であろうと助けるだけじゃん」
「だから団長を助けたと?」
「まぁ、そんなところ。誰も助けようとしなかったし」
「……ドミニクの報告と一致しますね」
ん? ドミニク?
聞いたことがある名前だな、って思っていたら、金髪の青年は私の膝の上にポーチを乗せてくれる。
「薬の効き目が違う、というのも正直信じられませんが……団長とドミニクの人を見る目を信じましょうか」
私を信じないけど、私を信用しているらしい人を信じるってか。まぁ、無難か。あとやっぱりドミニクってドミニク班長のことですか? あの人、スパイだったのか。
まぁ、どうでもいいけど。ポーチが戻ってきたから、身体が動くうちにできることをやってしまおう。
私はさっきうっすら聞いた自分の症状を思い出す。
打撲を治そうと薬を塗ったら、火傷のような症状になった。うん、だろうね。私にも身に覚えがありすぎる。
私はポーチを漁ると、私専用の塗り薬を取り出した。
他の人は絶対に触っちゃいけないぞ。なんたって、間違いなくかぶれるんで。