10.さーあー、おーどーりーまーしょー
お父さんは本当に忙しいらしい。
長く騎士団を開けていられないそうで、数日後にはまた王都に戻っていった。
私はフェデーレの助言でお散歩して体力向上を目指しつつ、薬草を育てたり、薬師試験に向けて勉強をしたりして過ごした。
三ヶ月後、フェデーレは四級薬師試験にあっさり合格。勉強してるとこ見たことないよって言ったら、「これ読んだから」って言ってすっごい字の汚い四級薬師試験向け参考書の写本を渡された。一回読んだら忘れないって、ずるいと思う。私、毎日コツコツ勉強してるのに。
とはいえ、本当なら薬師試験なんてやってる暇が無いくらい、フェデーレは忙しそうだった。
領主館の仕事がてんてこ舞いらしい。フェデーレのもとにひっきりなしに人が来る。フェデーレは手慣れているようで颯爽とそれらを捌いていた。すごくかっこいい。なんだかんだ言ってもうすぐ四十。こうやって人に囲まれているのを見ると有能だし、貫禄があるように見える。
……と、まぁ、こんな感じでフェデーレも忙しそうなので、私はたいてい一人で過ごしている。庭か、自室か、領主館の図書室か。そこが私のテリトリー。
図書室は執務官の人たちも出入りするから、私はだいたい本を借りて自室で読む。今も一冊読み終わった。他に借りていた本も読み終わったし、返しに行こうかな。
そう思って本を抱えたところで、扉がノックされる。
「はーい、どうぞ」
「……誰何くらいしろよ」
「あ、ガエン」
入ってきたのはしかめっ面のガエンだった。王都のパレード以来かな。しばらくぶりだ。今日もトレードマークの赤い髪が鮮やかだ。
「どうしたの? 領主館はあっちだけど。迷子?」
「迷子じゃねぇよ! 団長の使いだよ!」
がおうっと吠える勢いで、眼の前にバッと何かを押しつけられた。これは。
「お花だ」
「……団長からだ」
「お父さんから? 嬉しい!」
にこにこ笑って受け取ると、ますますガエンは不機嫌そうに口をへの字にした。なんだろう? 何かいけ好かないこと言っちゃった?
「どうしたの? 何か言いたいことある?」
「……俺はねぇけど……ねぇ、つもりだけど。ドミニクさんが……」
「ドミニクさんが?」
「っ、くっそ、謝れって言われたんだよ! 最初の! お前を殴った時のこと!」
「ガエンが私を殴った?」
私は首を傾げる。
はて、そんなことあったっけ?
「捕虜になった団長を助けに行った時、お前を蹴り飛ばしたのがバレたんだよ。だから、謝りに来た」
「捕虜? お父さんが捕虜? そんなことあったっけ」
「は?」
ガエンの目が丸くなる。おお、珍しい表情だ。私の前だといつも顰めっ面なのに。驚いた顔になると、幼く見えるね。
でもその表情もすぐに引っ込められて、いつもの顰めっ面になった。
「お前、おちょくってんのか」
「え、なんで。おちょくる要素あった?」
「捕虜だった団長を治療したのはお前だろ」
「お父さんの治療なんてした……?」
疑問符を浮かべると、ガエンがまた表情を崩す。今度は困惑した表情だ。
心当たりがまるでなくて、私も混乱する。
捕虜、私が捕虜を治療したといったら、黒髪の騎士しかいなくて――。
ずきん、と頭が痛む。
思わず頭を抑えて呻いてしまった。
「どうした、気分が悪いのか?」
「う、ん。頭が、痛くて」
「まだ本調子じゃねぇのかよ! だったら寝てろよな!」
「えっ、わっ!?」
ガエンは舌打ちすると、私の膝裏に腕を差し入れ、ぐいっと横抱きにしてしまった! 私がびっくりしている間にも、ずんずんと部屋の中を突っ切ってベッドに放り込まれる。
「わぷ」
「薬は」
「へ?」
「く、す、り! お前、普通の薬じゃ治らねぇんだろ」
むっすりとしたガエンが怒るように言う。
私はちょっと呆気にとられた。これ、心配してるのか……?
ガエンにテーブルにある水差しを取ってもらって、私はヘッドボードにしまってある常備薬の包を一つ取り出した。ちょっと苦い粉薬。コップを受け取って一気に飲む。ぬるいけど、水のおかげでちょっとだけ頭痛が薄れたような気もする。
「ガエン、ありがとう」
「病人は寝ろ」
持ってた花束を取られて、まだ水の入ってたコップに入れられた。え、花瓶の代わりなの? まぁ、いいんだけど。
「ガエン、眠れない」
「寝ろよ」
「いや、そんなガンつけられたら眠れないと思う」
椅子にどっしり座ったガエンが、私を凝視してくる。そんなに熱い視線向けられたら、ちょっと眠れませんね。
それに寝ろって言われても、最近はよく寝てるから、寝ようと思っても寝れるような気分でもない。
「あ、そうだ」
「おい、ベッドから出るんじゃねぇ」
「出ない、出ない。それとって?」
私はテーブルに雑に置かれた薬包紙を指さした。
ガエンは眉間に皺を寄せながら、その薬包紙を手渡してくれる。
「薬は飲んだろ」
「うん。だからさ、こうして、こう……」
薬包紙をぱたぱたと折りたたんでいく。ひと口チョコレートの包装でもこうやって遊んだな、って思い出す。フェデーレには紙がもったいないって怒られたけど。
私の手元を覗いていたガエンの目が怪訝そう。
だけど、ほら。
私は薬包紙でできた鶴の羽を広げてみせた。
その瞬間のガエンの表情ったら。
「すげぇ! 鳥じゃん!」
「私の故郷の鳥さ。鶴っていうの」
「へぇ、すげぇ……えー、すごいな、これ!」
ガエンの語彙力が絶滅した。すごいすごいしか言わなくなった。私は得意げになって胸を張る。
「欲しいならあげるよ。ベッドまで運んでくれたお礼」
「いいのか? え、こんなすごいのもらっていいのか?」
「紙があればいくらでも作れるから」
「……他にも作れるのか?」
「うん」
「わかった」
え、何が分かったの?
「ちょっと紙もってくるから、待ってろ」
「へ?」
そう言うなり、ガエンは部屋を飛び出していった。
えぇ〜、唐突〜。
でも手持ち無沙汰だし、ベッドに入れられてしまったし。
暇を持て余して天井を見上げていたら、ガエンは颯爽と戻ってきた。
「いらない紙もってきたぞ!」
「はっや」
どこまで貰いに行ったんだろ。紙は希少だから、この離れにはあんまりないはずなのに。
そう思いながら紙を見てみたら、書き損じた書類各種だった。これ、ガエンの仕事の報告書では……?
「え、これで折り紙するの……?」
「駄目か? 俺が自由に使える紙ってこれくらいなんだけど」
「いやまぁ、君がそれでいいならいいんだけどさ……」
なんていうか、ちょっと複雑な気持ちになる。さすがの私も過去、教科書とか必死に書き込んだ勉強ノートで折り紙しようなんて思ったことないなぁ。
まぁいいや。書き損じなら燃やすだけだから、有効活用させてもらおう
「何作ろうかなぁ。どんなのがいい?」
「かっこいいやつとか面白いのがいい」
かっこいいのとか面白いの?
言ってることが小学生男子と変わらないなぁ。
なんだかちょっとほっこりする。ガエンって何歳だっけ。十五くらいだって聞いた気がする。中学生くらい? 中学生くらいの子が折り紙見て目をきらきらさせてるの、なんだか可愛い。いつもは悪態つくのに。
私はそれなら、と手裏剣を折ってみた。男子はみんな手裏剣好きだよね。
「すげぇ、なんだこの形!」
「手裏剣って言って、私の故郷の武器」
「へぇ。どう使うんだ」
「投げて使うんだよ」
言った瞬間、ガエンが投げた。シュッと飛んだけど、ぺたんって床に落ちる。
「こんなんじゃ敵一人やれねぇぞ」
「……紙のおもちゃだもん。本物は鉄でできてたはず」
本物の武器だと思ったの? 残念、おもちゃです。
「それに飛ばすんだったらこっちのほうが楽しいかな」
「今度はなんだ!」
「紙ヒコーキ。ほら」
簡単に折った紙ヒコーキを、ベッドの上からすいっと飛ばす。ヒコーキはふよふよと飛んで、部屋の端っこ近くまで飛んだ。
久しぶりに折ったけど、腕は落ちてないな。私、紙ヒコーキ飛ばすの、得意だったんだよね。
「すげぇな、これいいな。俺も作りたい!」
「いいよー。紙ヒコーキなら作り方簡単だし、自分で色々工夫もできるから、楽しいと思う」
「工夫って?」
「こうやって……」
私はいくつかの紙ヒコーキを折ってみた。形がどれも違う。実際に飛ばして見せれば飛距離が違ったり、飛び方が違ったり。ガエンの目がますます輝いた。
「おー! これ楽しいな。よし、すっげぇ飛ぶやつ作ってやろ」
ニシシと笑うガエン。楽しそうで何よりだ。
ガエンが紙ヒコーキをせっせと作り始めたので、その隣で私は他にも色々と折ってみる。やっこさんに、ハカマを着せてお人形さん。ピアノやおうち、箱、風船。それから、それから。
思い出せる限り色んなものを折ってみる。
まだ、覚えている。
ちゃんと覚えている。
日本のこと、ちゃんと覚えていた。
私はそのことが嬉しくて、夢中で折り紙をする。
「……セトはすごいな。弱っちいと思ってたけど、こんな面白いことを知ってるなんて」
紙ヒコーキを飛ばしながら、ガエンが言う。
私は折り紙から顔を上げた。
「子供の頃さ、遊ぼうぜって言っても、かけっこと騎士ごっこくらいしかしたことねぇの。こんな面白いの知ってたら、もっと楽しかっただろうなー」
ふと、思った。
この世界の子供って、成人が早い。十五歳で成人だ。日本だったら二十歳で成人になるのに。中学校を卒業したら、この世界の子供はもう大人なんだ。
私からしたら、ガエンもまだ子供に見える。高校生くらいなら尚更だ。日本だったらまだ学生だもん。私はその時間を過ごせなかったけどさ。
中学生って、高校生って、私からしたらお姉さん、お兄さんだった。セーラー服は可愛かったし、ネクタイをしていた高校の制服はかっこよかった。
今のガエンを見ていると、ちょっと身体が大きいだけの、やんちゃな子供っぽい。でも、仕事の時はちゃんと大人に混じっても違和感がない。不思議だなって、すごいなって、思う。
成人が早いから、この世界の子供たちは駆け足で大人になっていくのかもしれない。だから、遊び方を知らないのかも。
私はちょいちょいとガエンを手招きした。
ガエンは紙ヒコーキを飛ばすのをやめて、私の近くに寄ってきた。私はにっこり笑う。
「じゃあ、もう一つ面白い遊びを教えてあげる。これは二人じゃないとできない遊び」
「へぇ?」
「手遊びだよ。歌を歌いながら、音に合わせてこうやって両手を合わせていくの。同じ歌でも、難易度があってね……」
私はコヤギの上で踊る、手遊び歌を教えてあげる。
らーららら、らららら、らーらら、ららら。
リズムに合わせて手を動かす。簡単なものから難しいものまで順繰りにやってみる。
日本語で歌っていたら、ガエンが呆れたように私を見た。
「お前、隠す気ねぇな」
「何が?」
「いや、別に。その歌、どんな意味?」
歌詞の意味を聞かれたので、教えてあげる。
するとガエンの表情がますます呆れたものになって。
「子山羊の上は可哀想だろ。違うんじゃないのか?」
「えー?」
言われてみると、コヤギの上でダンスするのは可哀想な気がする。え、私ってば歌詞を間違えたまま生きてきたってこと? えぇ?
確かめたい。確かめたいけど、確かめる手段がない。
確かめられないことがすごく悲しい。私はこの手遊び歌をする時は、ずっとコヤギの上で踊り続けるのか……。
なんだかしょんもりした気持ちになって、ずぅんと肩を落としていれば、ガエンがひと際大きな声で私を励ました。
「いやまぁ、お前の故郷の歌だしな! 間違ってるわけねーよな! 変なこと言った、ごめん!」
「ううん、もう十年経つもん。小さい頃の話だし、間違って覚えてるかもしれないのは仕方ないさ。あーあ、なんか寂しい」
はぁ、とため息をつくと、ガエンがそれなら、と言う。
「俺が覚えてやる。こういう遊びなら大歓迎だし、一緒にやってやるよ」
胸を張って大真面目な表情で言い切ったガエン。
それに私は、なんだか笑えちゃって。
「あは、いいよ。ガエンだって忙しいでしょ」
「息抜きだ、息抜き!」
「必死〜。まぁいいよ。ガエンが飽きるまで私と遊んでよ」
約束ね、と小指を差し出した。
ガエンはきょとんとする。
「なんだこれ」
「約束のおまじない」
私はそう言って、指切りげんまんをする。
ガエンはまたまた首を傾げた。
「意味は?」
「嘘ついたら針を千本飲ませるから破るなよっていう歌」
「お前の故郷物騒すぎないか!?」
ぎょっとしたガエンが面白くて、私は久々に大笑いした。




