1.少年治療兵と敵国の捕虜
花と草の香りが遠い。
汗くさい、泥くさい、血なまぐさい。
これが戦場。
もうすっかり鼻に馴染んだや。
「治療兵! 負傷者三名!」
「そこに寝かせろ! おい、手空いているやついるか!?」
「私行くよ!」
「セトか! よし行け! あと二人、誰か!」
むさ苦しい、大きな体の男たちの隙間を縫うように、救護テントの中を駆け回る。
髪はぼさぼさ、風呂だって何日も入っていない。食糧の配給も絞られているからお腹も空いて、ただでさえ小さい体がさらにちっこく見えてしまう。
養父が見たら、卒倒しそうだ。
そう思いながらも、私はここに運ばれてくる怪我人のために駆け回る。
養父は、この世界では死が近いものだと言っていた。そういう社会から追い出されて暮らしていた養父だったけれど、彼が言っていた意味が今ならよく分かる気がする。
さぁ、怪我人のところにたどり着いた。
思考を切り替えろ。
新しい怪我人を前に自分がするべきことを算段づける。
患部を見つける。脇腹だ。剣で抉るように斬られたな。鎧を剥ぐ。服だって剥ぐ。現れた患部に、容赦なく消毒用の薬液をかける。
「ぐっ、う……!?」
「耐えなよ。生きたいなら耐えるんだ。そう、いい子。大丈夫。いたいの、いたいの、とんでいけ」
よし。第一段階、おっけー。
私はもう一つの瓶を手に取ると、今度はそれを容赦なく傷口にかけた。
「う、あああっ」
回復薬と呼ばれる万能の薬液は、傷を修復する際に細胞が活性化する刺激でものすごく痛む。小さな傷なら平気だけど、脇腹を抉られたようなこの傷じゃ、すごく痛いと思う。
それに、消毒をしないと傷口に侵入したばい菌まで活性化することもあるんだとか。
回復薬を使った二次被害には気をつけるように養父に教わったから、消毒の手順は省けない。
二度も痛くして申し訳ないけど、生きるためだから頑張って。
傷口が塞がったので、包帯はいらない。
よし、次の患者へ。
ここじゃ時間の流れは目まぐるしい。
助けて、助けて、交代で休憩をして、また助けて。
何が楽しくて、こんなことをやっているんだろう。
別に来たくて来たわけじゃないからね。ただ、私が来ないと足の悪い養父が連れて行かれそうだったからだ。愚痴は溜まりに溜まってる。言えば、愛国主義者の野郎どもに袋叩きにされるから言わないけど。
額から落ちる汗を拭く。
次の負傷者は――
「おい、誰かこいつの面倒を見ておけ」
上から目線の偉そうな声。
この戦争を扇動している将軍の声じゃなかったっけ。
聞き覚えのある声だなって思っている間にも、救護テントの入り口がざわめく。
私もたまたま近くにいたから、一瞬だけ顔を上げた。
そう、一瞬だけ。
そのつもり、だったけど。
「……おとう、さん?」
護送車の中に鎖で繋がれているのは、短く刈った黒髪の大男。
血だらけで、生きているのか死んでいるのか分からないくらい、ピクリともしない。
「あの人、誰?」
「敵軍の騎士団長だと。あんなんでよく生きているな。あれを囮に、敵軍をおびき寄せるらしい」
だから治療をしろってか。
ほんとうになんて胸糞の悪い世界にやってきたんだろう。こう思うのは何回目? そりゃ養父も隠居したくなるよね。
誰もやりたがらない、敵国の捕虜の治療。それもそうだ。ここにある薬は全部、この国の兵士たちのためにあるんだからさ。
それなら、と手を挙げる。
「私にやらせてください」
「お前は」
「ドミニク治療班のセトです」
「ドミニク!」
ドミニク班長が呼び立てられる。
将軍から詳細を伺ったのか、捕虜の入っている檻の鍵を渡されていた。
将軍が去ったあと、ドミニク班長にちょいちょいと指でこっちに来いされた。仕事に戻っていく治療師に逆らって、私は救護テントの入り口に向かう。
「ったく、なんで自分から立候補した」
「理由いります? あえて言うなら、父親に似てるからですかね。まぁ、よく見たら全然似てませんけど」
ぴっと自分の頭を指差した。私の髪は黒色で、あの捕虜も黒色。金髪とか茶髪の、色素の薄いこの国の人たちからしたら珍しいカラーリングだ。
だからシンパシーを感じたって言ってやれば納得するかな、なんて。
ドミニク班長はそっか、とだけ言うと私に鍵を渡してきた。
「砦の地下牢の鍵だ。施術はお前の独断で良い。専属でやっていい。物資が欲しければ俺に言え」
「はい」
「博愛主義もほどほどにな」
博愛主義ねぇ。
私のコレが博愛主義に見えるなら世が末の証拠か、養父の育て方がとても良かったのかのどちらかだと思う。たぶん後者。
まぁいいや。それよりも怪我人、怪我人。
私は護送車の後を追いかけた。
私は十年前にこの世界に落ちてきた。
文字通りに落ちた。
その日は小学校の卒業式だった。
慣れ親しんだ校舎に別れを告げて、桜の木の下で友達と卒業証書を持って写真を撮って。
中学が分かれちゃう子とまた会おうねって約束して。
お父さんとお母さんが卒業おめでとうって笑ってくれて。
じゃあ、最後に校門のところで写真を撮ろうかって言ってくれて。
校門の境界を踏んだと思った瞬間、そこに地面はなくて。
びっくりして声も出なかった。
お父さんとお母さんを振り返ろうとした瞬間、身体が何処かに落ちる感覚がして、そのまま体勢が崩れた私は肩をひどく打ちつける形でとある家の屋根に叩きつけられた。
びっくりしたのは私が落ちた家の主も一緒。
まだ若いのに足を悪くして隠居していたというその人は、屋根に落ちてきた私をなんとか助けてくれて、保護してくれた。
保護してくれた人はとても優しくて、ものしりだった。
言葉の通じない私に根気よく言葉を教えてくれた。
言葉を知っていく中で、最初は外国なのかな、って思うようにしていた私だったけど、そのうちにここは日本どころか地球でもないってことを理解した。
この世界には『天降り』という不思議な伝説があるらしい。
天降りは天からの贈り物。地上に遣わされた神様の息子を慰めるために降ってくるものだとか。
天降りの贈り物は物だけじゃない。たまに私のように人が落ちてくることもあるんだって。そういう人を『天降り人』って呼ぶ。保護してくれた人が教えてくれた。
天降り人は生きる伝説だ。
保護してくれた人は、誰にも知られないようにときつく私に言い聞かせた。知られたら誘拐されたり、怖い目にあうかもしれないから、と。
そうして私は保護してくれた人を養父と呼び、暮らすようになった。
養父はすごく頭の良い人で、この国の皇帝の下で働いていたらしい。皇帝。日本にはなかった存在で、聞いた時はちょっとびっくりしたよね。
で、その皇帝陛下に嫌われて、仕事も首にされたのだとか。片足はその頃に事故で怪我をして、それ以来、杖がないと歩けなくなってしまったらしい。
で、そんな養父に育てられた私だけど、一つだけ問題があった。
それが私の体質。
何年経っても、成長しない。
最初に気がついたのは養父だった。
私は卒業式だからって美容院で気合をいれてもらうため、顎くらいまでのショートカットにしてもらっていた。で、最初、男の子と間違われた。この世界じゃ、女の子は髪が長いものだから。
養父は女の子だから、私に髪を伸ばしてもらう心積もりだったらしい。だから、半年経っても伸びない髪に気がついた。
そこから身長とか、爪とか、とにかく成長するものは全部記録をとった。もちろん胸も。ぜんっぜん、成長しなかった!
さらに困ったことに、体調を崩せばこの世界の薬が上手く効かない仕様。風邪をひいて解熱剤を飲んでも効かないし、切り傷に消毒液をかけたら悪化して痕になる。打撲に湿布を貼れば火傷を負う。
私にあう薬がないから、養父は健康で丈夫な身体づくりをするように口を酸っぱくして言ってきた。
それでも駄目なときのために、養父は私に知識を与えてくれた。
「君にあう薬がここにはない。なら、君が薬師になれば良いと思うよ」
そのついでとばかりに、一緒になって養父は薬師の勉強をしてくれて。
二人で仲良く、薬師デビュー。まぁ、ちゃんとした資格は養父しかとれなかったんだけどさ。
養父が隠居していたド田舎の村で、私たちは医者の代わりに村人たちを診る生活をしていた。
だけど、穏やかな時間は束の間で。
薬師として村人たちからの信頼も得られるようになった頃、隣国との戦争が始まった。
戦争の理由は私にとってはどうでもいい。
ただ、国境に近い私たちの村にも徴兵がかかっただけ。
養父にも兵役につくようお達しが来た。
でも足の悪い彼が戦場でまともに働けるわけがない。
徴兵にきた男と揉める養父が見ていられなくて、私が立候補した。
もちろん養父は大反対。だけど、養父に一服盛って家を出た。ま、これも恩返しということで。
薬師ということと、体格があまりにも兵士に向かないということで、私は治療班に割り振られた。
で、今ここ。
牢屋に入れられた敵国の捕虜を治療中。
黒い髪がなんとなく、本当のお父さんを彷彿とさせたから、つい立候補しちゃったよね。
捕虜を治療するということは、死なせないということ。
死なせてはいけないけど、生かしすぎてもよくない。
あくまでも生殺与奪の権利をこちらが握っていることを忘れさせるな。……って、この捕虜を連れてきた兵士が私に言い捨てた。
でも知るか。
私にとってはどれも尊い命だ。
私は捕虜の男に向き合う。
薬師として、自分に何が効いて、何が効かないか。たくさん調べた。養父が一緒になって勉強してくれるから、それらが普通の人にとってどんな効果をもたらすのかもよく学んだ。
私はポシェットに隠していた、秘蔵の薬液を取り出す。
これは私専用の薬液。でもこの薬液の成分を知っているからこそ、普通の人にも使えるように調薬もできる。
「水と包帯だけで済むような手当じゃないんだよ」
捕虜の怪我は、縫合するべき深さだった。
傷が深すぎる。回復薬は使えないと判断。この戦場じゃ、回復薬での治療が主流だ。回復薬が使えない人間は見殺しにされていく。この軍治療兵とは名ばかりで、そのほとんどが回復薬の調合だったり。
ポシェットには念の為に持っていた針と糸がある。針は火で炙って消毒するけど、傷口自体の消毒が水だけでは心もとない。
何より、怪我人の身体への負担が大きかった。わずかにでも意識があれば、苦しいだけ。
それなら眠らせておくべきだよねってことで。
私にとっては栄養ドリンク、だけど普通の人にとっては眠り薬になる薬液を取り出して布に染み込ませる。
布を噛ませようとした時、朦朧とした意識の男と目があった。
ぞくりと背筋に冷たいものが走る。
……動けないはずなのに、生きているのがやっとのはずなのに。
獰猛な獣のように、私こそが狙われている獲物になったかのような錯覚が生まれる。
「……死にたくないなら、威嚇するな」
なんとか絞り出せた言葉と一緒に、睡眠薬を染み込ませた布を男の口に突っ込んだ。男の首ががくりと落ちる。
よし、これで治療に専念できる。
私は腰のポーチから救急セットを取り出した。縫合用の針と糸もある。
まずは内蔵にだけ回復薬をかける。身体に負担がかかるけど、内臓の傷は私じゃどうにもできないからね。これくらいなら捕虜の体力も保つはず。針は炙って、糸を消毒して。表皮を縫って傷を防ぐ。
傷口はこまめに消毒しないと膿むから気をつけないと。
ようやく治療が終わった私はほっとした。
ほっとしたのも束の間。
そこからは、私と、将軍と、捕虜の我慢比べだった。
私は捕虜を治療する、捕虜はだんまり、将軍は捕虜を拷問する。それをまた私が治療。
「いい加減にしてくれないかなぁ……! 薬だって無限にはないんだからさっ」
また拷問されて失神した捕虜の男が牢屋に運ばれてきた。何回目だよこれ。
ぐったりする男の気道を確保しながら、傷口を消毒し、包帯を巻く。私はその間も文句の言葉が止まらない。
「ほんと、この世界の人って馬鹿ばっか。戦争なんてしてもお腹は膨れないんだからさ。畑耕してるほうが建設的じゃん」
捕虜として捕まったばかりの時は、逞しい身体つきだったのに。この一週間ほどの拷問でみるみるうちに身体から生気が抜けていくのが手に取るように分かってしまった。身体は大きくても、生気がなければ人は小さく感じるんだなって初めて知る。
本当はこんな仕事、もう嫌だった。私の治療一つでこの人は今にでも死んでしまいそうなのが怖い。
だけど、そうも言ってられないからさ。
「死にたいんなら拷問中に死んでよね。ここに戻ってきたら、何が何でも生かされるんだからさ」
ぼやいていたら、ふと男の表情が動いた気がした。
笑ってる……?
淡く、ほんとうに淡く、笑っているように感じられた。
「私の話に何か面白いものあった? ないでしょ。はい、これ食べて。吐いてでも食べて。胃の中空っぽじゃ、明日本当に死ぬかもよ。大丈夫、内臓が破けても回復薬で治してやるから」
治療が終わった男の口に、どろっどろになるまで配給のスープでふやかしたパンくずをいれてやる。
お腹いっぱいにはしてやれないけど、食わしてやらないと本当に死ぬ。この捕虜にとって、衰弱は一番の敵だ。食いたくなくても無理やり食わす。
ほら食べて、と匙を口につっこめば、男はまた笑った気がした。