14 牢獄の中で
ミランダは神秘的な風景に見惚れてしばし立ち止まったが、ルシアンはミランダの気配に気づいてこちらを振り返った。
「ミランダ。こんな深夜に目が覚めてしまったのか?」
「はい。海の旅に気持ちが昂っているみたいで。ルシアン様こそ、眠れませんでしたか?」
ミランダがルシアンに近づくと、夜空の中で黄金色の瞳が宝石のように煌めいていた。
「綺麗……」
思わず呟くミランダの隣でルシアンは三日月を見上げた。
「ああ。海の上で見る月は格別に美しいな」
ルシアンはミランダの肩を抱いて、自分が肩に掛けていたマントの中に引き寄せた。
「海風が寒くないか?」
「はい。ルシアン様が温かいので」
ミランダは幸せな気持ちでルシアンの胸に頭を預け、一緒に月を眺めた。しばらく波の音に耳をすませていたが、ミランダはそっとルシアンを見上げた。
「あの……ルシアン様。ガレナ王国のためとはいえ、無理に旅行にお誘いしてごめんなさい」
「無理ではないぞ。新婚旅行ではないか」
「でも、船に会いたくない人が乗っていないか、不安な気持ちにさせてしまったのではないかと」
「ああ……」
ルシアンはミランダの申し訳なさそうな顔を見下ろして微笑むと、海へと視線を戻した。
「幼い頃、ユークレイス王国の地下牢で見た顔に似ている奴が船内にいたのでな」
ミランダは驚いて体を硬直させた。
その変化に気づいて、ルシアンは優しく肩を抱いた。
「だがきっと他人の空似だろう。あれから十年以上経っているから、当時覚えた顔も年をとっているはずだ」
「ほ、本当に? 地下牢ってことは……その人は兵士ですか?」
ミランダは自身が投獄されていた牢獄を思い出した。酷い環境の中で兵士に監視されていた日々を。
「いや。ユークレイス王国の宰相の派閥の一人だ。俺は王城の牢獄に投獄されて奴らに拷問を受けていたからな」
「ご、拷問?」
「ああ。俺の体液の治癒力を見ただろう? 罰と称して血を抜かれ続けたのだ。年老いた宰相どもにとっては万能薬だっただろうからな」
ミランダはグラリと視界が回って倒れそうになり、ルシアンは慌てて腰を支えた。
「ミランダ! 大丈夫か? すまない。怖い話をしてしまったな」
「そ、そんな……血を? 幼い子どもになんて酷いことを!」
「俺は王と王妃の間に生まれた第一子だったが、異形だった。ユークレイス人の純血を王族の証とし、竜族の根絶を目指す派閥にとって、俺は合法的に抹殺できる対象だったのだ」
「ルシアン様は……ユークレイス王国の王太子だったのですね?」
ミランダは涙が溢れた。国を継ぐはずの王子が竜族の血を持って生まれたという理由だけでここまで酷い仕打ちを受けるとは、あまりに理不尽だった。
ルシアンは唇を歪ませて皮肉っぽく笑った。
「王太子だったのはほんの数年だけだ。角が目立つ頃には不吉と滅亡の象徴として投獄されたからな。王と王妃も竜族の血を恐れて、俺には触れなかった」
ミランダはルシアンに抱きついて、悲しみに打ちひしがれて止めどなく涙を流した。ルシアンはまるで慰める側のようにミランダの髪を撫でている。
「宰相の派閥に反発する有志達が死にかけた俺を牢獄から逃し、竜王城に預けた。今こうして生きているのは奇跡かもしれないな」
「うっ、うっ、ルシアン様、ごめんなさい」
ミランダはルシアンの辛い過去を知って、これだけ残酷な仕打ちがこの世にあるのだと想像に及ばなかった自分が、ひどく脳天気に思えた。自分が人間であることさえ恥のように感じていた。
「何故ミランダが謝るのだ」
「だ、だって……」
「俺は自分を虐げた者に会うことに恐怖して隠れたわけではないぞ。未熟者である自分が怒りで嵐を起こさないように、力をコントロールしていただけだ。船が沈没してしまうからな」
ミランダは荒れ狂う海に飲まれる船を想像して身震いした。
泣いたり震えたりするミランダの華奢な身体を、ルシアンは強く抱き締めた。
「すまない。せっかくの新婚旅行なのに嫌な話をしてしまった。だが俺はもう、ミランダに何も隠したくないのだ。俺の暗澹たる過去も恥も、未熟さもすべて」
ミランダはルシアンの胸に埋めていた顔を毅然と上に向けた。きっと号泣した涙と鼻水で酷い顔だろう。だけどルシアンの目を見ずにはいられなかった。
「私は竜王の花嫁です。竜王様のすべてを知りたいです。すべてを知って愛して……少しでも癒すことができるのなら、私は自分のすべてを貴方に捧げたい」
心からの訴えをルシアンは受け止めて、苦しそうな泣き顔をした。いつものように気取って繕うことなく瞳を潤ませて、少年のように無垢な声を絞り出していた。
「ありがとう。ミランダ」