9 竜王様の秘密
「ミランダ!!」
強く願って幻が現れたのか、ルシアンの声が聞こえ、ミランダの頭上に影が落ちた。
泣きながら朦朧と頭を上げると、切羽詰まった顔のルシアンが自分を覆うように蹲み込み、両肩を支えていた。
ミランダは頬も服も血だらけで、ルシアンは血の付いた箇所を目で追って叫んだ。
「どこを怪我している!? 顔……腕か!?」
「あ、あう……ゆ、指ですぅ」
ミランダは出血が止まらない左の人差し指をルシアンの目の前に翳して見せた。
ルシアンはすぐに両手で左手を支え、さらに切り傷のある指を自分の口の中に咥えると、舌で傷に触れた。
「!?」
ミランダは驚きと同時に背中を震わせた。
滑らかで温かい舌が、傷口を塞いで包んでいる。ルシアンは目を瞑って何かに集中するようにゆっくりと、口内の指を優しく舐めた。
ミランダは痛みも恐怖も吹っ飛んで、不謹慎にも快感に似た昂りを感じていた。
「あああ、お、お口で、そんな……」
背中がゾクゾクして顔面が熱い。
挙動不審になるミランダとは対象的に、ルシアンは真剣な顔でそっとミランダの指を口内から出した。
「もう大丈夫だ」
しっかりとミランダを見据えながら掛けられた言葉はミランダを安堵させ、その言葉通り、目前にある自分の人差し指はうっすらと傷の跡を残して血を止めていた。
「え……傷……塞がってる?」
止血どころか切り傷がピタリと塞がって、傷そのものが消えつつある現象に驚愕した。
ルシアンはミランダの頬、腹部、太腿など、血が付いている部分に触れて改めて確認している。
「他に怪我をしている所は?」
「あ、な、ないです! 指だけです……」
ルシアンは「はぁ」と息を吐いて緊張を緩めると、無言のままミランダの頭と背中を支えて抱きしめた。
「……」
「あ、ありがとうございます……ルシアン様は……傷が治せるのですか?」
「ああ。俺の体液は人間や竜の傷を治癒する力がある」
「……どうやってここに?」
「うむ……タウラスが警報を寄越したから、スコーピオに限界速度で飛んもらったのだ」
ミランダがルシアンの肩越しにそっとキッチンの窓を見ると、タウラスとスコーピオが競い合うように、窓を覗こうと顔を押し合っていた。
タウラスのあの叫び声はルシアンに警報信号として届いていたのだとわかって、ミランダは感謝の涙が滲んだ。タウラスが知らせてくれなかったら、自分は止血もできないまま失血死していたかもしれないと考えて、改めて恐怖を感じていた。
「ううう、ごめんなさい。ありがとうタウラス」
しゃくり上げるミランダからルシアンはそっと離れて、血で汚れたミランダの頬を拭った。
「ミランダ。何故こんな怪我を?」
言いながらルシアンはキッチンを見回し、赤カブとナイフと調理器具が散乱している状態から、ミランダが調理に挑んだ形跡を確認していた。
「いや……何故急にこんな料理を?」
ルシアンは泣いて言葉が出ないミランダを抱きかかえて立ち上がると、そのまま応接間のソファに運んで下ろした。
ミランダは興奮が収まらず言葉に詰まったまま、ポケットに入っているガレナ王国からのカード……例のハーレムの招待状をルシアンに渡した。自分の奇行はこれが原因であると知ってもらうためには、一番手っ取り早い白状の仕方だった。
「……」
ルシアンは何度か読み返し、「ふ」と笑いのような溜息を吐いてカードをテーブルに放るように置いた。
「興味ないな。俺はミランダにしか興味がないのだ」
「で、でも、竜王だから、花嫁、いっぱい……」
「一夫多妻制か? 竜族の王の花嫁は唯一人と決まっている」
「でも……私は……」
自分の欠点を並べようとするミランダを、ルシアンは勝ち誇ったようなドヤ顔で見下ろした。
「ミランダは最高の花嫁だからな。可愛いし美しいし、優しくて格好いい」
「格好良くありません。だって、こんな怪我をして泣いて迷惑をお掛けして……」
ルシアンは傷痕がすっかり消えたミランダの人差し指を手に取って、敬意を込めるように口付けをした。
「果敢に挑戦したではないか。苦手なことに挑む姿は格好いいぞ」
ミランダは卑屈な言葉を封じられて口ごもると、代わりに心の底に燻っている疑問を呟いた。
「でも……じゃあどうして、私はちゃんと花嫁になれないのですか? 竜王式の結婚式もまだ……挙げる資格がないのでしょうか」
その言葉にルシアンはハッとして、その反応を見たミランダは踏み込んでしまった質問を後悔した。
「う、うむ。ミランダは俺の花嫁に違いないぞ。ただ、竜王式の結婚式は訳があってだな……」
ルシアンは急にしどろもどろになって、言葉を探した。