5 火竜の湯にて
火竜の湯は大量の湯気を空に放ち、周囲の森は湯と石鹸の香りに満ちている。湯の流れる音とアルルの楽しそうな声と、ルシアンの笑い声が聞こえてくる。
ミランダはそんな湯あみを背景に、遠く見える岩場の景色を眺めていた。
岩場の空には大きな雨雲が止まり、沢山の竜たちが豪雨を気持ち良さそうに浴びているのだ。竜の体を洗うのを手伝おうと思っていたミランダだがその必要はないようで、泥まみれの竜たちはどんどん綺麗になっていった。
「凄いわ。大きなシャワーね。プルートちゃん」
抱っこしているプルートを見下ろすと、興味深そうに瞳を輝かせていた。
「ウム~」
「うふふ。プルートちゃんはやっぱり可愛いのね」
プルートが竜王様ではないとわかって、ようやく可愛いと言えることにミランダはスッキリしていた。ルシアンの分身の、まるで幼いルシアンを抱っこしているようで……ミランダはより一層、プルートが可愛く思えた。
「「はぁ~~」」
後ろの火竜の湯から大きな吐息が聞こえて、ルシアンとアルルが湯に浸かったのがわかる。
ミランダがそっと振り返ると、二人の上半身が岩の向こうに並んでいた。ルシアンの背中は逞しく、髪を纏めて露わになった首筋が美しく見える。
ミランダは慌てて顔を向き直した。まるで覗き見してしまったみたいで、胸がドキドキしている。
(夫婦なんだから、見ても大丈夫なはずよ。ルシアン様だって見ていいって……でも恥ずかしいわ)
脳内で言い訳しながらも「夫婦」という言葉にムズムズしてしまう。花嫁として竜王に迎えられて一緒に暮らし、結婚式まで挙げたのだから夫婦なのだ。しかし、ミランダとルシアンは未だにキス止まりの関係で寝室も別室のままだった。初々しい恋人同士の日々にミランダは浮かれるほど幸せだが、やはりその先がいつ、どうなるのかはずっと気になっている。いつまでもこのままでいたい気もするし、次のステップに進んでみたい気もする。ルシアンと一緒にいるだけで恋心がパンクしそうに膨らむ自分は、その先に進んだらどうなってしまうのかという戸惑いと好奇心がゴチャ混ぜになっているのだ。
一人で興奮してルシアンのことを考えているうちに、ふいに真後ろから声が掛かった。大好きなバリトンの心地よい声が近くにある。
「ミランダ。待たせたな」
「ルシアン様!」
ミランダは反射的に振り返った。湯上りのルシアンは裸ではなくガウンを着ていたので安心したが、湯気に包まれた身体のいつもは見えない筋肉質な胸元や手首にハッとして魅入ってしまった。と同時に、ミランダは優しく抱きしめられていた。
「さっきは花嫁に触れられなかったからな。朝からずっとこうしたかった」
ミランダは頭が沸騰して何も言葉にできなかった。湯で温まったルシアンの体温以上に、きっと自分の頭は高熱になっている。さっきの再会で抱きつきたいと思った自分とルシアンの気持ちは同じだったのだと知って、目眩がするほど嬉しくなった。
ルシアンとミランダの間に挟まれたプルートが苦しそうに「ウム~」と鳴いたので、ルシアンは自分の肩にプルートを乗せて、改めてミランダを抱擁しなおした。
♢♢♢
ルシアンは湯から竜王城に戻ると、プルートを連れて再び出かけた。森中の竜たちにプルートが生まれたことを知らせるらしい。
ルシアンもプルートもいなくなってしまったので、ミランダは庭にいるアルルとスピカのもとにやって来た。アルルは湯上りのさっぱりとした顔で、青竜スピカの身体を拭いている。
「プルートちゃんは特別な竜だってルシアン様は仰っていたけど、竜たちにとっても特別なのね」
「ええ。何でも、竜王様に一番近い存在の竜らしいですから」
「外見も似ているものね。プルートちゃんが大きくなったら、きっと竜王様にそっくりな、威厳ある立派な竜になるはずだわ」
「きっとそうでしょうね。プルートは竜王様に無くてはならない使命を持っているらしいので」
「どんな使命なのかしら?」
ミランダは前のめりでアルルの話を聞くが、アルルは首を傾げた。
「お妃様。図書室の秘密の扉を知っていますか?」
「秘密の扉?」
「はい。部屋の一番奥に扉があって、そこには竜王様が持っている鍵でしか入れない書棚があるのです」
ミランダは何度か出入りした竜王城の図書室を思い出した。立派な広さと書物の数を誇り、史実から創作まで膨大な知識が納められた場所だ。確かにその図書室には謎の扉があり、鍵がかかっていて入ることができなかったのだ。
ミランダはますます好奇心が掻き立てられた。