08 竜王の怪しい杯
「……アルル、アルルったら、起きてちょうだい」
この声は三番目のお姉さまです。
僕にいつもお菓子を持って来ては、食べる姿を楽しそうに眺めるのです。
「アルル。今日はどのご本を読もうかしら」
この声は二番目のお姉さまです。
僕にいつも本を読み聞かせてくれて、僕が眠るまで側にいてくれます。
「アルル。さあ、こちらにいらっしゃい」
この声は一番目のお姉さま。
僕をいつも抱っこしてくれて、背の高いところから景色を見せてくれるのです。
温かくて、柔らかくて、良い香りの。
僕はお姉さまたちが大好きで……。本当は会えなくなって一番寂しいのは、僕なのです。
「お姉さま。お姉さま……」
僕はお姉さまたちを探して手を彷徨わせて、服を辿って掴みました。僕はやっぱり大事に抱っこされて、温かい胸の中にいたのです。
だけどぼんやりと目を開ける僕を見下ろしているのは、お姉さまではありませんでした。
「ル……竜王さま……」
竜王は怒りの篭った、そして焦燥感を顕にした金色の瞳で、僕を睨んでいました。ビュウビュウと強い風の中、僕は竜王に抱かれてスコーピオに乗っていたのです。
竜王の服が血だらけで驚きましたが、それは僕の頭や身体も同じで、どうやら僕の血のようでした。僕はショックで意識を蘇えらせて叫びました。
「ス、スピカは!?」
「スピカがパニック状態で俺を呼びに来たのだ」
「スピカの怪我は!?」
「軽症だ。それよりもお前の怪我が酷い。何箇所も骨折しているし、頭も切った」
「よ、良かった」
「良くない!! あの高さから落ちて、生きているのが奇跡なんだぞ!」
僕はスピカが無事で安堵しましたが、竜王の怒りに再び竦みました。
竜王は目を逸らすと「ハァ~」と怒りを溜息で吐き出して、呟きました。
「叱るのは後だ」
竜王城に着く頃には、僕は冷静さが戻ると同時に麻痺していた激しい痛みもぶり返し、意識がまた朦朧としたのでした。
左手、左脚の2箇所に、肋骨……竜王の言う通り、僕は彼方此方骨折をして、頭には深い傷を負っていました。川辺に落ちて冷え切ったせいか高熱も出て、僕は死を感じて怯えました。
「お姉さま……」
全身が痛くて怖くて、僕は恥ずかしげもなく、お姉さまに助けを求めて泣きました。
竜王のベッドに寝かされた僕のもとに、竜王が青白い顔でやって来ました。
ああ、そんな悲壮な顔……まるで僕が死ぬと言っているような。
「これを飲め」
「な、なんですか?」
「薬だ」
竜王は自分こそが死人のような顔で、コップに入った謎の液体を勧めてきました。僕は朦朧としながら向けられたコップの中身を見下ろして、「うっ」と喉が詰まりました。
何でしょうか、この黒い液体は……薬というには量が多いし、ワインのようなお酒の香りがします。死にかけている子供に飲ませていい物でしょうか? 本当に?
無言で竜王を見上げますが、竜王は変わらず青い顔でコップを押し付けてきます。もう飲むしかない雰囲気です。
僕は目を瞑って、口に殆ど突っ込まれているコップの中身を啜りました。あ、やっぱりこれはワインではないでしょうか? 死にゆく僕の恐怖を和らげるために、酒を飲ませているのでしょうか? 葡萄のような、キイチゴのような甘みで誤魔化しているけど、この味は……。
僕は薄らと目を開けて、竜王の手首に包帯が巻かれているのを確認しました。やっぱり……血!! 僕は多分、ジュースに混ぜた血を飲まされています。これは民間療法みたいな? エセ医療?
僕は竜王の無言の圧力に押されて謎汁を飲みながら、気が遠くなりました。この竜王城にまともな治療方法があるなんて期待はしていませんでしたが……まさかこんな素っ頓狂な物を飲まされるなんて。
コップの中身を飲み干した僕は血だらけの口周りを布で拭かれて、息を吐きました。
すると不思議なことに、さっきまで悪寒で震えていた体が芯から温かくなり、頭の高熱が鎮静していくのがわかりました。僕を見下ろす竜王の金色の瞳を見つめながら、僕は何故か安心して眠りに落ちていったのでした。