2 牢獄の令嬢
ガシャーン!
あっという間に、目の前で牢獄の扉が閉まった。
何の弁解もさせてもらえないまま、ミランダは地下牢に投獄された。
冷たく汚れた石畳に、暗い天井。見た事もないほど寂れたベッドがひとつだけ。監視の窓が付いた扉は重い鉄でできている。
日の射さない地下牢は湿気てカビ臭く、酷い状況だった。
ミランダは夜会のために着飾ったドレス姿のまま、その場で立ち尽くした。
薔薇色の艶やかな髪とルビーのような瞳を持つミランダは、17歳にしては妖艶なほどの美貌を持ち、不釣り合いな牢獄の中でも輝いていた。
「はぁ……やっぱり、この顔のせいなのね」
ミランダは幼少の頃からその美しさを称えられる一方で、釣り上がった目が意地悪そうだとか、魔力がありそうな妖しい目の色だとか、お高くとまった表情が気取っているだとか、外見で偏見を持たれることが多かった。
柔らかな雰囲気の聖女フィーナと対照的に、ミランダは所謂、悪役令嬢といったところだろうか。外見のイメージと、予言の力を利用したフィーナの策略に完全に嵌められた。
「私は美しいものが好き……だから子供の頃から、所作も表情も優雅さを心掛けていたけれど……それが余計に悪役らしく見えたのかしら」
ミランダは悲しみを通り越して、皮肉に微笑んだ。
「せめてお父様が弁解してくださると良いのだけど……きっと無理ね」
ミランダの心配の通り、数人いる娘達を政治の駒としてしか見ていない合理的な侯爵は、王室が信頼する予言者による断罪に有利な勝算を見出せなかったのだろう。あっさりとミランダを見捨てたらしい。
領地経営の手腕に長けた侯爵は他者への情に欠くドライな面があり、家族に対してもそれは同じだった。父の冷徹さはミランダのイメージをより悪く見せる一因にもなっていた。
侯爵家の後ろ盾を完全に失ったミランダの処遇は過酷なものになった。
豪華なドレスや宝飾品は没収され、質素な服を与えられると、誰にも会えないまま孤独な獄中生活を強いられた。
一日に二度、鉄の扉の小さな窓から盆が乱暴に置かれる。
まるで食べ物とは思えない固いパンと、水のようなぬるいスープだ。
「これが……パン?」
何の匂いもしないそれは、齧れば歯が欠けそうなほど固い。
最初は口にする気も起きず手を付けなかったが、翌日には空腹に耐えかねてパンを手に取った。色も具も無いスープに浸して何とか飲み込もうとするが、身体が受け付けず飲み込めない。人生でこんなに酷い味の物を食べたのは初めてだった。
食事は無言のまま置かれ、牢獄には誰も語りかけず、人が訪れることもなかった。
世界のすべてから無視をされ、自分の存在が消えてしまったように錯覚する。そんな孤独の時間は、ミランダにとって何よりも辛く感じた。
劣悪な環境の中で粗末な食事もろくに摂れないまま、不安と恐怖に苛まれた不眠の日々はミランダを確実に衰えてさせていった。無実を訴え続ける気力も無くなるほどに。
「あれからいったい何日がたったのかしら……ジョゼフ王太子はいつ、私の話を聞いてくださるのかしら……」
ベッドから起き上がれずに、ジョゼフ王太子が来てくれるのを待つだけの日々が続いた。
だが、もう自分のもとへは誰も来てくれないのだと、ミランダにも薄らとわかっていた。
そうして一縷の望みも失い、時間の感覚も失った頃——。
裁判は開かれないまま、罪状と証拠をもとに決定した刑罰の内容だけが、牢獄に伝えられることとなった。
兵士を連れた役人が読み上げる罪状には毒物の精製と所持だけでなく、効果を確かめるために幾人もの侍女や従者に投与した傷害罪。そして王族関係者の不審死もこの毒物が原因という殺人罪まで加わり、まったく身に覚えの無い、凶悪な犯罪がでっち上がっていた。
ミランダは牢獄の中で立ち尽くしたまま、一方的に読まれる罪状を放心状態で聞いていたが、刑罰の宣告に差し掛かかると衝撃のあまり、久しぶりに大きな声を上げた。
「処刑……私が、竜の生贄に⁉」
想像していた最悪の事態から、さらに斜め上をいく展開だった。
なんでも聖女フィーナの提案によって処罰の方法も決まったらしい。
残忍な発想に目眩がして、ミランダは石畳の上に崩れるように膝を着いた。
このベリル王国は隣国であるザビ帝国との国交問題を抱えるだけでなく、反対側の国境の向こうには竜が棲む広大な森があり、竜族とも対立関係にある。
この竜族には家畜や農産物を献上することで自国への襲撃をなんとか回避しているらしいが、そこへ人間を生贄として差し出し、竜族との関係をより改善するのだという。
聖女フィーナ曰く……。
「罪人とはいえ、まがりなりにも王太子殿下の婚約者だったミランダ令嬢です。最後に王国の平和のために役立てることを、彼女も誇りに思うでしょう。私には、この生贄によってベリル王国がさらなる繁栄へと導かれる未来が見えます」
美談を装う冷酷な予言にミランダは寒気が止まらなかった。
竜族が人間の味を覚えてしまったら、森と隣接するこの王国の民は竜族の捕食の対象となってしまう。今後も家畜の生贄でなく、人間の生贄を要求され続けるかもしれない。
だがそんなミランダの反論など、罪人の刑逃れとして誰も耳を貸さなかった。王太子を始め王族関係者の全員が、聖女フィーナの予言に従えばすべてが上手くいくと、思い込んでいるのだ。
(これでは予言を利用した聖女による、王政の乗っ取りと洗脳だわ。この国はいったいどうなってしまうの?)
王国の心配よりも先に、ミランダは残酷な終わりを目前にしていた。