33 月夜の飛行
フィーナは別人のように顔を引きつらせたまま、小刻みに震えていた。顔色が土色になっていて、急に老けたようにも見える。
ジョゼフ王太子がフィーナに声を掛ける前に、縛られた3人の男の一人が大声を上げた。
「フィーナ! 助けてくれ! 俺たちは何日も洞窟で監禁されて、あの化物に拷問されたんだ! もう何もかも終わりだ‼」
フィーナは首を振っている。
「知りませんわ。こんな男達……陰謀よ。全部嘘だわ」
「フィーナ! 俺たち黒焦げにされちまう!」
「知らないったら! 穢らわしい!」
ルシアンは面倒そうに「ハァ~」と溜息を吐いた。
「偽聖女フィーナはザビ帝国のスパイで、この男達はその仲間だ。雷を何発か落としたら、全部吐いたぞ。フィーナは元々持っている微弱な予知力を生かして、カジノでカードを盗み見るイカサマ師をしていた。その腕を自ら帝国軍に売り込み、スパイに抜擢されたらしい」
フィーナは唇を噛み締めて黙り込み、ジョゼフ王太子は愕然としてフィーナを凝視した。
「そんな。嘘だろう? フィーナ……だって君は、災難の予言を……」
ルシアンは懐から巻物の紙を出して、上から読んでいった。
「教会の火災、馬車強盗、落石事故、橋の崩落、貴族達の事故死……」
長い文章の途中で、紙を放り出した。
「すべて自作自演の災難だ。こいつらが犯罪を指示して起こし、事前に知っていたフィーナが予言した」
「そ、そんな……」
ジョゼフ王太子は腰を抜かして床を這って、放られた紙を掴んだ。血走った目で犯罪の一覧に食い入っている。リストの中には、ミランダの罪とされていた毒物の精製と混入、王室関係者の毒殺事件も入っていた。
ジョゼフ王太子がワナワナと手を震わせる姿を、ミランダは冷めた目で見下ろしていた。
あまりに惨めで、愚かで、ミランダは怒りを通り越して哀れみさえ感じていた。
政略的に決められた婚約相手のジョゼフ王太子に恋心を抱いたことは無かったが、ミランダ は未来の王太子妃として責務を果たし、伴侶として愛を込めて支えようと努力をしてきた。
だがジョゼフ王太子は、窮地に陥った婚約者からたった一度も話を聞かずに、最後までイカサマを信じて疑わなかったのだ。
皮肉なことに、ジョゼフ王太子の頭上には悪意のモヤが見えなかった。純真な気持ちで奮ったであろう正義感が、ミランダにはより薄っぺらく思えた。
感情を表さない冷酷な瞳のミランダを、ジョゼフ王太子はまるで傷ついたような顔をして見上げた。涙を溜めて赤い顔をしている。
「捕えろ……フィーナと男達を、ひっ捕えろ!」
ミランダを見つめたまま、訴えかけるように叫んだ。
呆然としていた兵士達は我に返って駆けつけて、大声で叫びまくるフィーナを取り押さえた。聞くに耐えない金切り声が遠のいて、ジョゼフ王太子はその間もずっと、ミランダを見上げていた。
「ミ、ミランダ。僕はっ……」
詫びるのか、弁解なのか。
這いつくばったままのジョゼフ王太子の言葉は、ルシアンが途中でミランダの腰を引き寄せて、邪魔をした。
「俺の花嫁と勝手に話さないでくれ」
「は……? 花……嫁?」
「お前はポンコツなおぼっちゃんだが、こんなに美しい花嫁を俺にくれたから少し感謝しているぞ」
ジョゼフ王太子は乾いた唇を開けたまま、言葉を失った。
そんなジョゼフ王太子の向こうには、呆然と立ちすくむ王と王妃がいる。
ルシアンは会場に大きなバリトンの声を響かせた。
「聞け。愚かな人間どもよ! 俺は今日、このベリルの地を焼き尽くしに来た!」
静まりかえった宮廷は、再び恐怖の悲鳴が沸いた。
「だが、竜王の花嫁となったこのミランダ・ブラックストンに免じて、国は滅ぼさずにおいてやる。今後また頭のおかしな振る舞いをすれば、竜王の手によって永久の焦土になると覚悟しておけ!」
風がルシアンの髪を舞い上げて、黄金色の瞳が獣のように光っていた。
真後ろにいる巨大な火竜アンタレスは竜王に呼応するように、炎を纏った牙を剥き出して睨んでいる。グルグルと鳴らす威嚇の音は、広い空間を不気味に震わせた。
あまりに恐ろしい絵に王と王妃は頷きながら抱き合って、そのままゆっくりと床にへたり込んでいた。
「さて」
ルシアンはミランダを見下ろすと、いつもの気取った笑顔に戻っている。
「我が竜王城に帰ろう。俺の花嫁よ」
「はい。ルシアン様。私も早く帰りたいです」
ルシアンは嬉しそうにミランダの手を取って、伏せた火竜の上に登った。
「ま、待ってくれ! ミランダ! 行かないでくれ!」
浮き上がった竜の旋風の中で、ジョゼフ王太子は髪を乱しながら追いかけて来た。地上で必死に何かを叫んでいるが、ミランダはもう、この場所に興味を失っていた。
「ごめんあそばせ」
その言葉を最後に、巨大な火竜は竜王と花嫁もろとも、忽然と消えた。
おぉ、と驚きの声が上がる中、ジョゼフ王太子はひとり抜け殻のように天を仰いでいた。
♢ ♢ ♢
火竜アンタレスは、ルシアンとミランダ、そしてアルルを乗せて夜空を飛行する。
アルルは先頭で手綱を持って笑っている。
「これでザビ帝国の侵略計画は、すべておじゃんになりましたね」
「ああ。俺はベリルの王族が侵略されようが滅ぼされようがどうでもいいが、ミランダの故郷の思い出が無くなるのは嫌だからな」
夜空の月や星に見惚れているミランダを膝の上に乗せているルシアンは、抱き寄せて髪に顔を埋めた。
「はぁ~。やっぱり俺の花嫁が一番綺麗だった」
ミランダは相変わらず惚気てばかりのルシアンにクスクスと笑っている。ルシアンと一緒にいると自分まで竜のように強かになるようで、復讐の舞踏会も夜の飛行も、恐れるどころか愉しむ余裕さえ感じていた。
ルシアンはそんなミランダを見つめて、指で頬を撫でた。
「不思議だ。何故、ミランダはどんどん綺麗になるんだ?」
「女の子って、そういうものですよ」
「凄いな、女の子は。どういう仕組みなんだ」
謎だらけのルシアンの耳元に近づいて、ミランダは囁いた。
「貴方に恋をしているからです。竜王様」
顔を正面に戻すと、ルシアンの黄金の瞳はキラキラと純粋に輝いていた。同じ色の大きな月を背に、ふたりはそっと近づいて、初めて口付けを交わした。
アルルは背後でイチャイチャしている気配に赤面している。
「も~。ふたりとも、落っこちないでくださいよ?」
夜空から見下ろす竜王城は、晴れの顔で3人を迎えた。
勘違いから始まった竜王と花嫁の新婚生活は、愛と幸せの予感に溢れている。