32 復讐の舞踏会
ジョゼフ王太子と聖女フィーナの、正式な婚約発表の日がやってきた。
ベリル王国の宮廷では豪華な舞踏会が開かれて、王国中から名だたる貴族達が一斉に集まった。燦然と輝くシャンデリアに蝶が集まるように、着飾った人々が王城への階段に列を成した。
その中には、悪魔の女王様と王様のように、夜色の衣装を纏ったミランダとルシアンもいた。
ただし、透明である。
「ああ、ミランダ。何て美しいのだ。今宵この舞台で一番美しいのは君だ。誰も敵うはずがない」
髪も化粧もバッチリと決めたドレス姿のミランダに、ルシアンは透明になった後も蝶よ花よと、のぼせっぱなしだった。
ふたりの間に挟まっているアルルはルシアンを押し戻して、小声で叱責した。
「ルシアン様! いくら透明でも、周りに声が聞こえますよ? お静かに!」
「だって、こんなに美しい花嫁だぞ。黙っていられるか」
緊張感の無い押し問答に、ミランダは苦笑いする。
今夜はとうとう、ジョゼフ王太子の新しい婚約者のお披露目の日であり、ルシアン曰く——。
「復讐の舞踏会」なのだとか。
透明とはいえ、かつて自分を処刑へと追いやった敵陣に乗り込むのに、ミランダは朝から酷く緊張していた。だが、惚気るルシアンの緩い空気の中で、冷静さを取り戻しつつあった。
あの牢獄から生贄台に出荷された夜に見上げた王城は、何も変わらずに聳え立っている。
まさかこの場所にもう一度自分が、しかも復讐のために訪れるとは思いもよらなかった。
眩しいほど豪華な舞踏会の会場に足を踏み入れながら、ミランダは手を掛けているルシアンの腕を強く引き寄せて、ピタリと寄り添った。温かい体温と逞しく背の高い身体に安心感をもって、そのままダンス会場の中央に進んだ。
大きな音楽が身体全体を包んで、酩酊するように頭がふわふわとする。
ここでルシアンとあの応接間の夜会のように、思う存分踊ってみたい。そう思うのはルシアンも同じなようで、アルルの肩に手を置いて下がらせた。
途端に透明だったふたりの姿は現実に現れて、会場の真ん中に妖しげなカップルが登場した。
ルシアンはミランダに見惚れながら手の甲にキスを落とし、ミランダもルシアンをうっとりと見つめて、ふたりだけの世界ができていた。
「さぁ。復讐の舞踏会の始まりだ」
宮廷に鳴り響く一流の音楽は、ミランダを別の世界に誘った。
ステップを踏んで回転し、身体を預けて。ルシアンと同化してしまうような錯覚さえあった。夜色のドレスはシャンデリアの灯を映して一層、煌びやかな瞬きを魅せた。
見たこともない妖しい美男美女の華麗なダンスに、周囲の者は見惚れた。その輪は大きくなって、見物の人数が増えていく。
あれは誰、素敵、と浮ついて観賞していた人々の中から一人、また一人と、その美女がミランダであると気づき、まさかと凝視する者が増えてきた。
歓声がざわつきに変わる頃、曲がフィニッシュを迎えて、ルシアンは仰反るミランダを支えた。ミランダは天井を仰ぐ姿勢のまま、前方に懐かしい人物の姿を見つけた。
ジョゼフ王太子が聖女フィーナを連れて、真っ青な顔で立ち竦んでいたのだ。
事情を知らない観客達が見事なダンスに盛大な拍手を送る中、ルシアンとミランダはゆっくりと、ジョゼフ王太子の方を向いた。
「そんな……まさか……ミ、ミランダなのか?」
自分が罰し、婚約を破棄し、竜の生贄となって死んだはずの元婚約者が、確かにそこにいた。
それどころか、得体の知れない迫力の貴公子と、ただならぬ関係のように寄り添っている。しかも、ミランダのその美貌は以前よりもさらに妖艶となって、目も眩むような美しさだった。
隣にいる聖女フィーナは顔が引きつったまま、固まっていた。生意気そうだった侯爵令嬢はまるで悪魔に昇華した姿となって、凛とした視線をこちらに向けている。聖女の清楚さをアピールする自分のドレスがやたらに陳腐に感じるほど、ミランダの存在感が強い。
「これはこれは、ジョゼフ王太子殿下。いつも美味しい貢ぎ物をありがとう。俺は竜族の王、ルシアン・ドラゴニアだ」
ルシアンの挨拶は音楽が止まった会場で大きく響いて、どよめきが起こった。
いつの間にか、宮廷の外は土砂降りの雨になっている。
ジョゼフ王太子は目を見開いて仰け反った。ルシアンを指す手が震えている。
「りゅ、竜族だと!? 人間ではないか!」
「おぼっちゃんは知らないだろうが、竜を統べる王は代々、人のカタチだ。君が知っている竜はこんなだろう?」
テラスの吹き抜けの高い天井から、オォーン、と高速で何かが近づいて、巨大な火竜アンタレスが舞踏会の会場に落下した。正確には着地をしたのだが、あまりの大きさに周囲のテーブルも人もご馳走も、風圧で吹き飛んでいた。
「キャ——!?」
ご婦人達の絶叫が響いたが、外は激しい嵐と雷が壁となって、誰もが会場から逃げ出せずに、その場にへたり込んだ。
「りゅ、竜だ!!」
「食われるぞ!!」
取り乱す人々の悲鳴の中で、竜は既に人間を咥えていた。
ペッ、と吐き出すと、男が3人、縄で一塊に縛られたまま転げ落ちた。
服が焦げ、髪はグシャグシャで、痣だらけの男達はまるで何週間も苦難に遭ったような格好だ。ジョゼフ王太子は異様な姿に驚いて飛び退いた。意味がわからない、と首を振っている。
「こいつらを知っているのは、偽の聖女だけだ。なあ。イカサマ師フィーナよ」
ルシアンの声に、全員が聖女フィーナを振り返った。