31 応接間の夜会
夕食を終えた竜王城で、ミランダとアルルは唖然として突っ立っている。
ルシアンが街から大荷物を持って帰って来たかと思ったら、応接間でいそいそと、大量の梱包を解きだしたのだ。
大きなトランクを開けて取り出した物を見て、ミランダは思わず声を上げた。
それはキラキラと輝く、ゴージャスなドレスだった。
その横には美しい靴やジュエリーも並んだ。
アルルは我慢できずに突っ込んだ。
「ルシアン様? このドレスはいったい何です? 結婚式ですか?」
その言葉に、ミランダはドキリとした。
自分で「私は竜王の花嫁です」と何度も言っておきながら、いざ「結婚式」と聞くと急に現実味を帯びて緊張してしまう。
「結婚式ではないよ、アルル。白いドレスではないだろう?」
ルシアンの言う通り、そのドレスはまるで夜の空から作られたような、黒と紫のグラデーションカラーだった。金色の見事な刺繍に綾取られ、星空のように散りばめられたクリスタルビーズが輝いている。まるで悪魔の女王様が召すような妖艶なデザインだ。
横に並ぶのはブラッド・ルビーのジュエリーと、黒いシルクの手袋、ドレスと同じ繊細なデザインのパンプス。すべてに迫力があった。
ミランダはメジャーで身体のサイズを測った夜を思い出していた。あのサイズを元に、ルシアンがドレスをオーダーしていたのだとわかった。
「さあ、ミランダ。これを着てみてくれ」
「わ、私が? こんなにゴージャスなドレスを?」
戸惑うミランダから離れて、ルシアンは応接間を出て行った。
「俺も着替えてくる。アルル。ミランダを手伝ってあげてくれ」
「は、はい!」
悪魔的な存在感のドレスに気圧されながらも、ミランダは言われた通り、ドレスに袖を通した。
サラサラと夜空のように流れる生地の波間に見え隠れして瞬くビーズが美しく、ミランダは感嘆の溜息を吐いた。
真剣にサイズを測ってくれたルシアンのおかげで、ドレスは身体に綺麗にフィットして、自分のために作られた物なのだと実感する。
まるで芸術品のような造形のパンプスも足にしっくりと合った。
ブラッド・ルビーのイヤリングを着けて、アルルにネックレスとドレスのホックを留めてもらった。
大きな鏡の前に立って、ミランダは目を見開いた。
そこにはまるで別人のような、ドレス姿の自分が映っていた。
アルルは隣で一緒に鏡を覗き込んで、歓声を上げた。
「うわぁ、お妃様! お似合いですよ!」
アルルの言う通り、迫力のドレスはまるで計算されたようにミランダの薔薇色の髪と、ダークなルビー色の瞳を惹き立てていた。陶器のように白い肌と黒い生地のコントラストが、品性と魔性の両面の美しさを表していた。
「これが……私?」
不思議なことに、自分の性格まで凛と気高い女性に生まれ変わるようだ。装いの魔法にかかったミランダはうっとりと鏡を見つめた。
ノックが鳴って、ルシアンが戻って来た。
ミランダと同じデザインの燕尾服を粧し込んでいる。
黒のジャケットには金の模様と、シャツにはブラッド・ルビーのブローチとカフス。妖しく悪魔的な貴公子の衣装は美麗なルシアンによく似合って、いつもの迫力はより増していた。
「素敵」「綺麗だ」
ふたりは同時に声を被らせて、互いにしばらく見惚れあっていた。
ルシアンはミランダに歩み寄り、跪いて手にキスをした。
「ミランダ。俺とダンスを踊ろう」
「ダ、ダンス?」
「ああ。復讐の舞踏会だよ」
ルシアンが立ち上がり、ミランダの腰を引き寄せて手を取った。
音楽の無い応接間で、まるで音楽が聴こえるかのようにルシアンはミランダを導いて踊った。
正確なリズムが体に伝わって、軽やかに手足が動く。クルリと回れば夜空のドレスが鮮やかに宙に舞い、仰け反れば星が瞬いた。
ドレスと一緒にクルクルと回るうちに、ミランダは楽しくなって笑いながら踊った。目の前のルシアンは気取ったり微笑んだり。離れて、またくっついて。
ミランダの中でルシアンへの恋心が高まって、溢れるようだった。
♢♢♢
深夜になって。
ミランダは呆然と、ベッドに横になっている。
はしゃいで踊りまくって、体はふわふわと疲れていた。今まで社交の場で踊ったどのダンスとも違って、楽しく情熱的な夜だった。
窓辺ではアルルが灯りを手に、ミランダの代わりにカーテンを閉めている。
こまめにお世話をしてくれるアルルの小さな背中に声を掛けた。
「アルル君。いつも面倒をかけてごめんなさい」
アルルはベッドの横にある椅子に座ると、灯りをサイドテーブルに置いた。
「ルシアン様はダンスがお上手でしょう?」
「ええ。驚いたわ。いったいどこで習ったのかしら」
「先代の竜王ですよ。ルシアン様がユークレイス王国から9歳の時にこの城に来た頃には、もうお爺ちゃんだったらしいけど、とても厳しい方だったようです。ダンスにマナー、勉強に竜王学。竜と能力の使い方も全部叩き込まれたと」
「まあ。スパルタだったのね」
「竜王たる威厳、というのが口癖だったらしいです。僕だったら、くじけちゃったかもしれません」
ミランダはクスクスと笑う。
「先代が亡くなってから何年か、ルシアン様はおひとりでこの竜王城で暮らしていました。僕がここに来た頃は、それはそれは嵐が吹き荒れて……寂しさで心が狂ってしまったそうです」
「お城に引きこもっていたのは、その頃からなのね……」
ミランダはあの豪雨の凄まじさを思い出して、胸が痛んだ。
祖国の弾圧から逃れ、迎えてくれた竜族の家族を失ったルシアンの悲しみは計りしれない。その頃から、貢ぎ物に愛があると信じて過ごしていたのだろうか。
「僕が竜王城に来て嵐がやんで。それでもやまない雨が、お妃様のおかげでやんだのです」
「そんな。アルル君がいてくれたから、ルシアン様は立ち直れたのだわ」
「僕は竜王様の配下で、竜族は竜王に仕えることに喜びを感じます。竜王様が楽しかったり、嬉しかったりすると僕は幸せなのです。だからお妃様。竜王様の花嫁になってくださり、ありがとうございます」
アルルは灯りを持って立ち上がり、扉に向かった。
「おやすみなさい、お妃様」
ミランダはルシアンとアルルの気持ちを想って、震える声を振り絞った。
「ありがとう……アルル君。おやすみなさい」