30 偽聖女のご乱心
それから数日後。
聖女フィーナの予言が実行される日がやってきた。
だが、その日になっても、貴族の馬車が襲われることは無かった。
次の予定がきても、川が毒物で穢れることは無かった。
また次の予定にあった大火事も、起きなかった。
そして……
ザビ帝国は突然の嵐によって壊滅的な被害に遭い、自国の復興を優先するため、北の地への侵攻は無くなった。
「ちょっとぉぉ! どういう事よ!!」
聖女フィーナは苛立って、聖書を自室の壁に叩きつけた。
ここはベリル王国の宮廷の一室で、王太子の婚約者のために用意された部屋だ。
前回の予言の会で披露した予知はすべて外れて、貴族の間では安堵の空気が広がるとともに、聖女の不調説も噂されていた。
フィーナが懺悔室で落ち会うはずだったスパイの仲間も現れず、新たな予言を入手できなかったために、次の予言の会も延期にするしかなかった。
「あいつら、まさかしくじったの!?」
フィーナは嫌な予感で落ち着きなく爪を噛むが、仲間が王国に捕まった気配は無い。何か不具合があって、災難の実行がされなかったのかと考える。
「婚約発表のタイミングで大きな予言を当てて、箔をつける計画だったのに……あの役立たず共が!」
仲間への苛立ちが収まらず、続けてクッションを投げつけた。
フィーナは興奮したままソファに乱暴に座り、脚を組んだ。フィーナがここしばらく心が荒んでいる理由は他にもある。
ジョゼフ王太子との婚約が決まってから、宮廷での妃教育が始まったのだ。
王太子妃として相応しい婚約者になるべく、マナーや社交、社会学に言語、ダンス……覚える物が山とある。それは予知能力者といえども、免除されるものではなかった。
元婚約者の侯爵令嬢を陥れて立場を乗っ取るまでは快感を感じていたが、それからの煩わしさは想定外だった。
しかも、出来が良かったらしいあの侯爵令嬢と自分を比較して、嫌味や陰口まで言う教師や王族関係者もいる。
竜の餌にしてもなお目障りな元婚約者に、フィーナは歯軋りをした。
「私が王太子妃となった暁には、無礼な奴も目障りな奴も皆、あの令嬢のように陥れて処刑してやる。見ていなさい」
目前にある権力に酔って、快楽の笑いが込み上げてきた。
立ち上がって鏡に向かい、淑女の笑顔を作ると、自分に言い聞かせる。
「婚約発表の日まで、あと少しよ。この宮廷で存分に贅沢をしながら、予知力を持つ王太子妃として王政を操り、この国を私の思い通りにしてやる」
ノックが鳴って、侍女が入って来た。
「ジョゼフ王太子殿下がお見えです」
ジョゼフ王太子が現れると、フィーナは一層、淑女らしく取り繕った。いつも通りの優しい笑顔に、ジョゼフ王太子は嬉しそうだ。
「フィーナ。珍しく、今回は予言通りの災難が起きなかったね」
「え、ええ。どうやら私の祈りの力が強く作用して、災そのものが消えたようですわ」
「素晴らしい! フィーナは王国を救う女神だ!」
歓喜するジョゼフ王太子に笑顔を向けたまま、フィーナは王太子のジャケットのポケットを指した。
「スペードのクイーンですわ。殿下」
ジョゼフ王太子は満面の笑みで、ポケットからトランプのカードを出した。
「凄い! また当たった!」
隠したカードをフィーナが読む遊びを好んで、ジョゼフ王太子は毎日、自分のポケットにトランプカードを仕掛けていた。
「フィーナ、やっぱり君は不調なんかじゃないよ! 来週の予言の会も開いたらどうかな!? 皆、君の予言を待ち望んでいるよ」
「そ、それが、私、婚約発表を前にきっと緊張しているのですわ。予知に集中できなくて」
「そうか……それじゃあ仕方ないね。予言の会はやっぱり延期にしよう。フィーナが僕の妃になってくれれば、ずっとこの国の未来を見てもらえるのだから、焦ることはないね」
「私がこの王国と民を守ってみせますわ。ジョゼフ王太子殿下」
ジョゼフ王太子は安堵と喜びで舞い上がって、フィーナを抱きしめた。