28 積み木崩しの城
ベリル王国の王太子の婚約者だったミランダは、幼い頃から地理と歴史を家庭教師から学んだ。
ゆくゆくは王妃となって王を補佐するために、周辺国の知識が重要だったからだ。それぞれの国の成り立ちや、文化、政策……そして国交をスムーズにするための語学と社交。
それらはジョゼフ王太子からの一方的な婚約破棄によって努力が水泡と帰すかと思いきや、今改めてその勉強が役立っていた。
夜空の下に広がる本物の地図……ザビ帝国を竜の上から見下ろして、ミランダは学習した地形を思い出していた。
広大な砂漠と、山岳地帯。多民族が暮らす幾多の町と村。そして、軍事国家らしく要塞のように頑強な帝国の城。
ザビ帝国では北の小国への侵攻を前に、帝国民と軍を鼓舞しようと、軍事パレードが何時間にも渡って行われていた。その軍人の数と一糸乱れぬ行進の迫力に、ミランダは恐怖で竦んだ。
「寒くないか?」
マントに包まって震えているミランダを、後ろから抱えるルシアンは労っている。
今日はルシアンもアルルもしっかりとマントのフードを被って、透明の状態でスピカに乗っていた。
地上からは、上空にまで届く歓声と咆哮が聞こえる。
「決起しろ!」
「我が帝国軍の力を見せろ!」
ザビ語を習得していたミランダには、彼らが何を叫んでいるのかもすべてわかっていた。
パレードが盛り上がる最中、ルシアンは片手を上げて宣言した。
「お取り込み中悪いが、嵐の始まりだ」
ゴゴゴゴ……ゴォン。
腹を抉るような重低音が空に響くとともに、灰色の雲が蜷局を巻いて現れた。
まるで生きた怪物のようにその雲は厚みと大きさを増して、帝国の空を覆った。
ザアッ!
まるで槍の如く強烈な雨が降り出して、ゴロゴロと雷の音を鳴らしながら、豪雨が帝国を襲った。地上からは悲鳴を上げながら人々が家屋に逃げ込み、軍も行進を止めたのが見える。
ルシアンもミランダもアルルも上空で雨に打たれながら、その様子を見つめた。
恐ろしい数の雷が彼方此方に落ちまくり、轟音が鳴り続く。
ルシアンがミランダを力強く抱きとめた瞬間に、突風が吹き出した。風は地を這うように吹き荒れ、上空のスピカも煽られて体が大きく揺れている。まるで荒れ狂う海を航海するような恐怖と、ミランダは戦った。
何かが砕け散る音がして慌てて顔を上げると、雷によって帝国の城である要塞の天辺が吹き飛んでいた。続けて2発、3発、と集中的な落雷を浴びて、城壁が積み木のように崩れていく。
遠くで土砂が雪崩れる音、河川が氾濫し橋が崩落していく音も重ねて聞こえる。まるで破滅への重奏のようだ。
「ひっ……」
ミランダは猛烈な嵐に恐怖で歯を鳴らして、ルシアンを振り返った。
透明なルシアンの姿は見えない。だが、耳元でバリトンの声が囁いた。
「このまま帝国を滅ぼそうか? この国は今回の侵攻を止めても、またいずれ他国を攻めるだろう。ザビ帝国の皇帝は愚かな人間だ」
その静かな声にミランダは背筋を凍らせた。この嵐が何日も何週間も続けば、帝国は本当に滅びるだろう。
「だ、駄目です。ザビ帝国の国民に罪はありません。それに、帝国は他国を侵略し、他民族を奴隷として搾取する慣習があります。いつか解放を願うその人たちも死んでしまいます」
ルシアンは「うむ」と頷いた。
「花嫁の言う通りにしよう。ならば、今回は予定通り足止めだけだ」
言い終わるとともに、何発もの雷が帝国城に落ちた。空が白むほどの威力にミランダは悲鳴を上げた。
「ルシアン様!? 城が崩壊します!」
「半壊させるだけだ。帝国はしばらく要塞の修復とインフラの立て直しに労力を取られて、戦争どころではなくなるだろう」
ドシッ、ビシィッと音を立てて、帝国城は原型を崩していった。
ルシアンは限界を見極めるように目を細めて、容赦のない雷を追加していく。
「権力を誇示してこんな高層の要塞を建てるから、雷が落ちるのだ。竜族を手玉に取ろうなどと目論む生意気な青二才の皇帝め……俺を支配できると思うなよ」
理性的なふりをしながらしっかり私怨を晴らしている竜王に、アルルは苦笑いのまま蛮行を見守った。