25 毒物とスパイ
翌朝。
ミランダは懲りずに、竜王の蛮行に付いてきた。
アルルが操縦するスピカに乗って、ルシアンに抱えられている。
3人は姿を透明にしたまま、ベリル王国の郊外の町の上を飛んでいるが、アルルは上空を旋回しながら唸っている。
「おかしいですね……やっぱり、ひとりしかいない」
スパイのうち2人を、河川に毒物を撒く予定日よりも早めに捕獲するために潜伏先に来たが、2人がアジトとして借り上げている小さな一軒家には、1人しかいないようだった。
家の庭に置いたリヤカーには大きな樽が幾つも積んであり、毒物を既に用意している様子だ。
「買い物にでも出かけてるんだろ。帰宅を待つのも面倒だから、先に1人を捕獲しておこう」
ルシアンに指示されて、アルルは森林の中にスピカを着陸させると、ルシアンとミランダの間に入って手を繋ぎ、透明のまま3人でアジトの戸建てに向かった。
戸建ての前に辿り着くと、ルシアンは周囲を見回した。農村に近い小さな町には戸建てが距離を取って点在しており、人通りも少ない。
「ふむ。少し音を立てても問題無さそうだな」
蛮行の予兆にミランダは緊張で息を飲んだ。こんな町中に雷を落として大丈夫なのだろうか。
「アルルとミランダは俺が呼ぶまで、アジトに近づくな」
ルシアンはマントのフードを被ると、アルルから手を離して透明から姿を現した。
そのままアジトの戸建てのドアに向かって歩き、アルルとミランダは透明のまま、固唾を飲んで見守った。
コンコン。
ルシアンが普通にドアをノックすると、ドアが慎重に開いて、男は来客を確認した。と同時に、ルシアンは強引に片手でドアを押さえて内部に押し入った。
バタン! とドアが閉まった後には男のくぐもった声と、ドカッ、ガタン! と中で暴れるような音が鳴り、しばしの後に沈黙となった。
「え? す、素手で?」
雷ではなく単純な暴力で押し入ったのを見て、ミランダは拍子抜けした。蛮行そのものだ。
ドアが少し開いてルシアンが手招きをしたので、アルルとミランダは戸建ての中に恐る恐る侵入した。
「ううう……」
鼻血を出して頬を腫らした男は項垂れて、床に座り込んでいる。髪も服も乱れたまま、グルグルにロープで縛られていた。
小太りで体格のいい男の顔を、ミランダはまじまじと見た。これが敵国のスパイか、という感想よりも、酷く殴られた様子にドン引きしていた。
「暴力は好かんが、町中に雷が落ちたら民がビックリするからな」
ルシアンがフードを下ろすと、見上げた男はギョッとして叫んだ。
「角だ! ……竜族か⁉」
ルシアンは男の驚きを無視して質問をする。
「もう1人の男はどこだ?お前の相棒だ」
「で、出かけた」
「どこに?」
「……」
男は押し入った相手が竜族だとわかって怯えている様子だが、流石にスパイを生業としているだけあって、頑なに口を閉ざした。
ルシアンは面倒そうに「ハァ~」と溜息を吐いて、手刀のように手を振った。
雷が落ちるかとミランダが身構えた瞬間に、縛られた男の横にあったテーブルが、スカン! と乾いた音を立てた。続けて、ゴトン、と床の上にテーブルの端が落ちた。
「え……?」
男もミランダも、思わず声を出した。落ちたテーブルの木片は、まるでカッターナイフで切断したように綺麗な断面を見せていた。
ルシアンはしゃがんで男の目線に目を合わせると、にやりと笑った。
「お前は鎌鼬を知っているか? 高速度の疾風は、人の皮膚を切り裂くのだ」
ルシアンが手刀を斜めに振ると、男の髪がシュッと切れ飛び、その後ろの水差しが、カンッと甲高い音を立てて真っ二つに斬れた。
「きゃあ!?」
ミランダは思わず悲鳴を上げてしまった。
「乙女に残虐な物を見せたくないので、早めに教えて欲しいのだがな。相棒はどこへお出かけした?」
カンッ、キンッ、カツン!
と彼方此方で甲高い音が鳴って、瓶や棚や椅子が次々と切断されていた。その風の刃はすべて男の体を掠めて、切り傷が増えていく。
「ひ、ひぃ……」
「指を一本ずつ切り落とすか、耳と鼻から削ぎ落とすか選べ」
無表情なルシアンの冷え切った黄金の瞳を直視して、男は脂汗をびっしょりとかいていた。
「ど、どこへ出かけたかは、知らない!」
ルシアンが男の耳を掴んで、強く外側に引っ張った。
「痛っ! ほ、本当に知らないんだ!! 隣町のどこかへ行った!」
アルルが思わず横から口を出した。
「隣町に何をしに行ったんです!? 本当に耳が飛びますよ!?」
ルシアンが男の耳の付け根に手刀を当てた瞬間に、男は天井に向かって絶叫した。
「井戸だ!! 井戸を探しに行った! 毒の効果を実験するためだ!」
その声に、ルシアンもアルルもミランダも、時を止めて目を見開いた。