19 醜悪な懺悔室
目前に、フィーナがシスターの姿で椅子に座ったのだ。
そしてさらに、衝立の向こう側に誰かがやってきた。
ミランダはやっと理解をした。ここは教会の懺悔室なのだと。
「神はすべてをお許しになります」
聖女フィーナが聖書を開き、発した無機質な声は何かの合図のように感じた。
衝立の向こうに座ったのは中年の男で、ボソボソと、会話を始めた。
「○月○日 貴族の馬車が山賊に襲われ、商人一行が殺害される」
「○月○日 河川に毒物が流入し、魚が大量に死滅。生活水が汚染される」
「○月○日 南側の商店街で出火し、町が焼失する大火事が起こる」
「○月○日 ザビ帝国が北の地の小国へ侵攻を開始。戦争が始まる」
まるで日記のような、だが、日付は未来を指した、奇妙にして不吉な羅列が続く。
聖女フィーナは一言も答えずに、素早く聖書にメモを取っていた。
ミランダは膝が震えた。
これは予言だ。これから起こる災いや隣国の戦況を、懺悔室を使ってフィーナに伝えているのだ。そしておそらく、災いのすべてが人災であり、これからこの中年の男が故意に起こす予定の一覧なのだ。
「神よ、お許しください」
中年の男が棒読みで締めると、今度はフィーナが会話を始めた。
「○月○日 ジョゼフ王太子と聖女フィーナの正式な婚約発表」
ミランダは思わず、体が揺れた。
アルルがそっと握る手に力を入れて、我に返る。背筋を伸ばして冷静に会話を聞き続けた。
中年の男が下卑た笑いを溢し、フィーナも愉しそうな声をより潜めた。
「ボンクラの王子を騙すのは簡単だったわ。予言が当たるたびに私にしがみついて、次はどうしたらいい? 次はどうなる? って。狂信しちゃって」
「よく元婚約者から略奪したな。相手は侯爵令嬢だったんだろ?」
「生意気そうな女だったし、後々面倒だから、竜に食わせてやったわ」
ヒヒヒ、と男もフィーナも下品に笑っている。
「どうせこの国の奴らは帝国に敗戦して竜の餌になると決まってるんだ。竜も人間の肉に味をしめただろう」
「いいご身分の令嬢ですもの。さぞ旨かったでしょうね」
残酷な言葉を交わす醜悪な顔に、ミランダは衝撃を受けていた。ジョゼフ王太子の前で淑女のふりをしていた、あの聖女と同一人物とは思えない豹変ぶりだった。
♢♢♢
森林近くの丘にアルルとミランダは戻って来た。
ふたりは芝生に座って、王都を見下ろして眺めている。
「はぁ……」
ショックで呆然としているミランダの横でアルルは小さなノートを取り出して、覚えた内容を書き取っている。
「お妃様。お気を確かに。よく最後まで堪えましたね」
「大丈夫よ。ただ、びっくりしただけだわ」
「今日、フィーナがここであの男と落ち合うことは事前にわかっていました。毎週ボランティアを装って、フィーナはあの懺悔室を密会の場にしているのです」
「フィーナはいったい、何者なの?」
「ザビ帝国が仕向けたスパイです。予言者を騙り、ベリル王国の中枢に関わって情報を帝国に流し、王軍の隙を作って侵攻させる目的です」
「そ、そんな! じゃあ、この国はどうなってしまうの?」
聞かなくてもわかりきった事だった。隣国であるザビ帝国とは地下資源を巡って、度々小競り合いを起こしてきた。資源に乏しい隣国はスパイを使って、ベリル王国内部から転覆を目論んでいるのだ。
「最初はお妃様の冤罪を晴らすために聖女フィーナの嘘を暴くつもりだったのですが、藪を突いたら大蛇が出て来ました」
「侵略のために王太子の婚約者の地位が必要だったのね。私はてっきり、聖女フィーナはジョゼフ王太子に恋をして、私を失脚させたのだと思っていたわ」
「ジョゼフ王太子は踊るピエロだと、ルシアン様は仰っていました」
ミランダは不謹慎にも、笑いがこみ上げた。ルシアンの心地よいバリトンの声と傲慢な言い草が想像できて、急激に本人に会いたくなっていた。
夕方になって、スピカに乗ったアルルとミランダは竜族の森へ帰った。
城に近づく頃、アルルはビクッと、肩を揺らした。
「あわわ、まずいです。ルシアン様が城に戻ってる」
予定よりも早く帰って来たようで、上空から遠目で見ても、竜王城に猛烈な雨が降っているのがわかる。
「アルル君が怒られないように、私が説明するわ」
ミランダはそう言いつつも城に近づくにつれ、城の前に仁王立ちしているルシアンの姿から強い怒りを感じて腰が引けていた。
「た、ただいまです……」
スピカから降りたアルルは小さくなりながら、ルシアンに頭を下げた。
ミランダも隣で一緒に頭を下げた。
「お留守番の約束を破ってごめんなさい」
ルシアンは土砂降りの雨を背に「ハァ~」と怒りをコントロールするように溜息を吐いている。
「アルル。何故、ミランダを偵察に連れていったのだ?」
案の定責められるアルルの前に、ミランダは庇うように飛び出した。
「違うんです! 私が無理に頼んで、同行したのです!」
「ミランダ。何故そんな危険な真似を? 君が生きていると知ったら、ベリル王国の頭のおかしい連中がどうすると思う?」
ミランダは自分の三つ編みを両手で持って見せた。
「変装をしました! 私だとわからないように!」
「うむ。可愛いな……でも、ミランダだとわかるよ」
褒めたいのか、責めたいのか曖昧になったルシアンに、ミランダは毅然と宣言した。
「私は、竜王の花嫁です。自分の仇の素性を知るために敵の懐に忍び込む勇気くらい、持っています」
ルシアンは目を見開いてショックを受けたようだった。仁王立ちで組んでいた腕を解いて、フラフラと歩いて来た。
背筋を伸ばしてこちらを見据えているミランダを惚れぼれと見つめている。
「美しく可愛くて、格好いいだと……最高の花嫁じゃないか」
歓喜で震える手で、ひしと花嫁を抱きしめた。
ひとまずお叱りを免れたアルルは、どう転んでも恋をする竜王を感心と呆れの半々の気持ちで見上げていた。




