17 泣いた子のおやつ
翌日のおやつの時間に、クッキーは無かった。
午後からルシアンはキッチンに閉じこもって、何やら作っているようだった。
掃除をしながら城内をウロウロしているミランダは、昨晩の夢の一件で呆然としながらも、頭上にはおやつの絵が点滅していた。
パイか、それともケーキか?
「私ったら、ひどい食いしん坊だわ」
恥じらいで頬を染めて、いそいそと箒でロビーの床を撫でた。
キッチンの中では、ルシアンのおやつ作りをアルルが手伝っている。
「お妃様の様子がおかしかったので心配していましたが……やっぱり悪夢にうなされたんですね」
「ああ。ミランダは新しい生活に対応するのに精一杯で、心の傷と向き合えていなかっただろうから……ひとりぼっちになったタイミングで思い出してしまったのだろう」
会話をしながらグラスにスイーツを盛り付けているルシアンを、アルルは見上げた。
「それは竜王様の経験からですか?」
「うむ。俺もアルルがこの城に来るまで、ひとりで考え過ぎていた」
「優秀な配下ができて、元気が出たということですね?」
「いや。ごはんを食べさせたり、寝かし付けたりと忙しくなって、悩む暇が無くなったのだ」
「また僕を子供扱いして……」
ムクれるアルルを見下ろして、ルシアンは笑った。
しばらくして、キッチンからアルルが元気に飛び出した。
「お妃様、おやつの時間ですよ!」
アルルの声に、ミランダは箒を持ったまま振り返った。
アルルの隣にはエプロン姿のルシアンも立っていた。片手で持った盆の上には、グラス入りの輝くスイーツが載っている。
「竜王パフェの完成だ!」
ミランダは謎のスイーツへの好奇心と期待で、目を見開いた。
「竜王……パフェ?」
食堂のテーブルに配膳された竜王パフェは、小さな丸いレースの上に置かれた。
ミランダの目前にある背の高いグラスには、夢のような景色が重なっている。
赤、白、ピンクの地層の上に白いドーム。生クリームと赤いソース。色とりどりのフルーツシャーベット。ミントの葉がてっぺんに飾られて、それはカラフルな塔のようだった。
「これが、竜王パフェ?」
見るからに楽しげな塔をミランダは眺め続けた。色彩のバランスが良くて、まるで芸術品のようだ。
ルシアンはパフェの向こうで笑っている。
「早く食べないと、溶けてしまうぞ」
ミランダは慌ててスプーンを手に取って、白いドームに赤いソースを絡めてすくうと、口に含んだ。
「!!」
それはバニラアイスと苺のソースだった。
ひんやり、とろり、と舌の上で溶けて、直後にふわっ、とバニラと苺の香りが広がった。
余韻に浸りたいのに、手はまるで焦るようにスプーンで塔を攻略する。次は生クリームとフルーツと、アイス。組み合わせを変えてすくうたびに、口内で違うハーモニーが生まれる。思い切って地下を探ると、なんとスポンジケーキの層があり、まるでケーキ、いや、アイスケーキ! ミランダは混乱に近い脳内実況をしながら、パフェに齧り付いた。
隣でアルルも無言でパフェを攻略している。ふたりが必死にスプーンを上下させているのを眺めて、ルシアンは満足そうに微笑んでいた。
空になったグラスを前に、ミランダは呆然と呟いた。
「冒険だわ……パフェは地層で、塔だもの」
今まで食べたどんなスイーツよりも夢中で食べた。長いようで短いトリップだ。
またもや食いしん坊ぶりを見せてしまって、ミランダは今さら恥ずかしそうにナプキンで口を拭いた。もしやアイスクリームまみれだったのではないかと不安になる。
「流石の竜王パフェですね。こんなに贅沢な冷たいデザートを食べたのは初めてです」
「うむ。氷竜ポラリスのおかげで、作ったアイスクリームを冷凍庫にストックできるからな」
ルシアンはにやりと笑って、アルルを向いた。
「竜王城では、泣いた子にはパフェを食べさせると決まっている。なあ、アルル」
アルルは赤面して頷いた。
「はい。以前、僕が竜に上手く乗れなくて泣いた日に竜王様は作ってくれました」
ミランダは悪夢で泣いた自分を慰めるために、ルシアンが特別なパフェを作ってくれたのだとわかって、嬉しさと恥ずかしさで真っ赤になった。
紅茶が空になると、ルシアンは立ち上がった。
「さぁ。今度は本当の冒険だ。高原地帯に水やりに行くぞ」
「水やり、ですか?」
ルシアンはミランダに手を差し出した。
「穏やかな風が吹く、安全な場所だ。花嫁殿も視察に行こう」
ミランダはガタと立ち上がって、笑顔を輝かせた。竜王のお仕事にやっと同行できるのだと、胸が弾んだ。
「はい! ご一緒します!」
スコーピオは森の木々の少し上まで上昇して、ゆっくりと滑るように飛行を始めた。
温泉に行く時に乗ったスピカよりもさらに高さのある飛行に、ミランダはルシアンにしがみ付いた。竜の上でほぼ抱っこされた状態のまま、流れる竜族の森の景色を目まぐるしく眺めた。
爽やかな青空と優しい風の中、静かに飛ぶ竜の背中は快適だ。
しかも大事に抱っこされて、ミランダはくすぐったいくらい幸せな気持ちになっていた。
「竜の森はこんなに広大で、大自然なのですね」
「ああ。人間が入れないから、太古の自然そのままだ。竜以外の動物も沢山いるぞ」
「怪鳥とか?」
「それはもっと奥地だな。この一帯は危険な動物はいないから安心してくれ」
やがて開けた緑の丘が見えて、スコーピオはゆっくり着陸した。
「わあ、一面のお花畑!」
そこは春の花がそよそよと咲き乱れる、高原の緑地帯だった。
丘から向こうには険しい岩山の地層が見えて、その向こうには、まだ雪を被った青い山脈が連なっている。
爽やかな風に吹かれて花弁が舞う野原は幻想的で、ミランダはしばし景色に見惚れた。
隣にルシアンが立って空を見上げている。
「この辺りにはしばらく雨が降らなかったからな。今日は水やりだ」
ミランダは視察の目的をすっかり忘れていた。こんなに広大な花畑にどうやって? と一瞬、バケツリレーを想像したが、それは杞憂だった。
ルシアンが目を瞑って何かに集中するように空を仰ぐと、青空に雲が四方から流れて集まり、やがてその雲からポツリ、ポツリと雨が降り出した。
サ——……
お天気雨が優しくシャワーのように降って、お花畑はあっという間に潤いを取り戻した。
「気持ちのいい雨……竜王様はこんなに柔らかな雨も恵んでくださるのですね」
「竜だけでなく、この自然豊かな土地を守るのも仕事だからな」
森から鳥たちが飛んで来て、久しぶりの雨に、はしゃいで花畑で転がっている。森の中から何頭かの竜も出て来て、気持ちよさそうに雨を浴びていた。
楽園のような景色を微笑んで眺めていたミランダは「あっ」と目を見開いた。
目前に見事な七色の虹が掛かっていた。広大な花畑の端から端まである、大きな虹だ。
「ルシアン様! 虹が!」
笑顔でルシアンを見上げると、ルシアンはいつの間にか摘んだ白い花を手にして、ミランダの髪に飾った。
「俺の花嫁は可憐で美しい」
うっとりと見つめるルシアンの腕にミランダは手を添えて、肩に頭を預けた。
「今夜きっと、私は夢を見ますわ。お花畑と虹と、竜王様の」