16 悪夢を喰らうもの
夕食の下準備が終わる頃にルシアンが帰ってきて、玄関に向かったミランダは満開の笑顔でお迎えした。
「ルシアン様、おかえりなさい!」
「ただいま」
ルシアンはミランダに歩み寄ると、笑顔で見上げるミランダをじっと見つめてきた。ミランダは涙の跡がバレるのではないかと緊張する。
「花嫁よ。何も変わりなかったか?」
「はい! アルル君と一緒に野菜を洗いました!」
「ふむ。偉いな」
「うふふっ」
楽しい夕食の時間を過ごして、元気に片付けを手伝って……。
就寝の時間はあっという間にやってきた。
「おやすみなさい」
ルシアンとアルルに穏やかに挨拶をして、ミランダは客室に戻った。
扉を閉めてひとりになると、深呼吸をした。
「大丈夫。もう寂しくないし、ごはんは美味しいし。私、元気になったわ」
自分に言い聞かせながら灯りを消してベッドに入ると、やかましい音が聞こえる。
ドッ、ドッ、と荒ぶる自分の鼓動の音だ。
しんとした暗闇の中で、またじわりと心が揺れていた。
「あの悪夢のせいで、恐怖心が蘇ってしまったのね」
昼寝で見た悪夢を思い出し、眠るのが怖くなっていた。
起きたまま何度も寝返りをうって、無意識にまた祖国に想いを巡らせている。
何故、自分があんな惨めな目に遭わなければいけなかったのだろう?
ジョゼフ王太子は自分が犯した過ちに、ずっと気づかないのだろうか?
あんな偽物の予言に従うベリル王国は、これからどうなってしまうんだろう?
嫌な想像を浮かべては消してを繰り返すうちに、ミランダはやっと眠りについた。
だが、眠りの先はあの、断罪の舞踏会だった。
扇子で顔を隠した貴婦人達が自分を指し、嘲笑い、軽蔑している。
自分は無実のはずなのに、ドレスはあの小瓶の中の毒物で穢れていた。
「侯爵令嬢ミランダ。貴方がその毒を盛って、王族を殺したのですよ」
ジョゼフ王太子と聖女フィーナは寄り添って笑っている。
「ち、違う、私は毒なんて知りません! 私じゃない!」
「嘘を吐くな! お前の目の色は怪しい! フィーナはすべてを見たのだ!」
「何故……何故、私の話を聞いてくれないのですか!? 貴方が婚約者である私の話を聞いてくれないから、私は……私はあんな酷い目に……!」
「ミランダ、ミランダ!」
ミランダは自分を呼ぶ声がジョゼフ王太子ではないと気づいて、目を覚ました。
ベッドの上で、またびっしょりと汗をかいて泣いていた。
その頬に温かい手が触れていて、ミランダは暗がりの中でルシアンが近くにいるとわかった。
ベッドサイドに小さな灯りが置かれて、ルシアンの夜空色の髪を照らしている。
「……ルシアン様?」
「廊下を通ったら、うなされている声が聞こえた。大丈夫か?」
「わ、私、夢を……」
ミランダはパニックになって、上半身を起こした。
「ご、ごめんなさい。夢を見ただけなんです」
ルシアンは「うむ」と言ってベッドに腰掛けて、ミランダの背中と枕の間に手を回すと、そのまましっかりとミランダを抱きしめた。
「!?」
急な接近にミランダは頭が沸騰しそうになったが、温かい腕と頼もしい胸に包まれて、強張った身体から力が抜けた。そっと目を瞑ると、ルシアンはそのまま髪を優しく撫でている。まるであやされる子供のように、ミランダの心音は穏やかになっていった。
「どんな悪夢を見たんだ?」
「な……何でもないです……」
「俺には何も隠さなくていい。ミランダは俺の花嫁なのだから」
「でも……ただの夢で……」
ミランダが戸惑っていると、ルシアンは思わぬ言葉を口にした。
「俺がその悪夢を食べてやるから、言ってごらん」
「悪夢を……食べる?」
「漠という動物を知っているか? 奴は夢を食べるのだ。漠にできる芸当を竜王ができないわけがないだろう」
嘘のような本当のような発言に、ミランダはルシアンの胸の中でくぐもった笑いを溢したが、やがて訥々と、夢で見た物を報告した。
ルシアンはひとつひとつ「うん」「うん」と丁寧に返事をしながら、ミランダが吐き出すすべての悪夢を、飲み込むように聞いた。
「……」
心の中にあった恐怖も、不安も、悔しさも、全部出し切ると、ミランダはルシアンの胸から顔を上げた。不思議な事に気持ちがスッキリとしている。
ルシアンの黄金色の瞳が自信に満ちた輝きでミランダを見下ろしていて、まるで本当に悪夢を食べてしまったのではないかと信じてしまう。
「ふーむ。全部食ったぞ」
「ふ、ふふふっ」
「最後に口直しだ」
笑うミランダの額に優しく口づけをすると、そっと枕に寝かせて布団を掛けた。
ミランダはおまじないに掛かったように、微睡んでルシアンを見上げた。
「悪夢を見たら俺を呼ぶんだ。夢なんぞ、いつでも食べ尽くしてやるからな」
にやりと笑う鋭い犬歯に説得力を感じて、ミランダは頷いた。
竜王に食べられてしまった悪夢はそれから現れることなく、ミランダは朝までぐっすりと眠った。