12 火竜の湯
断捨離で大量の貢ぎ物が無くなった城は広々として、重厚なデザインで統一されたゴシックな竜王城に生まれ変わっていた。
「ふ~、だいぶ綺麗になりましたね」
アルルは箒やハタキを手に、汗を拭った。
ミランダは豪快に掃除を進めるルシアンとアルルの後を付いて廻っただけの気がするが、一緒に埃まみれになっていた。
「ああ、花嫁殿が汚れてしまったではないか」
残念そうにミランダの埃を払うルシアンは独り言を続けた。
「これはゆだな……」
「ゆ?」
ミランダがキョトンとすると、アルルがこちらを見上げた。
「ゆ、ですね! そうしましょう!」
「ゆって、いったい何?」
ミランダの謎は置いてけぼりのまま、ルシアンとアルルは準備に奔走した。
数分後。ミランダはあの青い竜、スピカの背中に乗っていた。
「あ、あ、きゃあぁ……」
スピカはたった数メートル浮かんで低空をゆっくりと飛んでいるだけだが、竜の背中に乗り慣れないミランダは、乗るたびに驚いてしまう。
「う、浮いてる! 浮いてる!」
当たり前の状況を解説するミランダを、前に座っているアルルは笑っている。
「大丈夫ですよ。ゆっくり移動するだけですから」
スピカはアルルに従って、地面の上をゆっくりと進んでいく。
夕と夜の狭間の森の、風に揺れる木々の景色が流れて、後ろの竜王城が小さくなっていく。
どこまでも深い森はだんだんと岩の壁や石ころの地面を見せて、景色を変えていった。
「あ! あれは、何?」
「到着しましたよ」
ほどなくして、スピカは岩場にゆっくり舞い降りた。
ミランダはアルルに補助されてスピカの背中から降りると、目前にある異質な物に釘付けとなった。
「これが……ゆ?」
「はい。ゆです」
険しい岩場の中には円形の泉があり、その泉は不思議なことに、もうもうと湯気を立てていた。
「ゆって……お湯。お風呂のこと?」
ミランダが恐る恐る湯気の立つ泉に近づくと、それは確かに大きな天然のお風呂のようだった。
「はい。温泉とも言いますね。この岩場の地底には火竜の寝床があって、地底から湧くこの泉は、常に温められているのです」
「火竜の寝床の温泉……」
ミランダは天然の温泉を見るのは初めてで、自然の中にお風呂がある景色が信じられなかった。
ミランダにとってお風呂といえば、室内にある猫脚の小さなバスタブであり、沸かした湯はすぐに冷めてしまうものだが、この泉はずっと温かいのだから凄いことだ。
「はい。お妃様。ごゆっくり湯に浸かってくださいね」
アルルに突然、タオルや石鹸やガウンが入った籠を渡されて、ミランダは慌てた。
「え!? 私ひとりで!?」
「当たり前ですよ。僕が一緒に入ったら、竜王様にぶっ飛ばされます」
「そ、それは……そうかしら」
「そうですよ」
アルルはスピカを湯の側に置いて、後ろに下がった。
「見張り役にスピカをここに置いておきますね。僕は向こうにいるので、何かあったら呼んでください」
「わかったわ」
大きな岩の影とはいえ、外で裸になるのは勇気がいって、ミランダは服を脱ぐのに時間がかかった。
澄んだ瞳でこちらを見ているスピカと、離れた場所で岩に座って後ろを向いているアルルをもう一度確かめて、ミランダは思い切って服を脱いだ。
春とはいえ夜に差し掛かった森には冷たい風が時折吹いて、思わず身体を縮める。湯の脇に置いてある桶で湯をすくって、冷えかけた身体にそっと掛けてみた。
「あっ……!」
湯は温かく柔らかく、ミランダの身体を解した。大量の湯気とともに湯は汚れだけでなく、疲れも流してくれるようだった。
髪を纏めて身体を洗って、ミランダは湯に浸かった。
「あ……ああ~……」
蕩けてしまう。
そう。あのクリームスープの怪鳥のように。
ミランダは口を開けたまま手脚を伸ばして、しばし絶句した。猫脚の小さなバスタブとは桁が違う快感が押し寄せていた。
そっと目を開けると、一面に夜空が広がっている。風と湧き出る湯の音だけが聞こえて、ミランダは心も身体も癒されていた。
「なんて気持ちいいの……」
独り言を呟いて横を見上げると、スピカも真っ直ぐに空を見上げていた。神秘的な金色の瞳がルシアンと同じ色をしていて、ミランダは頬を染めた。
「あなたはきっと女の子ね。青い鱗も、金の瞳もとても綺麗だもの」
「クゥ……」
スピカが目を細めてこちらを向いてくれたので、ミランダは自分の言葉が理解されている気がして嬉しくなった。まるで女の子同士の会話のように、ミランダは誰にも言えない気持ちを言葉にしてみた。
「ねぇスピカちゃん……竜王様は素敵な方ね」
「クゥン」
「竜王様は頼もしくて大胆で……それに優しくて誠実で。素直なところも素敵だと思うの」
「クゥ」
「スピカちゃんもそう思う?」
「ク~」
「私、竜王様の前だと照れてしまって言葉が変になったり、赤くなったり……恥ずかしい感情がいっぱい出てしまう。こんなことって、今までなかったのよ?」
ミランダは幼い頃から社交の場で感情を顕にしないよう教育を受けてきたので、こんなにも感情が現れてしまう自分に動揺していた。
「はぁ……胸がドキドキするのはね。ルシアン様が人間離れして神々しいからよ。あんな素敵な方を前にしたら、誰だってきっとこんな気持ちになるわ」
ミランダは湯でのぼせているのか、自分の気持ちでのぼせているのかわからなくなって、饒舌に喋る自分の顔にお湯を掛けて誤魔化した。