10 疑惑のオルゴール
朝日が満ちたロビーで、ミランダは大きな鏡に魅入っていた。
牢獄で過ごした間にカサカサになっていた肌が、まるで高級な美容液でも使ったかのように艶やかになっていた。
「怪鳥のコラーゲンって……凄い」
栄養に満ちた食事のおかげで、ミランダは本来の美肌を取り戻しつつあった。
ほっぺを突いたり、摘んだり。鏡の中の艶々の自分を見つめているうちに、鏡にルシアンが写っているのに気づいた。いつの間にか食堂からロビーにやって来たようで、ミランダは慌てて振り返った。
「お、おはようございます! ルシアン様」
「おはよう、花嫁殿」
ルシアンはにこやかな笑顔でミランダに近づいた。
焼きたてのパンの芳しい香りを纏って現れたルシアンの黄金色の瞳は、やはり今日も神々しく輝いている。
「だいぶ顔色が良くなったな」
ルシアンがマジマジと自分の顔を見つめるので、ミランダは赤面した。
「は、はいっ。ルシアン様の美味しいごはんのおかげです。コラーゲンとか、あの、怪鳥の」
「うむ。お肌が艶々で、一段と可愛い花嫁になったぞ」
「あっ、あ……りがとうございますぅ」
自分を見下ろすルシアンの愉しげな笑顔に照れて、ミランダは言葉が辿々しくなっていた。
「夜はちゃんと眠れているか?」
「それはもう、ぐっすりと……一昨日も昨晩も気絶したみたいに眠ってしまいました。ずっと不眠だったからでしょうか」
「そうか。それなら良かった」
ルシアンは労わるように、ふと優しい顔になった。その憂いのある表情に、ミランダは竜王の新たな面を見た気がして嬉しくなった。
♢♢♢
午後になって。
アルルはマントを羽織って肩掛け鞄を持って、玄関先に立った。
「それじゃあ、行って来ますね」
見送るルシアンの隣で、ミランダは心配顔になる。
「出かけるって……アルル君ひとりでどこへ?」
「街ですよ。食料を買ったり、ルシアン様のおつかいです」
「ひとりで街へ!? そんなの危ないわ!」
確かに買い出しはアルルの担当だとは言っていたが、いざ小さな子供がひとりで出かけるのを見ると、何とも心もとなかった。
アルルが空を見上げると、バサッと大きな羽音がして、上空から大きな青竜が降りて来た。風圧でミランダの髪もスカートも舞い上がる。
「きゃあ!?」
ミランダは驚いて後ずさり、アルルは元気に竜に飛び乗った。アルルは手綱を持つと、こちらに手を振った。
「お妃様、ルシアン様。夕方には戻りますね」
「ああ、気をつけて。アルルを頼んだぞ、スピカ」
「いってきまーす」
〝竜に乗ったおつかい〟というあまりに目立つ絵にミランダは慌てるが、アルルと竜のスピカは飛び立つ寸前に、忽然と消えた。
「え!?」
ミランダは周囲や上空を見渡すが、何もない。
まるで狐に摘まれたようにキョロキョロすると、ルシアンがその様子を見て笑っていた。
「ハハハ、竜族の力に驚いたか。アルルは姿を消すことができるのだ」
「姿を消すって、透明人間!?」
「しかも、アルルに触れた物は一緒に見えなくなる。竜ごと国境を越えるのも簡単だ」
「し、信じられない……」
得意げに微笑んでいるルシアンと驚いたままのミランダはしばらく見つめあったが、アルルが出かけて今日は城にふたりきりなのだと互いに気づいて、同時に緊張し、ぎこちなくなっていた。
「えっと……俺はアルルにご褒美のパイを焼いておこうかな」
「あ、わ、私、お手伝いします!」
「いや、花嫁殿はまだ疲れているはずだ。ゆっくり昼寝でもしてくれ」
「でも……」
ルシアンはキザに手を挙げて、キッチンに行ってしまった。
ミランダは昨晩しっかり眠ったので眠れそうにない。
誰もいない城を見回すと、気になっていることを調べにこっそりと応接間に向かった。
「うわぁ~。ここも凄い物の数だわ」
本来は優雅なソファがある広々とした応接間だが、やはり他の部屋と同じように美術品やら家具やらが詰め込まれて、物置状態になっている。
ミランダは端からひとつずつ、丁寧に調べた。
巨大な絵画、金色の花瓶、木彫りのチェス盤、猫脚のチェスト……。
どれも高価で美しい品だが、ミランダには何か違和感があった。ひとつずつ手で触れていくと、時々モヤッとした感触があるのだ。それぞれ綺麗に掃除されているので、汚れが気になるのとはまた違う気持ちの悪さだった。
竜王城に来るまで物に対してこんな気持ちになったことは無かったのだが、異常な量の物に出会ったことで、ミランダの中に不思議な感覚が芽生えていた。
「これ……凄くモヤッとする」
ミランダは中でも特に妙な感覚がある品を手に取った。
それは両手で持てるサイズの、美しい細工のオルゴールだ。
雑多な廊下とロビーを躓かないように歩いて、ミランダはオルゴールを持ったまま、キッチンを覗いた。
広いキッチンでは、長い髪をポニーテールにしたルシアンがエプロンを着けてパイを作っている。鼻歌を歌って楽しそうだ。
「あの……」
「うわ!?」
ルシアンは驚いて振り返り、慌てて調理器具を置いた。
「は、花嫁殿。これはその、髪が邪魔だからな」
突っ込まれてもないポニーテールについて言い訳している。
ミランダはルシアンの近くまで来て、作っているパイを覗き込んだ。
網目の模様の天井には、パイ生地で作られた小花が飾られていた。
「メルヘンチックで可愛いパイですね」
「ふふ。花嫁殿の方が可愛いが……」
素直に言っておきながらルシアンは照れて、同じく照れているミランダが、オルゴールを抱えているのに気づいた。
「その箱はどうしたんだ? 気に入ったのか?」
「あ、違うんです。何て言うか、このオルゴールは何か変だと思って」
「変?」
ルシアンは首を傾げるとオルゴールを取り上げて、いろんな方向から見つめた。
蓋を開けると鳩が回って、音楽が流れる。
ミランダはますますモヤッとするが、ルシアンにはその感覚がわからないらしい。
「オルゴールの内部を分解してみてもいいですか?」
「ああ、勿論かまわないよ」
ミランダの妙な提案にルシアンは意味がわからないまま、テーブルの上でオルゴールをいじるミランダを眺めた。
だが、オルゴールの機械部分は開かなかった。樹脂でしっかりと接着されているようだ。
「変だわ。普通は壊れた時に修理できるよう、開けられるはずなのに」
必死に開けようとするミランダを手伝おうとルシアンが手を伸ばしたが間に合わず、ミランダは手を滑らせて、オルゴールをテーブルから落下させてしまった。
ガチャーン!
大きな音が鳴って、オルゴールはバラバラに壊れた。
「きゃあ! ご、ごめんなさい!」
「大丈夫だ。怪我は無いか?」
ルシアンが破片を拾い、ミランダも慌てて拾うが、ミランダは途中で手を止めて、破片の一部を凝視した。
「こ、これは……」
背中がゾゾゾ、と粟立って、顔面が蒼白になる。
そこには、あってはならない物があった。