「わたくしは一度、貴方にお目にかかりたいとは思っていたのです」 「それは光栄な話ですが、何故でしょう?」
「さて、行くぞ」
「こ、ここに、ですか……?」
スオーチェラ夫人が住む屋敷を前にして、なぜかアルゴを盾にして後ろで外套を掴んでいるウルズは、頬を引きつらせている。
「他にどこに行く?」
ほぼ予定の時間通りであることを懐中時計で確認した後、ピッと外套の裾を引いて狼少女の指を外し、スタスタと進む。
「どど、どう見ても大貴族のお屋敷じゃないですかー!!」
「当然だろう。お前はさっきの話を聞いていたのか?」
巨大なギルド一つ作ろうというのに、そのパトロンになる財力があると目す相手が、並程度の貴族であるわけがない。
「中に入ったら、なるべく口を閉じておけ」
「喋れって言われても無理ですよ……!」
左右を見ても上を見ても、端も中も見えない広大なレンガ壁に覆われた敷地。
身長の三倍以上ありそうな巨大な格子状の門に、その前に立つ警護の門番。
門の向こうには道が続いており、その半ばには白亜の噴水と壁と同じくレンガ造りの広場と花壇。
その奥に見えるのが、門の横幅にも収まりきらない屋敷だった。
ーーーまぁ、俺の借金の額なら下手すると買えるかも知れんが。
そんな風に思いつつ、不審そうにこちらを見る門番に要件を伝えると、思いの外あっさりと屋敷の入り口まで通された上に、ノッカーを鳴らした門番がさっさと門に戻る。
「……逆に良いのか……?」
思わず小さくつぶやくと、その声を聞きつけたらしき女性の声が、開いたドア……いや『扉』の向こうから聞こえてきた。
「あら、イーサの紹介でいらっしゃったお客人でしょう? 歓迎致しますわよ」
顔を見せたのは、青い髪を持つ美女だった。
ずいぶんとイーサに対して気安そうな印象の彼女は、首元まである高級そうな、髪と同色の礼服を身につけている。
ドレスではなく、パンツスーツタイプのもので、さらに腰に細身の剣を下げていた。
舞闘士、と呼ばれる貴族階級に多い戦士の服装だと、アルゴは見て取った。
ーーー娘、か?
スオーチェラ夫人は剣の腕も立つ、と聞き及んではいたが、目の前の美女は年若い。
こちらの心を読んだように、現れた彼女は優雅に頭を下げる。
「アナスタシア・トレメンスと申します、アルゴ様。ご心配は不要ですわ」
頭を上げた青髪の美女は完璧な微笑みを浮かべて、首を傾げた。
「貴方様を暴漢とは思いませんし、仮にそうであっても問題はございませんので」
ーーーなるほど、腕が立つのはスオーチェラ夫人だけではないということか。
アナスタシアの声音に滲む不遜ではない自信に、アルゴは納得しながらにこやかに笑みを返した。
「不躾な言葉を聞かれてしまったようで、申し訳ありません」
「お気になさらず」
彼女に案内されて赴いた巨大な暖炉のある客間で、スオーチェラ夫人はすでに待っていた。
黒い杖を片手に、一分の隙もない様子で立っていた彼女は完璧な無表情だった。
まるで感情が読めず、瞳すらもまっすぐこちらを見つめたまま動かない。
歳を重ねている証に、口元と目元には微かなシワがある……しかしそれ以外は、さながら人形のようだった。
容姿はアナスタシアによく似ているが、奥に隠した威圧感が比ではない。
商売を戦場とするアルゴにしてみれば、ただ腕が立つだけの相手よりも遥かに手強い交渉相手だろう。
一目でそれを悟ったアルゴは、賓客に対する時の笑みで恭しく頭を下げる。
「お初お目にかかります、スオーチェラ・トレメンス夫人。アルゴ商会という小さな商会を経営しております、アルゴ・リズムと申します」
「ご丁寧に、ありがとうございます。……ですが、小さな商会とはご謙遜が過ぎますわね」
アルゴなど到底及びもしない完璧な所作で礼を返したスオーチェラは、ソファを勧めて来た。
恐縮したフリをしながら腰掛けると、ウルズは座らずに後ろに立つ。
「そちらのお嬢様も、どうぞ」
「けけ、結構です! 私はご主人様の使用人ですので!」
前髪で顔を隠しているからか、彼女はどもりつつも普通に受け答えをした。
スオーチェラはそれ以上は重ねず、一つうなずいてからこちらに視線を戻す。
「わたくしは一度、貴方にお目にかかりたいとは思っていたのです」
「それは光栄な話ですが、何故でしょう?」
スオーチェラ夫人がこちらを知っていたことも驚きだったが、その言葉を訝しく思う。
さらに先に質問をさせられ、機先を制されたことに舌を巻いていた。
「我が甥が、ずいぶん世話を掛けているようですから」
「甥……?」
嫌な予感がした。
アルゴが世話を掛けている、と言われるような男は、一人しかいない。
「貴方のところに足繁く通っているかと思いますが」
彼女は初めて少しだけ感情を表した。
どこか不快そうな様子でわずかに目を細めて見せた後、こう重ねる。
「ーーー現公爵家当主の次男坊である、イーサ・トレメンスが」