第88話 侵攻の問題②
本日はこの1話のみの更新となります。
現在、新作小説を執筆中です。
そのため、しばらくの間、日曜日以外の投稿は12時更新の1話だけとさせていただきます。
本作を楽しみにしていただけている読者の方々には申し訳ございませんが、何卒ご理解の程よろしくお願い致します。
おっ、痺れを切らした歩兵部隊がついに堀を降り始めたぞ。
正面から乗り越える作戦に切り替えたんだろうな。
堀は水の入ってない空堀である。
水で満たすことも視野には入れたが、今回は見送った。
仮に水堀にしていた場合、川と接続するための大規模な造成工事が必要となる。
水深も一定に保つ必要もあり、土地の傾斜も調べる必要が出てくる。
とてもじゃないが、如何に魔法が使える世界とはいえ1週間程度で間に合わせることができる代物ではない。
実際、空堀を作り終わって、2日で攻めてこられたのだ。
水堀にしていたら、今頃中途半端な防衛システムで奇襲を受ける形になっていただろう。
それに、空堀の方が色々と仕掛けやすいんだよね…
《分解結界》が施された壁と堀は先ほどの矢の応酬など、物ともせずに依然無傷であった。
若干雲量の多い空から降り注ぐ日差しを受けて、その照り返しが実に眩しい。
堀から数10m向こうは下準備により、樹木を切り倒して終え、更地になっている。
無論堀に降りにくくするためだ。
堀の深さは5mーービルの2階弱相当の高さだ。
地球であった場合、訓練を受けた者でない限りは、多少なりとも怪我をするだろう。
ましてやこの戦場の真っ只中だ、いつも通りに動けることはそうそうない。
怪我をする危険性は上昇する。
身体能力を上げる《身体強化》を通常のゴブリン種が持っていないことは確認済みだ。
結果として、1人がロープなどの長い物で降り、複数人でそれを引っ張るという選択肢を取らざるを得ない。
案の定ゴブリン達は想定通りの作戦に出た。
どこかからか太めの木の蔓を持ち出して来て、ロープ代わりにし始めた。
降りる者がゴブリンであれば、支える者もゴブリン。
小柄なゴブリン同士であるため、1匹のゴブリンを支えるために5、6匹単位で支えている。
しっかりと落ちないように身体を蔓で固定しながらな…
「おい、本当に大丈夫なんだろうな?貴様の策とやらは。」
俺と同じようにゴブリンの動きを見ていたOXさんから疑問の声が上がる。
前から思っていたが、OXさんって心配症だよな。
単に俺を信用し切れていないって可能性もあるが。
まあ、眼前のゴブリン達は着々と降下作業を行なっているからな。
そして、堀の中ほどに至ろうとしたその時、事態は動いた。
「ギャ?」
最初に異変に気づき、言葉を発したのは支える側であったゴブリンだった。
身体が徐々にだが、堀の方へと移動しているのだ。
これはどうしたことだ?
相手側のアクションは見ていた限りなかったはずだ。
それなのに、明らかに重くなっている。
「グ、グ、グギャ。」
手の空いている人員に堀に確認させに行く。
この間も目に見えぬ引力に引き寄せられていくのだ。
確認に行った者はまだなのか?
蔓を離さないようにしっかりと腕に巻き付け、踏ん張りを効かせながら、件の者へと目を向ける。
「グ、グギャ!」
堀の中をゴブリンは急にフラフラし出したかと思うと、そのまま真っ逆さまに落ちて行ったのだ。
おかしい、絶対に何かが起きている。
ただそれだけでは終わらなかった。
「……グ、グ、ギャ…」
とある1班が重さに耐え切れなくなり、引っ張られるようにして堀の中へと落ちて行ったのだ。
気づけば、自分達も堀の方へとだんだんと近づいている。
身体が重い、動きが鈍くなっている。
頭も朦朧としている。
最期に認識できたのは、堀の底で死んでいた仲間がドンドンと近づいて来る様子だった。
正しくは自分が近づく形になったんだが…
「こ、これは…」
ふっふっふ、OXさんの度肝を抜いてやったぜ。
魔法は使ってないから、全く見当もつかないのだろうな。
堀の中のゴブリンが全て死んでいる現状が。
気付いたら、矢の応酬が止まっている。
どうやら、双方共に異常事態に気を取られているようだ。
手の空いたファナも即座に《分析眼》を使って、事態の把握を図り始めた。
だが、芳しい結果は出ないだろうな。
だって、そこに特殊な物はないもの。
そこには、ありふれた存在しかないもの。
地球とこの世界の大気の空気の組成は多少の違いはあれど、大部分は一致している。
この点はかなり感謝している。
ただ強いて言うなら、組成のうち魔素が2〜5%ほど占めていて、成分中第3位となっている。
ちなみに2位が20%前後で酸素である。
そして、栄えある1位が70%強を超える、今回の主役である窒素だ。
堀の中は《分解結界》だけでなく、《素材分解》を付与していたのだ。
不必要として排除した対象は窒素を除く他全ての気体成分。
結果として、綺麗に窒素の気体だけが堀の中に充満している状況を作り出せた。
窒素だけ、という空間はある効果をもたらす。
それは、酸素欠乏症の誘引である。
知っての通り、酸素は生きるために必要な物質だ。
これがなければ、呼吸は出来ない。
地球でも異世界でも変わらなかった。
そして、その空気中に含まれる酸素は実に繊細な存在である。
普段より数%下がるだけで事態が大きく変わってくる。
18%が安全範囲と呼ばれる範囲の最下限で、これ以上下がるのは避けるべきだとされている。
16%を切ると、集中力が低下し始め、チアノーゼが発生する可能性が高くなる。
14%を下回ると、判断力も低下し、意識が朦朧とし始め、事故による死が増える。
10%はかなりまずいラインとなり、虚脱などの症状が出始め、身体の自由が失われる。
6%以下は数回呼吸をしようとすれば、そのまま意識を失い、数分後に死亡してしまう。
下手な毒ガスを吸わせるよりも、酸素を吸わせない方が安易に恐ろしい事態を引き起こせるのだ。
そして、堀の中は新しい空気が流入してくることを鑑みても、およそ酸素は大気中の1%にも満たない。
デッドラインの6%などとっくに切っている環境なのだ。
この中で生きろと言われるほど過酷な試練はないだろう。
まあ蔓を支える側のゴブリンが落ちて行ったのは完全に想定外だったけどな。
蔓が短いせいで巻き込まれてしまったようだ。
降りる側のゴブリンが死んだことで、連携した降下作業ができなくなったからな。
一方的に重さを支えるのは苦労だ。
さらに堀の中からは入り切らなくなった大量の窒素が溢れている。
少なからず周辺の空気の組成にも影響を及ぼす。
流石に死などハッキリとした影響とまでは行かなくても、精神力や判断力、運動能力の低下は免れない。
蔓に自身の身体をくくりつけていたせいで、道連れになったのだ。
『一時サガレ、戦況ヲ立テ直スゾ!』
先ほどのゴ=なんとかの指示が飛ぶ。
堀経由の突破が難しくなったものな。
策を練り直す必要が出て来たわけか。
ただ今の一幕でゴブリン達には少なからず動揺したはずだ。
眷属と言えど、知的生命体であることに変わりはない。
不可思議な死の恐怖が前線を襲う。
しばらくは敵方も手を出してこないだろうな。
俺はレインとファナにある指示を出し、一旦戦線から下げる。
いい加減大将首を獲りに行かないとな。
本来なら防衛戦は何日も耐え忍ぶ必要がある。
ただ、今の拠点人員で可能かと言われると否である。
継戦能力の増強が今後の課題となるだろう。
とりあえず今日中に決着をつけることにしよう。
日は既に45°の角度を下回り、夕方へと向かって行っている。
動くなら今しかない。
次回更新日は11/8(日)です。
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